NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/7


中新田の虎舞 Nakaniida-no-tora-mai The Tiger Dance in Nakaniida

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 中新田の虎舞(なかにいだのとらまい)は、宮城県加美郡加美町にて毎年四月二九日に行われている催事である。県の民俗文化財民俗芸能に指定されている。
 六〇〇年前、奥州の大名・大崎氏が「雲は龍に従い風は虎に従う」の故事にならって、明神の初午祭に奉納したのが始まりと伝わる。
 町は春になると風が強く、昔から度々大火に見舞われていた。
 そこで、虎の威をかりて風を鎮め、火伏せの祈願をし、山車と共に火消組の手によって火伏せの虎舞を舞わせ、城下をねり歩き、商人たちの繁昌と風禍火難防止の思想の高揚に役立たようとはじまったのが虎舞である。
 数台の山車にそれぞれ太鼓を乗せ、笛、三~六頭の虎がついて、各家々や屋根の上で舞う。
 中新田の虎舞は、火伏せ祈願として特色ある民俗芸能である。
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2007/7/23


竹ン芸 Taken-gei Takengei Bamboo Performance

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 竹ン芸(たけんげい)は、長崎県長崎市伊良林にある若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)の秋祭りで奉納される行事。男狐、女狐に扮した若者が、高さ10m余りの2本の青竹の上で離れ業を見せる。
 竹ン芸は、約250年前から伝わる郷土芸能。お稲荷様の使いである狐が、祭囃子に浮かれ、遊び戯れる様子を再現したものだ。
 竹ン芸では、唐笛と締め太鼓、三味線の音が鳴り響く中、男狐、女狐役に扮した若者が白装束に身を包み、足を竹にからませて逆さまになったり、竹の真上をお腹に当てて大の字になったり、見事な技を次々と決める。狐たちは縁起物として紅白餅や生きたニワトリを竹の上から撒き、これを拾う見物客で賑う。クライマックスでは、男狐が逆さになったまま竹を滑り落ち、命綱のないまま行われるこの演技に観客は息を飲むほどのスリルを味わうという。
 竹ン芸は、2日間で昼夜合計5回演じられるが、特に夜の部は幽玄な雰囲気を味わうことができ、観光客にも人気を博している。
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2007/5/31


狛犬 Koma-inu 

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 狛犬は、神社や寺院の入り口の両脇、もしくは本殿正面の左右などに1対で置かれている、犬に似た想像上の獣の像である。
 起源はインドで、朝鮮を経由して日本に入ってきたという説が有力。インドでは元々は獅子の形をしていたが、当時の日本人は獅子を知らなかったため、犬と勘違いしたとされる。
 向かって右側の像は「阿形(あぎょう)」で、角は無く口が開いている。そして向かって左側の像は「吽形(うぎょう)」で、1本の角があり、口を閉じている。これは、密教でいう万物の初めと終わりを象徴する「あ・うん」の考えから来ているという。
 全国各地の神社境内で見かける狛犬には石製や銅製のものが多いが、神社本殿内に置かれたものには木造のものもある。平安時代の狛犬像としては、奈良・薬師寺の鎮守八幡宮の木像のものが著名。国の重要文化財にも指定されている。
 狛犬は、タテガミや尾が流れるように美しい、寺社には欠かせない大切な建造物である。
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2007/5/29


能面 河津 Noumen Kawazu Noh Mask Kawazu

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 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 河津(かわず)は、蛙や川津、河途、加和津とも書き、亡霊として執念などを表現する際に使用される面である。
 男の憔悴さに、更に哀れさを加えた相貌で、伏し目がちな小さな眼は離れ、二つの眉はつながってひさしのように眼を覆っている。
 頬がこけ、上瞼が下瞼よりもかなり突き出ており、眼は下を向き、水から上がった時の濡れた髪の感じが更に哀れさを強調している。
 男の幽霊面「痩男」の系列の面であり、この面の特徴としては痩男より怨霊的な要素が強く、水死した亡霊を表現するのに使われる事が多い。また、変わり型の多い面でもある。
 河津は、能の「阿漕」「藤戸」などに使われる能面である。
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2007/5/22


