NIPPON Kichi - 日本吉

記事数62件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/24


塩川 shiokawa 

Jp

 日本で一番「短い」川、それが沖縄県本部町(もとぶちょう)を流れる塩川(しおかわ)である。
 川幅約四m、全長はなんと三〇〇m。
 海面より高い位置にあるにも関わらず、岩間から湧水する水には海水とほぼ同じ成分の塩分を含んでおり、川の生物のほかに海の動植物も棲息していることが特徴。
 なぜ塩分を含んでいるかなどの湧出機構については多説あるが、そのメカニズムに関してはいまだ不明とされている。
 塩川のように常時塩水を湧水する河川は世界でも大変珍しく、西インド諸島のプエルトリコ島とここ塩川の二箇所しか存在しないことから、現在は国の天然記念物に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/9/22


知念城 Chinen-jou 

Jp

 知念城(ちねんじょう)は、五穀発祥の地とされる、沖縄県南城市知念にあった城である。
 古城と呼ばれる野面積み石垣の郭と、新城と呼ばれる切石積み石垣の郭に分かれており、両者の築造時期にはかなりの時代差がある。
 伝説によると、古城は天孫氏時代(12世紀末~13世紀)の築城とされている。
 新城は、内間大親(うちまうふや)が15世紀後半築城したと伝えられている。内間大親は第二尚氏の始祖・尚円が反乱によって王になる以前に、内間ノロとの間にもうけた息子であるという伝説も残っている。
 太平洋を見下ろす標高100mの丘陵上にあり、城内には男子禁制の久高島遥拝所もある。
 普段は忘れ去られたようであるが、東御廻い(あがりうまーい)の巡礼地として、祭礼の際には多くの人が集まる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します

keywords :


2008/8/19


壺屋焼 Tsuboya-yaki 

Jp

 壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋地区、恩納村、読谷村で焼かれる陶器で、上焼(じょうやち)と荒焼(あらやち)に大別される。
 上焼は、釉薬(ゆうやく)をかけ約一二〇〇度の高温で焼いたもので、沖縄独特の絵付けを施した碗、皿、鉢、酒器のカラカラ、花瓶などの日用品が多く、壺屋焼の主流を占めている。
 荒焼は南蛮焼ともいわれ、釉薬をかけずに約一〇〇〇度で焼いたもので、酒甕、水甕類など大型の容器が多い。魔除けで知られるシーサーもこの一種。
 その歴史は古く、一四世紀から一六世紀にかけて南蛮焼の技術が伝えられたといわれる。一七世紀初頭、琉球王府は朝鮮人の陶工を招き、朝鮮式陶法の習得に力を入れ始めた。この時から上焼が焼かれるようになり、現在の壺屋焼が誕生した。
 壺屋焼の特徴は、その素朴さと力強さにある。風格漂い重量感あふれる器は、沖縄の良質の土と伝統技法から生まれる。昭和五一(1976)年、通商産業大臣により伝統的工芸品に指定された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/8/14


琉球民謡 Ryukyuminyou 

Jp

 琉球民謡(りゅうきゅうみんよう)は、沖縄県に伝わる伝統の音楽である。
 元々、琉球の古典音楽は、王朝時代の上流階級の教養人によって創造されたもので、琉球舞踊や組踊と結び付いて発展した。
 琉球民謡はいつどのような形で誕生したかは不明だが、謡そのものは古い時代から各地域で謡われていたと考えられている。
 その最大の特徴は琉球音階で、ドレミの音階のうち、レとラを抜くのが大きな違いとなっている。
 今日でも民謡は祝事や行事の際には欠せないものとして歌い踊られているが、沖縄で実際に聴きたい時は、民謡酒場に行けば、生で本格的なものを聴く事ができるという。そこでは、泡盛を片手にステージの民謡を味わえる。
 なお最近では、沖縄民謡のことを島唄と呼称される事があるが、島唄は本来奄美民謡の呼称であるため、琉球民謡とは別であるとも言われている。
 琉球民謡。その響きはどこか懐かしく、県外の人々の間にも人気のある郷土芸能である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/24


