鉢形城 Hachigata-jou
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鉢形城(はちがたじょう)は、埼玉県大里郡寄居町鉢形にあった城である。国の史跡に指定されている。
文明八(1476)年、山内上杉氏の家宰・長尾景信の嫡男、長尾景春が、家督を叔父の長尾景忠に継承させた事に怒り、復讐のために鉢形城を築城したとされる。
景春は何度も山内上杉氏と戦い、鉢形城で籠城したが、最後には敗れて城を去っていった。
戦国中期には北条氏のものとなり、北条氏の北関東支配の拠点となったが、天正一八(1590)年、豊臣秀吉の小田原討伐にて前田利家・上杉景勝らの連合軍に包囲され、落城。廃城となった。
現在、城跡は史跡公園として整備されており、二の丸、三の丸、外曲輪などが残っている。秩父曲輪には庭園や四脚門・建物なども復元され、各曲輪は土塁と堀で区画されており、外郭には鉢形城歴史館が建設されている。
鉢形城は、埼玉を代表する大規模で要害堅固な中世の城跡である。
文明八(1476)年、山内上杉氏の家宰・長尾景信の嫡男、長尾景春が、家督を叔父の長尾景忠に継承させた事に怒り、復讐のために鉢形城を築城したとされる。
景春は何度も山内上杉氏と戦い、鉢形城で籠城したが、最後には敗れて城を去っていった。
戦国中期には北条氏のものとなり、北条氏の北関東支配の拠点となったが、天正一八(1590)年、豊臣秀吉の小田原討伐にて前田利家・上杉景勝らの連合軍に包囲され、落城。廃城となった。
現在、城跡は史跡公園として整備されており、二の丸、三の丸、外曲輪などが残っている。秩父曲輪には庭園や四脚門・建物なども復元され、各曲輪は土塁と堀で区画されており、外郭には鉢形城歴史館が建設されている。
鉢形城は、埼玉を代表する大規模で要害堅固な中世の城跡である。
- 住所
- 369-1224 埼玉県大里郡寄居町鉢形
- 名前
- 鉢形城