NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/21


江戸紫色(エドムラサキイロ) Edomurasaki-iro 

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 紫草(むらさき)は太い根に紫色の色素を持つ、ムラサキ科の多年草で、植物の名前がそのまま染色名に使われたとされている。
 約三〇〇年前、武蔵野でも紫草を栽培しようと、多摩郡松庵の杉田仙蔵(すぎたせんぞう)という豪農が、南部にて紫草の栽培や染色法を習得、栽培に成功した。その後井の頭池の水を遣い、鮮やかな紫根染め(しこんぞめ)を完成させた。それは後に「京染め」に対し「江戸染め」と呼ばれることとなる。
 古来より日本人に好まれ様々なものに使われてきた紫色だが、色調が地域によって分かれ、それを区別するために、京紫と江戸紫とに区別されるようになったといわれている。江戸紫色は、京紫色に比べて青みの強。
 江戸紫色は派手好みの江戸っ子に特に好まれ、爆発的に流行をとげ、江戸の「粋」の代表的な色として一世を風靡したと伝えられている。この人気により、近在の農家では栽培が盛んになり、三鷹・吉祥寺等の武蔵野一帯は紫草の名産地であったという。
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2007/7/10


岩手 旧後藤家住宅 Iwate Kyuu-gotouk-e-jyuutaku 

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 江戸時代の豪農の住宅をそのままとどめる貴重な遺構、「旧後藤家住宅」。岩手県奥州市前沢区七日町に所在する。
 建立年代は定かではないが、解体工事中に地下掘立柱の穴底から発見された笠塔婆の残骸に、元禄八(1695)年の記録があることから、江戸時代の建造と推測されている。
 旧後藤家住宅は、南部の曲り家式家屋(平面がL字形をし、突出部が広い厩となっている構造)、東北地方における民家の形式を代表する家屋。間取りは、全体の半分を占める土間と、床上に二列の部屋を配した平面からなり、上・下屋から構成されている。土間には、断面多角形の太い上屋柱が林立している。直家、寄棟茅葺の原形をとどめ、盛土や無双窓など、日本の民家の建築史上大変貴重なものである。
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2007/7/3


瑞楽園 Zuiraku-en 

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 瑞楽園(ずいらくえん)は、津軽地方で流行した大石武学流(おおいしぶがくりゅう)の枯山水式庭園で、宮舘(みやだて)地区の豪農であった対馬家の庭園として作られたものである。
 大石武学流三代宗匠・高橋亭山(たかはしていざん)が 明治二三(1890)年から一五年の歳月をかけ築庭し、後に高橋亭山の門弟にあたる池田亭月が昭和三(1928)年から昭和一一(1936)に増庭した。
 人工的な山を築き、枯滝(かれたき)や枯池(かれいけ)、大きな石、石橋等を配置するなど、大石武学流の特徴的な造庭技法が用いられており、その美しさを際立たせている。
 昭和五四(1979)年に国指定名勝に指定された。
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2007/4/19


大鐘家住宅 Oogane-ke-jyuutaku The Ogane Family’s Residence

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 大鐘家住宅は、静岡県牧之原市片浜にある旧家の民家である。母屋と長屋門は国の重要文化財に指定されている。
 大鐘氏は、戦国時代には柴田勝家の家臣であった。江戸時代中期から末期までの間、この地方の大庄屋となり、また豪農として3000石以上の格式を持っていた。
 手斧造りの母屋は、慶長2(1597)年頃の建築といわれている。母屋の横には、小堀遠州作と伝わる庭園もある。
 長屋門前には1万2千本のアジサイ、3千本の花菖蒲が咲く「あじさい庭園」もあり、5月下旬〜7月上旬には「あじさい祭」が開催される。
 米蔵を改装した蔵の資料館は、宝物の展示やギャラリーとして使用されている。
 大鐘家住宅は、江戸の暮らしを今に残す古民家である。
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2007/4/16


広島 吉原家住宅 Hiroshima Yoshiwarakejutaku Yoshihara Family Residence in Hiroshima

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 吉原家住宅は、京都吉原から移ってきた藤原鎌足の子孫である、豪農・吉原家の住宅。平成三年に国の重要文化財に指定されている。
 同家に伝わる祈祷札などから、江戸時代の寛永十二(1635)年の建築とされる。寄棟造、茅葺の農家としては国で最も古い遺構である。
 間取りは六間取りに土間を持つ規模の大きい構成。土間の中央には柱を建てず、二重の梁組みで大きな空間を支えており、当時としては贅を尽くした作りとなっている。
 天にそびえる切妻の茅葺屋根が端正な姿を当時のままとどめ、大変美しい。また、母屋裏側の大きなぬれ縁は日本情緒たっぷりだ。
 吉原家住宅は、日本の家屋の原型であり、やすらぎを与えてくれる日本人の心の原風景である。
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2007/1/24


下時国家 Shimo-tokikunike Shimo-Tokikuni House

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 平家の子孫、平時国(たいらのときくに)を祖とする家。壇ノ浦の合戦後、平家の武将、平時忠(たいらのときだた)は能登に流され、その後、輪島に移り住み、時国家(ときくにけ)の祖となる平時国が生まれたとされている。
 時国は平家を捨て、姓を時国とした。貧困に喘ぐ輪島の農村・農民を助け、人心を得てこの地の豪農となり、江戸時代には、庄屋として名字帯刀を許可された。
 十三代籐左右衛門時保の時、次男の千松が分家、下時国家を名乗る。藩の山役や塩吟味役などを勤め、本家とともに繁栄した。
 現在の住宅は寛文十(1670)年、分家の時の建築、と言われているが確証はない。
 奥能登農家の大型の家屋で、土間が広いのが特徴である。庭園も国指定の名勝。
 壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇を祀り、能登安徳合祀時国家とも呼ばれる。
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