NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/2/23


花札 Hana-fuda 

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 日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代である。
 宣教師が伝えたとされており、日本のかるたの語源は、ポルトガル語のcartaからきている。
 天正時代(1573〜91)には既に国産のかるたが作られ、賭博として流行した。以後、為政者が禁止してはデザインを変え、禁止される度にデザインを変え、次々と新しいゲームが作られた。
 花札は、その過程で生まれた。花かるたとも呼ばれ、12ヶ月×4枚の48枚1組となっている。
 こいこい、花合わせ、八八といった遊び方が一般的であるが、地方カード、地方ルールも数多く存在する。
 花札は李氏朝鮮に渡り、韓国にも流入し、花闘(ファトゥ)と呼ばれ人気になっている。
 花札は、日本独自の伝統的カードゲームであり、今でも広く人々に愛好されている。
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囲碁 Igo Igo

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 囲碁は、碁盤と呼ばれる盤上にそれぞれが一色を持って白と黒のの碁石を交互に置いていき、自分の石で囲んだ領域の広さを争う二人用の対戦ボードゲームである。
 囲碁の起源は、紀元前後に中国で占星術が変化して、今の形となったと言われている。
 日本に伝わったのは奈良時代である。その頃から貴族・僧を中心に遊ばれ、日本中に広まった。
 江戸時代には碁会所が庶民の間に広まり、家元制度により囲碁が奨励され、本因坊家、安井家、井上家、林家の4家が争いあった。
 明治維新後に家元制度が崩れ、誰でも実力次第でプロ棋士になれるようになった。
 現在、漫画からの囲碁ブームにより、多くの若者も興味を持ちはじめ、囲碁は世界各国に広まっている。
 インターネット碁も盛んであり、本格的な囲碁の国際化が進んでいるといえよう。
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2007/2/19


竹馬 Takeuma Japanese Stilt-Walking

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 竹馬は、元々は中国で興った遊びで、平安時代頃には日本にも伝わっていたようである。
 竹馬とは、竹に板で作った足場を取り付けた物、或いは「竹馬」に乗って歩く遊びの事である。
 竹馬は2種類存在する。
 1つは中国から伝わった古いタイプで、笹竹を馬に見立てて股に挟み、魔法使いの箒のようにまたがって遊ぶものである。
 もう1つは、江戸時代後期に広まった、背丈より高い二本の竹に足組みを作り、そこに自分の足を乗せて二本の竹を実際の足のように動かして遊ぶもので、現在、竹馬と言えばこちらの事を指す。
 竹馬は、竹の上でバランスよく歩く事により、筋力を鍛え、平衡感覚を磨く効果があると考えられている。
 今でも大会が開かれたりしており、全国に愛好者がいる、昔懐かしいスポーツであるとも言える。
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双六 Sugoroku 

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 双六(すごろく)は、中国、朝鮮を通り日本へと伝わったといわれる。雙六とも書き、読みは同じだが、意味は別である。
 本来あったのは雙六の方で、今では盤双六と言われている。複雑なルールを持つ、サイコロを2つ使うボードゲームであり、江戸時代まではよく遊ばれていた。
 一方の双六の方は、絵双六と言われ、後世に誕生した。絵を描いた紙の上に一人一つの駒を置き、サイコロを1つ使うという単純な遊びで、今では一般的に双六と言えばこちらを指す。
 双六はゲーム開始から終了までが長く、運次第で誰でも勝者になれる事や、勝敗が分かりやすいという特徴から、古くはギャンブルとしても遊ばれていた。
 双六は、子供から大人まで、誰もが楽しめる単純で楽しい遊びとして、今でもよく行われている遊戯である。
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2007/2/15


香道 Kou-dou The Art of Burning Incense

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 香道とは香木を炊いて、その香りを楽しむ日本独自の芸道である。
 香木は仏教の伝来と同時期に日本に伝来し、儀式や衣服、髪に炊き込める風習を生んだ。その後、室町時代中期に茶道、華道と同じく現在の形に整えられたとされる。
 基本的な流れとしては香を炊く香炉に香木を薄く切り入れ、その香炉を一座に回して、香りを鑑賞する。
 他の芸道と異なるのは、香とゆかりの古典や和歌になぞらえて香りを当てるゲーム的な要素があることだが、勝敗よりも香りを楽しむのが本道である。
 文学の知識、礼儀作法、書や道具への造詣など様々な要素が組み合わされた奥深い芸道であり、多くの愛好家に好まれている。
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2007/2/13


百人一首 Hyakunin-issyu 'Hyakunin-isshu'

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 鎌倉時代の歌人・藤原定家が百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ、百首選んだもので、古今集や新古今集などから選ばれている。宇都宮蓮生の京都嵯峨野の別荘・小倉山荘の襖色紙に載せる依頼を受けたのがきっかけとされ、当初は「小倉山荘色紙和歌」や「嵯峨山荘色紙和歌」と言われていた。通称「小倉百人一首」と呼ばれる。
 これにならって、百人の歌人の和歌を一首ずつ集めて作られる私撰集も数多くあり、「後撰百人一首」、「源氏百人一首」、「女房百人一首」などがある。
 さらに小倉百人一首をもとにして作られたた歌歌留多(うたかるた)もあり、その歌留多を用いて行われる遊びは、江戸時代中期頃から盛んになり現代に至る。
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2007/1/12


那覇大綱挽 Nahaootunahiki Naha Great Tug-of-War

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 那覇大綱挽は、那覇まつりのなかのメインイベントであり、毎年体育の日に行われる。
 那覇大綱挽は、17世紀ごろジュリ馬行列祭の際に遊女達が綱引きを行ったのが起源とされる歴史ある大綱挽で、現在の形になったのは1971年からである。
 全長200mの大綱を東西に分かれて、「ハーイヤ、ハーイヤ」のかけ声のもとで挽き合うダイナミックな綱挽は、国道58号で行われる。
 市民、軍人、観光客を合わせ約15000人が綱を挽く。終了後は、無病息災のお守りといわれる枝綱を持ち帰ることができる。
 どちらかに2メートル以上寄った時点で勝負が決まり、終了後は、無病息災のお守りとして枝綱を持ち帰ることができる。
 1995年、世界一の大綱としてギネスブックに認定。そのスケールの大きさは壮観である。
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