沖縄 波上宮 Okinawa Naminoue-guu Okinawa Naminoue-guu Shrine

Jp En

 波上宮(なみのうえぐう)は沖縄県那覇市に鎮座する神社であり、沖縄の総鎮守である。名前の通り神社は浜辺の岸壁の頂上に位置している。
 創建に関しては定かでないが、元々は沖縄独自の理想郷を求めるニライカナイ信仰の聖地であったといわれている。しかし、一四世紀頃に琉球政府が神のお告げにより熊野三神を祀り波上宮として造営したという。太平洋戦争で全てが破壊されたが、戦後ハワイ沖縄県人会の人々の努力などによって再興された。
 参道を進み二つの鳥居をくぐると朱色の社殿がそびえ同じく朱色に彩られた沖縄の魔よけであるシーサーに似た狛犬が見守っている。境内には二つの社、天照大神を祀る浮島神社と沖縄の産業の神様を祀る世持神社がある。また、波上宮のすぐそばには護国寺や孔子廟があり、繁華街近くということもあり正月の初詣などには沖縄独特の雰囲気の中多くの人が訪れる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/23


海底鍾乳洞 広部ガマ Kaiteisyounyuudou Hirobegama 

Jp

 広部ガマ(ひろべがま)は、沖縄県恩納村にある、総延長640mの、日本一長い海底鍾乳洞(かいていしょうにゅうどう)である。
 鍾乳洞とは、石灰岩が雨水、地下水などの侵食でできた洞窟であり、石灰岩地帯に存在する。
 平成一〇(1998)年、恩納村の万座毛近海、水深28m地点に、同村でダイビングショップを営む広部俊明氏が新しい海底鍾乳洞を発見した。
 640mは確認された分だけで、さらに奥に続いており、内部にはエビやカニなども生息している。
 奥へ直進できるのは約310mまでで、その途中で約20の洞窟に分かれる。中には高さ11mもある大きなホールもあり、つららやカーテンのような鍾乳石が垂れ下がり、光が差さないため、カノコイセエビなど洞窟性海洋生物が生息している。
 広部ガマは、未だ詳細は調査中の日本一長い海底鍾乳洞である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/6/13


宮古島のパーントゥ Miyakojima-no-paantu 

Jp

 宮古島のパーントゥ(みやこじまのぱーんとぅ)は、沖縄県宮古島市平良島尻(ひららしまじり)、上野野原に伝わる祭礼である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 平良島尻では旧暦九月の初め、上野野原では旧暦一二月最後の丑の日に行われる儀礼で、厄祓いと幸運をつける来訪神祭祀であるとされる。
 パーントゥとは来訪神で、仮面をつけ、全身を枝葉で覆い、さらにその上からンマリガーと言われる聖井戸の泥炭を塗るので、泥々で原始的にして、底知れぬ恐怖を感じさせる存在となる。
 特に新築家屋や新生児は、泥を塗られる事で悪霊を祓うとともに、嘉例(かりー)をつけ、祝福すると言われている。
 祭祀から行事の準備、実施が地域住民の生活の一部となり、仮面も大事に保管されている。
 宮古島のパーントゥは、郷土に伝わる伝統的な神事である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/2


糸数城 Itokazu-jou 

Jp

 糸数城(いとかずじょう)は、沖縄県南城市玉城糸数にある城である。国指定の史跡とされる。
 築城年代は不明だが、玉城按司(たまぐすくあじ)が二男を大城按司に、三男を糸数按司に任したという伝説があり、「三山分立時代」の初期、14世紀前半の築城であろうと言われている。
 標高180m前後の琉球石灰岩の丘陵上に築城されており、城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積の部分が最も高く約6mで、この上に立つと太平洋と東支那海が眼下に望める。
 構造的には比較的単純な城で、西側は断崖を利用し、東北東に城門をひらいており、城内の随所には遺物包含層がみられ、そこからは土器に混じって中国製品の陶磁器類が発見されている。
 糸数城は、かつて長期間にわたって使用された沖縄の城である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数62件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter