NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/24


銀河の滝 Ginga-no-taki 

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 北海道のほぼ中央、石狩川によって作られた柱状節理の絶壁が続く、層雲峡にある銀河の滝(ぎんがのたき)。滝に向かい、右手にある流星の滝とあわせて、日本の滝百選に選ばれている。層雲峡へは旭川市内から国道39号線を北見方面に向かう。
 銀河の滝は、落差120mの柱状摂理の岩肌を、水が幾重にも分かれて白糸のように穏やかに流れ落ちてくる。その様から、雌滝とも呼ばれている。一方、90mの落差から、真っすぐに流れ落ちる流星の滝は雄滝と呼ばれ、タイプの異なるふたつの滝は同時に語られる事が多い。
 遊歩道から見上げる眺望には、流れ落ちる落差から驚きを感じさせる迫力があるが、少し登ったところにある双瀑台からの眺めは更に見事であり、より雄大さを感じることができ、銀河・流星の両滝を同時に見る事ができる。
 冬には結氷する銀河の滝、春の新緑・秋の紅葉と、どのシーズンに訪れてもその時々で、異なる驚きと美しさを与えてくれるだろう。
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流星の滝 Ryuusei-no-taki 

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 旭川市内から国道39号線を北見方面に向かい、大雪山国立公園層雲峡渓谷にある滝が流星の滝(りゅうせいのたき)である。
 流星の滝は、90mの落差から垂直に力強く流れ落ち、石狩川へと流れ込む。その勇壮な迫力ある姿から雄滝とも呼ばれる。その雄滝に対して、雌滝と呼ばれる銀河の滝が、流星の滝の左手に見える。
 銀河の滝は落差120mの高さから、層雲峡の柱状節理の岩肌に沿い、水が白糸のように覆いながら流れ落ちてくる。ふたつの滝をあわせて、日本の滝百選に選ばれている。北海道では他に5ヵ所の滝が選ばれている。
 最初、目にする遊歩道からの眺めも迫力があり素晴らしいが、少し登ったところにある双瀑台からふたつの滝を同時に眺めると、層雲峡の自然を身近に感じながら、より見事な滝の姿に出会う事ができる。
 流星・銀河の滝ともに、冬には結氷し姿を変えるが、新緑の頃、紅葉の頃、いつ訪れても見事な姿を楽しませてくれる滝である。
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2007/7/6


丸窓 Marumado Round Window

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 西洋では、住居は自然から人間を隔てて守るもの、と考えるが、日本人にとって住居は、自然の延長であり、自然と一体化し、共に生きるところ、と考える。
 その考え方は建築様式にも及び、窓にもその特徴は現れる。
 建築物が自然と一体化して生きていく場所であれば、窓は外と内をつなぐもの、自然と人間を結びつけるもの。庭の緑や花が見え、風が吹き込み、昼は日差しの照り返りがまぶしく、夜は月光が忍び込んでくる。そのような自然を楽しむため、窓の形に工夫を凝らしたうえで、さらに自然との一体化を図る。その代表的な窓として、丸窓がある。
 丸くくりぬかれ、文様が施された窓は、月のようでもあり、宇宙のようでもあり、人の手が加わりながらも、さらに外の自然を美しく見せる。
 自然と共に生きる、その考え方が形となった、ひとつの美しい例である。
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2007/1/29


齋藤明(人間国宝) Saitou Akira Akira Saito (Living National Treasure)

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 大正九(1920)年生まれ。
 平成五(1993)年、重要無形文化財「鋳金(ちゅうきん)」の保持者(人間国宝)に認定される。
 鋳金(ちゅうきん)は、金属が高温で熔けるという性質を利用した技法で、熔かした金属を、鋳型(いがた)に流し込んで冷却し、固まったのち型から取り出して仕上げる。
 師でもあった父(鋳金師齋藤鏡明氏)を10代で亡くし、家族を養うために鋳金工房を継ぎ、実務を積みながら手さぐりで修行を重ねる。戦争で全てを喪失し、一からの出発の中で恩師と出会い、さらに技に磨きをかけた。
「簡素でいて堂々とした、宇宙のような広がりを感じさせる作品を創りたい。」2種類の金属を使った「吹き分け」という技法で独自の境地を開いた。八十代のいまもなお現役として。力強く迫力ある作品を造りつづけている。
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2007/1/12


シルクリーフ 薄紅梅・若緑 Silkleaf strap usukoubai・waka-midori Pink and Green Silkleaf Straps

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 技術立国日本、というおなじみの言葉にある「技術」の意味は、通常は半導体加工などのハイテクのことを指す。しかし、長い歴史を俯瞰してみれば、日本は長年、その時々の先端技術を持っていたことが伺える。土木技術、伝統工芸、芸術にいたるまで、「匠」の言葉で言い表されるそれは、いまのハイテクと変わらず、精緻で丁寧な先端技術とも言えるのではないか。
 その象徴が、小さな世界で表現される工芸物の数々である。根付や人形といった、比較的小さなサイズの造作物に注がれる意匠の細やかさ、美しさは、まさに日本独特。職人の描き出す宇宙に想いを巡らせることができるのは、日本人であることの証左でもある。
 わずか12cmの長さのストラップも、匠の技を受け継ぐ京都の紐組職人の手にかかれば、日本の美をたたえる芸術品に昇華する。伝統色の紅梅と若緑で染め上げられた絹糸を、さりげなく使う贅沢さこそ、日本人だけが持つ美的感覚である。
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2007/1/11


三日月 Mikazuki Mikazuki (The Crescent Moon)

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 三日の月と書いて、三日月。辞書を引いてみると、「陰暦で3日の夜にでる細い弓形の月」などと書かれている。
 暦に使われる月、1月、2月などは、大陰暦では「月のかたち」つまり、運行を意識したものである。「何日」は月のかたちが決まっているので一致する。
 そんな、歴史から三日月もその暦のひとつとして利用されてきたわけだが、三日月という名前もさることながら、三日月の形をモチーフしたものも多く見られる。映画のタイトルやポスター、起業のロゴ、芝居でのトレードマークなどさまざま。
 満月ではただの丸になってしまう、半月ではどうもデザイン性にかける、なので三日月ならということだろか。
 地球に一番近い惑星である「月」
を見て「手に届きそうだから一度ふらっと行ってみたい」と月に思いを馳せる。
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2006/12/20


酉の市 TorinoIchi Tori-no-Ichi Fairs (Rooster Fairs)

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 毎年十一月の酉(とり)の日を祭日として、東京浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や各地の鷲神社で執り行なう、一年の無事に感謝し、来る年の幸を願うお祭。お酉様ともいう。
 歴史は江戸時代からで、原型は花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)において、農民が鎮守に感謝する収穫祭であり、鷲大明神に鶏を奉納していた。
 その後、花又村、勝専寺(足立区)と浅草の長國寺の3箇所が酉の市発祥の地として名を知らしめた。
 明和8年(1771年)、長國寺に「妙見大菩薩」が移され、一躍高名な酉の寺として認知される。妙身大菩薩は北斗七星の第七星、破軍星を戴いたものとされており、長國寺の寺紋も「月星紋」「七曜紋」と宇宙(そら)と深い関係を持つ象徴となっている。
 お祭りでは、縁起物として人気の高い「縁起熊手」があり、運を「かっこむ」(かきこむ)福を「はき込む」とされ、開運招福・商売繁盛を願うもので、いかにも「シャレ」を好む江戸っ子らしさが伺える。
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2006/12/18


石庭(世界遺産) Sekitei(Sekai-isan) Sekitei Rock Garden

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 白砂の中に置かれた、たった数個の石。
 極端なまでに抽象化された空間の中に、あなたは何を見るか。海に浮かぶ島々、雲海からのぞく山の頂き、時空を超越した宇宙の理…。鑑賞者の自由な解釈にゆだねるしかないその存在は、まるで、禅の公案のようだ。
 石庭は、見る者の視覚を瞬時に異化する不思議な構造を持っている。限られた空間の中で、遠近を最大化する工夫が為され、砂に描かれたシンプルな曲線が波を生む。すべてをそぎ落とした時、奇跡のように現れた宇宙のフォルム。
 最も有名な龍安寺の石庭すらも、いまだ作者は不明。500年以上の時を超えて、変わらぬ姿のまま、そこにあり続けてきた。訪れた者は、圧倒的な空間の美に、ただ立ちつくすしかない。
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