NIPPON Kichi - 日本吉

記事数30件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/7/24


吉備津彦神社 Kibitsuhiko-jinja 

Jp

 吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)は岡山県岡山市の西に位置する神社である。古くから備前国の最も格の高い一宮として鎮座し、神社の背後にある吉備の中山は巨大な神の岩を有し、山全体が神の山として崇敬されてきた。
 吉備津彦神社は第一〇代崇神天皇(すうじんてんのう)の御世(紀元前一四八年頃)、この地を平定するために遣わされた大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)を祭神として創建されたと伝えられている。
 神社の正面八脚門の随身門をくぐると左手には大きな水盤舎、拝殿宝物館、神殿が建ち本殿へと続く。本殿は元禄時代(1688~1703)の建立で屋根は流造り、桧皮葺の流麗な様式であり県指定の重要文化財となっている。
 また、吉備津彦神社は夏至の日には太陽が正面鳥居の真正面から昇り、神殿の御鏡に入ることから朝日の宮とも称されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/11


七支刀(しちしとう/ななつさやのたち) Shichishitou-nanatsusayanotachi 

Jp

 七支刀(しちしとう/ななつさやのたち)は、奈良県天理市布留町の石上神宮(いそのかみじんぐう)にある全長74.8cmの鉄剣である。国宝に指定されている。
 石上神宮は、崇神天皇七(紀元前91)年の創祠とされる古社で、祭神は布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)。
 七支刀は、六叉の鉾(ろくさのほこ)の名で石上神宮に伝世されてきた鉄剣で、表裏に金象嵌(きんぞうがん)の文字が61ある。
 表の銘文冒頭に泰和四年とあり、これは日本では仁徳天皇五七(369)年にあたるとされる。
 この剣は現在、日本書紀に記されている、神功皇后が朝鮮・百済から献上された七枝刀にあたると考えられている。
 銘文については腐食が激しく、読み取れない字も多くあり、その内容には諸説あるとされている。
 七支刀は、祭祀的な象徴であったとも推測される古代の剣である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/18


廣瀬大社 Hirose-taisha 

Jp

 奈良県北葛城郡河合町にある廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は、水の守り神として知られている。ご主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で、佐保川・初瀬川・飛鳥川など、大和盆地を流れる全ての川がひとつに合流する地に祀られている。
 創建は、崇神天皇九(前89)年といわれ、廣瀬の河合の里長に御神託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったという。
 生駒郡三郷町に鎮座する龍田大社の龍田風神と深い縁があるとされ、廣瀬神社と龍田大社にて、風水を治め、国家安泰を祈願したといわれている。
 境内入口にある朱色の鳥居から参道を歩くと、正面に拝殿があり、後方に春日造の朱色の本殿がある。
 拝殿前は一面砂で覆われている。これは毎年二月一一日に催される御田植祭「砂かけ祭」によるもので、拝殿前の広場を田圃に見立て、田植の所作を行なう神事である。五穀豊穣と雨水の多量を願い、牛の面を被った牛役、お百姓と早乙女が登場し、神事がおこなわれる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/14


重蔵神社 Juuzou-jinja 

Jp

 重蔵神社(じゅうぞうじんじゃ)は、石川県輪島市にある輪島港近くの町、河井町に鎮座する神社である。
 その創祀年代は定かではないが、社伝によれば崇神天皇の御代(紀元前97~30)、大彦命(おおびこのみこと)により、神田を寄進されたこともあるとされる古社である。
 平安時代に編纂された延喜式神名帳にも、鳳至比古(ふげしひこ)神社、あるいは辺津比咩(へつひめ)神社として載せられている。
 天平勝宝八(756)年、修験道の僧、泰澄により現在の地に寺院が建立されることとなり、以後、神仏習合のお社として発展していくこととなる。
 十蔵大権現、または重蔵宮とも称され、最盛期には七堂伽藍が立ち並ぶ荘厳な境内であったといわれている。
 本殿は明治四三(1910)年に焼失するも、翌年には原形を元に再建され、国指定重要文化財である社宝の木造菩薩面と共に、悠久の歴史を今に伝えている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/12


