NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/6


落柿舎 Rakushi-sha 

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 落柿舎(らくししゃ)は、京都嵯峨野の豊かな緑の中に佇む一軒の草庵である。
 江戸期の俳人であり、松尾芭蕉門下の「蕉門十哲」の一人でもあった向井去来(むかいきょらい)が閉居としていた庵で、貞享三(1686)年に造営された。
 落柿舎の名の由来は、庭に実った柿を売る契約を交わし、代金ももらったその翌日、台風で全て落ちてしまった出来事にあるという。
 元禄四(1691)年には芭蕉がこの庵に滞在、「嵯峨日記」を記したともいわれている。
 去来の没後は庵は荒廃し、元の場所も分からなくなっていたが、明和七(1770)年、京都の俳人であった井上重厚が、現在の地に再建した。
 嵯峨野に広がる山と、のどかな田園風景に溶け込むわら葺きの建物は、いつか見たような懐かしい風情を漂わせている。
 去来在宅を訪れる人に知らせていたといわれる蓑と笠が、今も土間の壁に掛けられている。
 庵に赴けば、入り口から見える蓑と笠。どうやら主人は在宅のようである。
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2007/12/26


禅 Zen 

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 「禅(ぜん)」とは仏教発祥の地、インドで始まり中国、日本へと伝わった宗教で、「達磨宗(だるましゅう)」「仏心宗(ぶっしんしゅう)」「楞伽宗(りょうがしゅう)」とも呼ばれる。
 釈迦から数えて二八代目の祖・菩提達磨が禅宗の開祖と云われ、中国で発展したのち、一三世紀頃の鎌倉時代に伝えられたとされている。しかし平安時代には既に伝わっていて、京都嵯峨野の檀林寺で禅が講義されたとの記録もある。
 インドで「ディヤーナ」と言われた教えが、中国で禅那(ぜんな)、禅(ぜん)として発展していき、日本へと伝わっていった。そして鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まっていき、各地に禅寺が建てられる様になった。
 ディヤーナは直訳すると「瞑想」で、静かに心を落ち着かせる瞑想を通して、悟りを開くというのが禅としての大いなる意義であろう。この背筋を伸ばし、呼吸、心を整える「坐禅」は禅の基本的な修行法である。
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2007/11/14


広沢池 Hirosawa-no-ike 

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 広沢池(ひろさわのいけ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢町にある、周囲1・3mの池である。
 古来、嵯峨野一帯は大堰川の水が流れ込む沼地であったが、秦氏一族の優れた土木技術による灌漑で田園地帯に変わったとされる。
 広沢池は、宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正(916~998)が遍照寺を建立した際に作られたとか、秦氏の手によって作られたと伝わる。
 大分県の「初沢の池」、奈良県の「猿沢の池」とともに日本三沢の一つと言われ、灌漑用の溜池として往古より知られている。
 池から大覚寺・直指庵方面は保存地区に指定され、電柱や看板などが無く、時代劇映画の撮影によく使われている。
 遍照寺山が影を落とす観月の名所であり、周りには桜が多く、春にはのんびりと花見が楽しめる。
 広沢池は、のどかな田園風景と観月で知られる景勝地である。
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2007/10/31


野宮神社 Nonomiya-jinja 

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 野宮神社(ののみやじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨野宮町にある神社である。祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。
 野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮に仕える、皇女・女王の中から選ばれる斎王が、伊勢へ行く前に身を清めたところとされる。
 縁結びや、進学の神様として知られており、若い女性や修学旅行生に人気がある。
 鳥居は樹皮がついたままの「黒木の鳥居」で、古代の鳥居の形式を伝えている。また、境内には苔を用いた美しい庭園として有名な「野宮じゅうたん苔」がある。
 神社周辺の竹は「野の宮竹」と呼ばれており、主に工芸品などに利用されている。
 源氏物語「賢木」の巻にも現れ、謡曲「野宮」の題材ともなっており、人力車の嵯峨野めぐりもこの神社の前からスタートしている。
 野宮神社は、今も篤く崇敬されている社である。
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2007/4/24