牛天神 北野神社 Ushi-tenjin Kitano-jinja 

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 東京都文京区春日にある北野神社は、「牛天神」として親しまれている。
 そもそも天神様とは、菅原道真公の没後、神様として祀られたお姿を指すが、鎌倉時代、源頼朝公が、現在境内にある岩に腰掛け休息したところ、牛に乗った菅原道真公が夢に現れ、あるお告げをした。翌年その通りに喜び事があった頼朝公は、この岩を御身体として祀り、牛天神を創立したとされている。
 以来、境内にある牛の形をした岩を「ねがい牛」と呼び習わし、撫でると願いが叶うと伝えられて信仰されて来た。
 緑豊かな石段を上って境内に入ると、都心とは思えない静寂感につつまれる。境内にはご神木とされる樹齢一○○年の木槲(もっこく)や筆塚などもあり、また、江戸時代に水戸光圀公が奉納された五本の桜のうち一本が、今もなお毎年花を付けていて、その木からは「気」が出ているという。
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うさぎの吊るし飾り Usagi no tsurushi-kazari Rabbit Hanging Ornament

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 つるし飾りは別名「つるし雛」とも言われ、江戸時代以来の伝承文化であり、伊豆稲取温泉に伝わる風習である。娘の幸せを一針の糸、古い端切れに託し、祈りを籠めたひな祭り。その雛壇の両脇に揺れる和裁細工が、雛のつるし飾りである。
 この風習は、九州柳川地区では「さげもん」、山形酒田地区では「笠福」、伊豆稲取では、雛のつるし飾り、通称は『つるし雛』と呼ばれており、この3地域のみが、歴史的な伝承の由来や雛細工の文献、写真等、口伝や資料を今に伝えているのだという。
 つるし飾りは、願い事をお飾りの形に託すのが大きな特徴で、110個の飾りにはそれぞれいわれがある。うさぎの赤い目には呪力があり、病気を治すと信じられており、神様のお使いとも言われている。
 季節ごとに、それぞれに合ったお飾りを増やしてゆくのも楽しい。お気に入りの小物は、暮らしを彩り、心を豊かにしてくれることだろう。
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2007/4/26


縁起物 招き猫 Engimono Manrkineko 

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 「招き猫(まねきねこ)」は、お寺の和尚が愛育している猫に向かい「汝我が愛育の恩を知らざれば何か果報を招来せよ」と言い聞かせ幾月日が過ぎたある日、その猫が、寺の前を行進する武士の一行を手招きして誘ったことが起源とされる。和尚が茶などを差し向け説法している内に、天は曇り、夕立ちは激しく降り、雷鳴が轟いた。この一行の家老は、猫に招き入れられたことから、雨をしのぎ、更に和尚のありがたい法談にあずかることができたと大いに喜んだという。以来、この寺は繁盛し、吉運が開いた。
 玄関や商店の店頭に飾ると、開運招福、商売繁盛をもたらす招き猫。白猫は「福を招く」「吉兆招福」。左手は、「金運招福」、右手は「千客万来」を招き、黄色の招き猫は「開運招福」といわれ、黒の招き猫は「無病息災」の縁起物とされている。
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鹿おどし Shishiodoshi 

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 「鹿おどし(ししおどし)」は、別名「僧都/添水(そうず)」とも呼ばれる。元々は農村地帯で田畑を荒らす鹿や猪、鳥を音でおどして追い払う農具である。
 水の入り口部分だけくり抜いた竹筒に、筧から水を引き入れ、半分以上水が溜まると傾いて水が外へ出る。傾いた時に、空の竹筒が叩き台の石に当たって、快い音が辺りに響き渡るようなっている。
 現代では、日本庭園などで見られるように本来の用途ではなく、風情の一つとなっている。
 空の竹筒が石を打つときの余韻は味わい深いものがあることから、音を聞くものとして実用を離れ、風流人たちの手によって庭園の点景として取り込まれていった。江戸期の漢詩人、石川丈山が興した京都詩仙堂のものが有名である。
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