NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


岡崎市 妙源寺 Okazaki-shi Myougen-ji Myogenji Temple

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 岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
 薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
 文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
 後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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2007/9/13


瑞巌寺 御成門、中門 Zuigaan-ji Onari-mon,Naka-mon The Onari-mon and Naka-mon Gates at Zuiganji Temple

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 奥州随一の禅寺・瑞巌寺(ずいがんじ)は天長五(828)年、慈覚大師円仁によって開創され、伊達家の菩提寺として知られる。正式名は「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、別名松島寺ともいう。
 現在の建物は、慶長一四(1609)年、名工一三〇人を集め、政宗が五年の歳月をかけて建立したものである。
 本堂と御成玄関・回廊・庫裡は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されている。
 御成門は、入母屋造本瓦葺の薬医門で、重厚な趣をみせている。
 御成門の右側にある中門は本堂の前にあり、四脚門で切妻造、こけら葺きで、壁がなく骨組みが露出している。中門両側には、政宗が朝鮮出兵の際、持ち帰って植えたとされる紅白の臥竜梅(がりゅうばい)が植えられている。臥せた龍に似ていることから臥龍梅と名付けられ、四月中旬が身頃となる。
 御成門・中門は対照的な趣向となっており、土壁は白壁で、中空の太鼓塀になっている。
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2007/9/7


箱泉寺 Sousen-ji 

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 箱泉寺(そうせんじ)は、宮城県石巻市河南町にある古刹である。
 伝教大師の弟子の慈覚大師が貞観年間(859~877)に開いたとされる。
 天正三(1575)年に俊光と号する僧が中興に努め、真言宗にと改められた。
 寺は旭山の北側の斜面に位置し、周りは森で囲まれている。参道の石段を登ると、なんとも年代を感じさせる四脚門の山門が構えている。山門をくぐると、前方に本堂があり、本堂の右側は渡り廊下となり、玄関、庫裏へと続いていく。
 本堂の前には大杉と平成九(1997)年に根方山より勧請され、多くの人の願いをかなえてくれるといわれる千願石・万願石がある。
 この地は清水が豊富に湧き出る里としても知られており、境内にある独鈷水(おこうずい)は、慈覚大師ゆかりの水で、寺の名前の由来になっている。
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2007/8/7


岡崎市 随念寺 Okazaki-shi Zuinen-ji Zuinenji Temple

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 岡崎市の随念寺(ずいねんじ)は、愛知県岡崎市門前町にある浄土宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来、千手観世音菩薩。三河三十三観音霊場第2番札所とされる。
 永禄五(1562)年、徳川家康が、祖父・松平清康と清康の妹である大叔母・久子の菩提を弔うために創建された。
 久子は、家康が生母の於大と生別して以来、家康を長い間養育した人である。
 東海道を見下ろす丘陵に建てられた一連の社寺の中でも、幕府の庇護が厚く、城の防衛拠点としての名残りを今も多く残している。
 山門は四脚門(しきゃくもん)で、山門の先には美しい白壁が続いており、一間一戸の楼門が見える。
 岡崎市の随念寺は、長い歴史を誇る、松平・徳川家と家康ゆかりの寺である。
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2007/4/6


乾徳山 恵林寺 Kentokusan Erin-ji 

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 恵林寺は、山梨県甲州市に位置する臨済宗妙心寺派の寺社で、山号は乾徳山。
 元徳二(1330)年、夢窓疎石により開基、戦国時代に衰退するが、甲斐武田家の菩提寺として復興する。天正十(1582)年、織田氏により焼き討ちにあうが、その後徳川家康により復建された。
 武田信玄の菩提寺として著名だが、織田氏焼き討ちの際に「心頭を滅却すれば火自ら涼し」と言い焼死した、快川紹喜の伝説の地としても知られる。
 境内には、家康の寄進により建てられた国の重要文化財である桃山様式の四脚門のほか、夢窓疎石が築庭した、国の名勝に指定されている庭園などがあり、訪れる人々の目を楽しませている。
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2007/3/23


岩手 大慈寺 Iwate Daiji-ji 

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 大慈寺は、岩手県遠野市大工町に所在する曹洞宗、加州金沢の宗徳寺二世龍傅恵金禅師開闢の寺。開基は、南部藩(現在の岩手県中北部から青森県東部にかけての地域)の藩主、南部氏によるもの。
 かつては南部氏の菩提寺だったというが、現在は、平民宰相と呼ばれた原敬の菩薩寺として親しまれている。境内裏手には「原敬の墓」と刻んだ石碑が建つ。
 四脚門の山門は、東北では珍しい中国風白壁造り。境内に入って左側に六角堂、本堂は7間あり、本堂の右側には庫裏(こり・食事を調える建物)が置かれている。
 ほかに信徒会館があって座禅堂も兼ねており、座禅会が行われている。
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2007/3/1


六地蔵寺 Rokujizou-dera 

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 創建は寛平3(891)年頃といわれ、室町時代末期に建てられた四脚門は県指定文化財となっている。
 水戸藩第2代藩主徳川光圀公(水戸黄門)ゆかりの寺で、境内に残る法宝蔵は光圀公が建立した。典籍1975冊、文書479通は県指定文化財となっている。
 境内には徳川光圀が観賞した枝垂れ桜(シダレザクラ)の子孫となる名木がある。
 今の世代の枝垂れ桜は樹齢160年、枝張りは直径12m以上もあり、春には境内を桜色に染めて華麗に咲いている。
 また、入り口には樹齢1100年の大杉や800年の大銀杏が鎮座している。 
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2007/2/12


十輪院 Jyuurin-in 

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 奈良県奈良市にある寺院。真言宗醍醐派。
 その歴史は奈良時代で、当時日本で最大の威厳があった「元興寺」別院とされていた。
 本尊として石造地蔵菩薩を祀り、他ではめずらしい石仏龕で構成されている。
 正面に建つ表門は軽快な四脚門となっている。
 本堂は正面の間口を広縁にし、蔀戸(しとみど)を用いている。軒まわりは垂木を用いず厚板で軒を支えていまる。また、棟、軒および床が低く、中世の住宅をしのばせる要素が随所に見られる。柱間の上にある蟇股(かえるまた)は垢抜けした優美な形状をしている。
 宝蔵は一間四方の小さな校倉で側壁に般若や十六善神が描かれており、重要文化財に指定されている。
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