天理市 伊射奈岐神社 Tenri-si Izanagi-jinja 

Jp

 奈良県天理市の柳本町(やなぎもとちょう)には、全長二四〇メートルもある、大和朝廷の創始者といわれる第一〇代崇神天皇陵の壮大な前方後円墳がある。この古墳から国道を挟んだ向かい側にあるのが、「伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)」である。
 この神社は天神山に鎮座し、ご祭神は、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)と菅原道真(すがわらのみちざね)である。
 境内にある拝殿や本殿は小さいが、社域の木々が大きく、静かな古社のたたずまいをみせている。
 その他、境内には天満宮でおなじみの牛の像や、天満宮の文字が刻まれた石灯籠がある。もともと伊射奈岐神社は別の場所に鎮座していたのが、天満宮に合祀され、明治になり天満宮から社名を伊射奈岐神社と改めたようである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/14


武蔵御嶽神社 日の出祭 Musashi-mitake-jinja Hinode-sai 

Jp

 武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)は、東京都青梅市御岳山にある神社である。祭神は、櫛真智命(くしまちのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなびこなのみこと)。
 紀元前九〇年、崇神天皇の時代に創建されたと伝えられる。山岳信仰の興隆とともに鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、厄除け・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えてきた。
 宝物殿には、日本三大鎧のひとつとされる国宝の赤糸縅大鎧(あかいとおどしのおおよろい)が展示されている事でも知られる。
 日の出祭(ひのでさい)は、毎年五月の七日と八日に行われている春の例祭である。
 徳川綱吉奉納の御輿を囲む鎧武者と雅楽の演奏者などの武者行列が、御岳山駅から神社まで練り歩くという、まるで歴史絵巻のように勇壮な行列は、毎年多くの見物客を集めている。
 武蔵御嶽神社の日の出祭は、壮大で華麗な祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/26


秩父銘仙 Chichibu-meisen Chichibu Meisen

Jp En

 秩父銘仙(ちちぶめいせん)は、埼玉県秩父市で古来より生産されている知々夫絹を用いた絹織物である。
 崇神天皇の御代(紀元前149~紀元前29)に、知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が周辺住民に養蚕と機織の技術を伝えたことがその起源といわれる、大変古い歴史を持つ織物である。
 元来、屑繭や玉繭から採取した太い糸を緯(よこ)糸に用いた丈夫な織物で、養蚕を営む人々の自家用として織られていた。
 ただ、そのとにかく丈夫なことや平織りで裏表がなく、表が色あせても裏を使って仕立て直しができるという特徴などが庶民の間でもてはやされ、発展していくこととなる。
 武士の間でも大いに珍重され、古来よりの伝統を受け継ぎつつ、品質の良いものへと発展を遂げ、明治から昭和初期に掛けて最盛期を迎えることとなった。
 その豊かなデザイン性で、明治や大正の先人達の心を射止めた織物は、今も伝統を守りながら大事に織り上げられている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/20


調神社 Tsuki-jinja 

Jp

 調神社(つきじんじゃ)は、埼玉県さいたま市浦和区岸町にある神社である。祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊宇気姫命(とようけひめのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
 開化天皇三(紀元前156)年に創建され、崇神天皇の時代に伊勢神宮の斎主・倭姫命が参向し、境内に神宮に献る調を納めるための倉を建て、武蔵・総国の調の集積所と定めたと伝わる。
 調とは、「租・庸・調」の調の事で、神宮に献上する税である調物・初穂を指しているとされる。
 この際、荷を入れるために邪魔だったので鳥居をとってしまい、以後鳥居は建てられていない。
 中世、調が月と同じ読みである事から月待信仰に結びつき、江戸時代には月読社とも呼ばれ、月神の使いとされる兎の彫刻が旧本殿や現在の社殿に、狛犬の代わりに兎の石像が境内入口両側にある。
 調神社は「つきのみや」とも呼ばれ、「ツキ」に恵まれる神社としても信仰されている社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数30件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter