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2007/9/25


宮本武蔵 Miyamoto Musashi Miyamoto Musashi

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 宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸時代初期に活躍した剣豪である。近代においては、処世訓や座右の銘を残した偉大な思想家としての認識も強い。
 天正一二(1584)年に誕生。13歳で最初の決闘に勝利し、諸国を巡り剣の腕を磨き、その後60回以上の決闘で負け知らずだった。剣客・佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が有名。
 代名詞である「二刀流(二刀使い)」を始め、実用主義に貫かれた兵法が宮本武蔵の特徴だった。「なんのための剣か?」を肉体の側から思考し続けた。
 武蔵の手先の器用さ、感性の鋭さは、絵画・書画・彫刻・工芸の世界にまで及んだ。また町割り(都市計画)や造園などの事業でも優れた才能を発揮した。
 死の直前に、独自の兵法を理論化した『五輪書』を著した。戦術論を超えて、精神の扱い方を示唆する、武士道の先鞭をつける内容である。
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2007/5/31


江戸切子 Edokiriko Edo Kiriko

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 江戸切子(えどきりこ)は、江戸末期にはじまるガラス細工(カットグラス)工芸品である。
 天保5(1834)年、ビードロ屋の加賀屋久兵衛が、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻し、切子細工の法を工夫したのが始まりと伝えられる。
 江戸末期に生産された江戸切子は、手作業による手摺り工程によって透明な鉛ガラス(クリスタルガラス)に細工を施して制作されたものと考えられている。文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など、着物にも見られる身近な文様の繊細な切子であった。
 現在は、色被せガラスを素材に用いたものが好まれ、多く生産されている。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴である。
 2002年、経済産業省伝統的工芸品に認定される。
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2007/2/12


小原和紙工芸 Obara-washi-kougei 

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 小原和紙は、愛知県豊田市に伝わる、伝統工芸品。
 1496年、隣村の加茂郡から、三玄寺を建立するために訪れた僧侶が、農民たちの副業として紙漉きを教えたのが始まりといわれている。
 江戸末期には、障子紙やお札紙、三河森下紙という番傘用の紙などを生産していた。
 大正時代に入ると、紙漉き業の家が減少、小原製紙副業組合を結成し生き残りを図ってきた。
 昭和7年、愛知出身工芸家藤井達吉がこの地に訪れ、素朴な紙漉きに共感、共に努力と苦労を重ね、今の小原工芸和紙を築き上げた。
 地元には和紙のふるさとと呼ばれるギャラリーがある。字すき、葉すき、絵すき、うちわの4種の技術があり、製作体験などができる。
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2007/2/7


津屋崎人形 Tsuyazaki-ningyou 

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 津屋崎人形(つやざきにんぎょう)は、福岡県津屋崎町津屋崎にて造られる人形である。
 一般的に、流し型による薄い造りの博多人形に対し、津屋崎人形は「二枚型による手押し」製法により作られ、分厚く重厚にして安定感がある。
 しかし、この製法は熟練技術を要するため量産に向かず、今では珍しい作り方となってしまった。
 津屋崎人形は、顔料を水とニカワでのばして使用しており、色あせに強く、独特のあざやかな色彩を誇る。
 伝統的なモマ笛(フクロウのような音色)、干支人形、ひな人形や武者人形はもちろん、招き猫や福助さん、滑稽ものなど、みな何とも言えない魅力的な品々である。
 津屋崎人形は、素朴でユーモラスな、いつまでも大切にしたい人形である。
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2007/2/1


福島 桐下駄 Fukushima Kiri-geta Fukushima Paulownia Geta

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 福島の桐下駄は、福島県にて作られる、高級な会津桐による伝統工芸品である。
 会津桐は、会津藩の奨励によって植栽が始められた。会津特有の寒暖に差のある風土と厳しい寒さが、木目の美しさ、材質の強さを作りだし、高い評価を得ている。
 粘りと光沢がある銀白色材、綺麗な柾目、大きな比重、明瞭な年輪、割れ難さなどが特徴である。
 下駄づくりには、会津桐ならではの良さが素直に活かされている。特に柾目は光沢が美しく、最高との誉れが高い。
 桐は軽く、湿気をよく吸い取る。木目の白さも快適で、履き心地の良さは抜群である。
 福島の桐下駄は、カランコロンという音も軽やかな、さわやかな民芸品なのである。
 1997年、福島県伝統的工芸品に指定された。
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2007/1/29


小川規三郎(人間国宝) Ogawa kisaburou Kisaburo Ogawa (Living National Treasure)

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 昭和11年11月30日生まれ。平成15年に「献上博多織」の重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定される。九州産業大学の芸術工芸学科の客員教授も務めている。
 博多織物は、鎌倉時代に端を発する七〇〇年の歴史を持つ伝統工芸品。江戸時代に、黒田藩が博多織を毎年幕府に献上したことから「献上博多」と呼ばれた。
 博多織物は、厚地の平織絹織物で、固く締まってしかもしなやかな地合いを特色とする。主に帯として使用されてきた。織り機による伝統芸能は貴重であり、現在後継者問題が懸念されているという。
 そんな中、「博多織工業組合」では、産地活性化事業として帯以外の新感覚のハンドバックや財布などの商品開発を手がけるなど、伝統芸能の再生と発展に力を注いでいる。この組合員である小川規三郎氏も、全国各地で講演やシンポジウムのパネリストとして精力的に活動している。
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2007/1/25


吉野手漉き和紙 Yoshino-tesuki-washi Yoshino Handmade Japanese Paper

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 奈良県の代表的な伝統工芸である「吉野手漉き和紙」。宇陀(うだ)紙、美晒(みす)紙、国晒(くず)紙とも呼ばれ、すぐれた風合いとねばりの強さが特徴だ。奈良県の伝統工芸品にも指定されている。
 歴史は千三百年以上前に遡る。壬申の乱(672年)において吉野で兵を挙げた大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)が国晒(くず)の郷人に紙漉きを教えたのがはじまりと伝えられる。
 吉野の紙が世に広まったのは、江戸時代に入ってから。大和宇陀町の商人が、全国的に売りさばいたため、「宇陀紙」と名づけられ、表装裏打ち紙として重宝されたのだとか。
 吉野の手漉き紙は、非常に薄くて丈夫。現在では、12戸の紙漉き家が伝統の技を守り抜き、表装用中裏紙や書道用紙、国宝修理用の紙を作り続けている。
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2007/1/23


伊勢形紙 Ise-katagami Ise Stencils

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 伊勢形紙とは、三重県鈴鹿市白子を中心に発展した染色用具であり、伝統工芸品である。
 伊勢形紙は、友禅、浴衣、小紋等の柄や文様を、着物の生地に染めるために用いられた。
 和紙を張り合わせた紙に彫刻刀で精巧微細な図柄を彫る、「錐彫り」「突彫り」「縞彫り」「道具彫り」の4つの技法がある。
 その歴史は古く、その発祥には色々な説があるが、室町時代末期(1570年頃)には形紙があったと推察されている。
 江戸時代になると、徳川紀州藩の保護の下に、独占企業として染形紙製作の振興が行われ、形紙商人は全国各地を行商し、「伊勢形紙の白子」が広く知れ渡った。
 1952年、文化庁から無形文化財に指定。1983年、通産省の伝統的工芸用具に指定される。
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