五山送り火左大文字 Gozanokuribi-hidaridaimonji 

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 五山送り火左大文字は京都府京都市で毎年行なわれる精霊を送るための行事である。
 その起源は平安時代とも室町時代ともいわれ、長きに渡り京の人々の親しまれている。8月16日の夏の夜、京都市内では「五山の送り火」が行なわれ、各山々で松明が焚かれ、文字や絵柄が炎で浮かび上がる。
 「大」という字が最も有名で、東山の如意ヶ嶽、金閣寺大北山で作られる。その他松ヶ崎西山では「妙法」の字、西賀茂船山で船の形をした「船形」嵯峨曼茶羅山の「鳥居」の形がある。
 金閣寺大北山の「大」は「左大文字」と呼ばれる。当日の午後7時頃「法音寺」の親火台で護摩木が焚かれる。その火を持って点火役が「大」の字になるように各点火台に向かい山を走っていき、一斉に点火される。家内安全、無病息災、交通安全を祈願して、護摩木が激しく燃え上がり夜空を焦がすように「大」の字が静かに浮かびあがる。京都の夏の終わりを告げるにふさわしい行事である。
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2007/2/13


百人一首 Hyakunin-issyu 'Hyakunin-isshu'

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 鎌倉時代の歌人・藤原定家が百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ、百首選んだもので、古今集や新古今集などから選ばれている。宇都宮蓮生の京都嵯峨野の別荘・小倉山荘の襖色紙に載せる依頼を受けたのがきっかけとされ、当初は「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」と言われていた。通称「小倉百人一首」と呼ばれる。
 これにならって、百人の歌人の和歌を一首ずつ集めて作られる私撰集も数多くあり、「後撰百人一首」、「源氏百人一首」、「女房百人一首」などがある。
 さらに小倉百人一首をもとにして作られたた歌歌留多(うたかるた)もあり、その歌留多を用いて行われる遊びは、江戸時代中期頃から盛んになり現代に至る。
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2006/11/27


竹林 嵐山 Chikurin arashiyama Bamboo Forest in Sagano-Arashiyama

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 竹林の名所である嵯峨野は、日本三大美竹林のひとつと言われている。古都保存法により現在6ヘクタールが保存され、竹林が風にそよぐ音は、環境庁の「残したい日本の音100選」にも選ばれているという。 
 小経の起点は野宮神社。大河内山荘へと道は続く。すっくと立つ竹の立ち姿はとても清清しい。毎年12月には、地元の自治体が主催する「京都・嵐山花灯路」が開催される。嵯峨・嵐山一帯を様々な趣向でライトアップする祭りだ。竹林の小経では、両側の竹林が奥深くからオレンジ色で照らし出され、幻想的な雰囲気を味わえる。
 嵯峨野めぐりの際にはぜひ立ち寄りたいスポットだ。
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平野屋嵯峨 Hiranoya-saga Hiranoya at Sagano

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 平野屋は、京都・嵯峨に店を構え、四季折々の鮎料理が楽しめる茶屋だ。
 創業は約300年前(享保年間)。古より火の要鎮の神として崇拝された愛宕神社へ参る多くの参詣者たちに愛されてきた。平野屋は、参詣者が鳥居をくぐって愛宕山頂の神社に向かう起点に位置していたため、多くの人がこの店に腰を降ろして愛宕山名物「志んこ」とお茶でひと息入れて頂上をめざしたのだという。平野屋は、その他にも鮎問屋を商いながら、あまご鯉などの川魚料理が参詣者の人気を博したという。
 平野屋では今でも、天然鮎、松茸、湯豆腐、ぼたん鍋や寒川魚など、古から変わらない四季折々の食材で旬の味を供している。
 愛宕神社の鳥居の下にある提灯が平野屋の目印だ。嵯峨に赴いたら、一度は訪れてみたい店である。
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