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2007/6/18


寒露 Kanro Kanro

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 寒露(かんろ)とは、二十四節期の一つで、次の二十四節期、霜がおりはじめる十月下旬頃を示す霜降(そうこう)までの期間を言い、現在の暦では十月八日前後を指す。
 地球から見た太陽の角度である太陽黄経が195度の時。
 霜が冷気によって凍りはじめ、雁などの冬鳥が飛来、菊の花が咲き、コオロギなどの秋の虫の音が止む。木々の葉は徐々に染まり、稲刈りも終わりを告げ、吹く風も冷たさを増す。
 「陰寒の気に合つて露結び凝らんとすれば也(冷気が加わって露が秋の深まりを感ずる冷たさになったという)」という言葉もある。
 この頃の俳句の季語としては、浅漬大根や芋煮会、稲刈り等、収穫に関係した食に関するものが多く存在し、人々の生活と食の深い関わりを感じることができる時期である。
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2007/6/6


北海道 旧ロシア領事館 Hokkaidou Kyuu-rosia-ryoujikan 

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 旧ロシア領事館は、北海道・函館市にある急勾配の幸坂(さいわいざか)を登りつめた先に立つ、木造レンガ造りの建造物。
 安政元(1855)年の日露和親条約に基づき、安政五(1859)年に初代領事が着任した際に元町の現ハリストス正教会敷地内に領事館を建てたが大火で焼失。その後現在地で領事館の建設が行われたがこの建物も明治四〇(1907)年に焼失。現在の建物は、明治四一(1908)年に再建されたものである。
 赤レンガの外壁と、白漆喰による2階の縦横縁取りや玄関の隅石風デザインとのコントラストが美しい。正面の玄関部1階は、寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭など、和風意匠との融合が見られる点が特徴だ。
 この建物は、昭和十九年まで正式にロシア領事館として使用されていた。現在は内部を見学することはできないが、外観だけでも、帝政ロシア時代の華やかさをうかがえる建造物である。
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2007/5/31


霞城公園 Kajyou-kouen Kaijo Park

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 城下町である、山形県山形市にある「山形城」跡地にある公園。
 近年になり、城の復元に力を入れている。「山形市制100周年」には「大手門」が復元され、年に2回公開され、人気となっている。
 1356年に斯波兼頼が楯を築いたのが、最山形城の最初といわれる。その後、子孫の最上義光が1592年から約13年をかけ、改築を手がけ、現在の山形城の原型を作った。
 57万石の領地を持つようになった後、12人の城主が入部した。
 当時の建造物としては、石垣や堀が残っており、その面影を残す。
 また済生館と呼ばれる、城跡とは趣の違う洋風の建物などがある。
 現在は「桜の名所」としても知られシーズンには花見客などで賑わい、人々に親しまれている公園である。
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2007/5/14


陸奥国分寺 Mutsu-kokubun-ji 

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 陸奥国分寺は天平一三(741)年、聖武天皇の詔(みことのり)によって、国家鎮護と人々の無病息災を願い、全国に建てられた国分寺の一つで、国分寺では最北に位置する。古来よりこの辺りは、宮城野と呼ばれていて、古今集に「宮城野の
 木荒の小萩 露をおもみ 風をまつごと 君をこそ待て」と詠まれた様に、宮城野萩の名でも知られている。
 現在、周辺は史跡公園になっており、約3万坪の境内には陸奥国分寺跡をはじめ、伊達政宗が建立した薬師堂、仁王門などがある。そして心字ケ池畔には、松尾芭蕉の詠んだ「あやめ草
 足に結ん草
 鞋の緒」の句碑や大淀三千風の句碑がある他、江戸時代の力士で、横綱の谷風ゆかりの牛石、谷風誉れの足型など、句碑や石仏が多数点在している。天平の古から江戸までの、歴史を感じながら散歩を楽しめる場所である。
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2007/3/26


南昌荘 Nanshou-sou 

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 南昌(なんしょう)荘は、岩手県盛岡市出身の実業家・瀬川安五郎が建てた邸宅。数年かけて作庭した池泉回遊式の庭園を有し、原敬など数多くの著名人も訪れている。
 瀬川安五郎は、家業である両替商を継ぎ、商才をいかんなく発揮、県下長者番付4位の財を成すまでになった財界の重鎮。明治十八(1885)年に南昌荘を建てる。その後、安五郎は日露戦争や大凶作、米価の暴落などにより事業に失敗、この邸宅を時の市長・大矢馬太郎に売却する。以降、邸宅の所有者は金融界の大立者・金田一国士へ、その次は豪商・赤澤多兵衛へと受け継がれていく。千坪以上の広大な敷地に広がる手入れのいきとどいた庭園はこれらの歴史的な財界人たちを魅了し、豪華な園遊会がたびたび催されたという。
 南昌荘は、平成十七年には、盛岡市の保存建造物に指定された。
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2007/1/29


烏丸半島の蓮 Karasuma-hantou-no-hasu The Lotuses of Karasuma Peninsula

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 烏丸半島(からすまはんとう)の蓮とは、滋賀県草津市に広がっている大群落のことである。
 蓮は、およそ9.3haにも及び、日本でも有数の名所となっている。7月中旬から8月中頃まで順次花を咲かせる。鑑賞には午前6時前後の早朝がお薦めである。
 蓮の、大きく広げた蓮の、葉の上で揺れる水玉の動くさまを観ていると、いつしか時間を忘れて瞑想の世界へと誘われてしまう。
 この群生地に接して、草津市が水生植物園「みずの森」を作り、200種の植物を栽培している。
 多種の蓮や睡蓮、温室には南方の園芸種も揃え、ミニ劇場では全国の蓮園や、蓮の種類等を上映している。蓮の開花時期は開園を7時に早めているので、群落を堪能した後の休憩には最高である。
 烏丸半島の蓮の群落は、琵琶湖との風景のコントラストも美しく、壮観で魅惑的な光景である。
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2007/1/15


露 Tsuyu Tsuyu

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 露という言葉。大抵の人は、「朝露」「夜露」などの「露」を想像するのでないか。
 ところが、割と身近に思える、少し見方を変えた、露の言葉を使うことわざが多い。
 「つゆほども疑わない」は「わずか」という意味になり、「つゆの命」は「はかない、消えやすい」となる。
 総称すると「短」「少」「悲」的な場合につかわれるようである。
「うるおい」を感じる露ではあるものの、日が当たり風が吹けばその姿はすぐに消えてしまう。そんな様子が前文のような意味に例えられた理由であろうか。
 また、新古今和歌集では「なみだ」の表現に「つゆ」が使われている。悲しさを表現するための「しずく」である。
 昔の人々は露を感傷的な表現に使うことが多かったようである。現在の「俳句」では、露をはかなき身を現すような表現はあまり見られない。
 地球上が自然にあふれていた時代の人々の感性は、現代とは大きく違うようである。
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2007/1/6


美保神社 Miho-jinja Miho shrine

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 島根県松江市にある三穂津姫命と事代主神の2神を祀る神社。2神を祀る本殿は大社造りを2棟並べた「美保造り」または「比翼大社造りが、また屋根についても桧皮葺(ひはだぶき)の共皮蛇腹(ともがわじゃばら)でこれらは国の重要文化財に指定されている。
 三穂津姫命(みほつひめのみこと)は大國主神の御后(おきさき)神で、農業及び子孫繁栄の守り神。事代主神(ことしろぬしのかみ)は大國主神の第一の御子神(みこがみ)で、漁業・商業を始め広く生業の守護神として敬仰されている。全国各地にあるゑびす社3385社の総本社として、ことに水産・海運に携わる人々から広く敬い親しまれてきた。
 奉納された楽器、846点が、国の重要有形民俗文化財に指定され、日本最古のアコーディオンや初代萩江露友(おぎえろゆう)が所有していた三味線など、名器、珍品もその中に含まれている。
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