NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/12/5


吉見百穴 yoshimi-hyakuana 

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 埼玉県の吉見町にある「吉見百穴(よしみひゃくあな)」とは、六世紀末から七世紀末、古墳時代の末期に造られた横穴墓の集合墳墓である。大正一二(1923)年に国の史跡に指定されている。
 凝灰岩砂岩の丘陵の側面に、無数の穴が開いている。凝灰岩砂岩は、掘削に適した岩盤であったことから、横穴墓が彫られたのではないかと考えられている。
 明治二〇(1887)年に発掘調査がおこなわれた時には、コロボックル人といわれる先住民族の住居跡ではないかという説があったが、大正時代末期になり、古墳時代末期の墓穴であることが判明した。
 現在確認できる横穴の数は、二一九基である。そのうち、国の天然記念物で緑色の光沢を放つ「ヒカリゴケ」が自生している横穴もある。
 また第二次世界大戦末期には、この岩山の地下に日本軍の旧軍需工場が造られ、その際に掘られた穴も残されている。
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2007/9/10


犬城海岸と馬立の岩屋 Injoukaigan-to-madate-no-iwaya 

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 犬城海岸(いんじょうかいがん)は、鹿児島県熊毛郡中種子町に広がる、自然の奇岩・巨岩や洞窟が続く種子島屈指の景勝地である。
 馬立の岩屋(まだてのいわや)は、その犬城海岸の北端にある洞窟である。
 犬城海岸という名は、修験道の犬神使いであった10代島主種子島幡時が修行した地がこの辺りであった事から付けられたという。
 馬立の岩屋も修行地の一角で、中は広いほら穴であり、奥には鳥居と祠が建っている。
 伝説では、幡時は犬のように崖をかけ上り、飛び降りるという天犬の兵法の修行をしていた。
 しかし修行中、幡時は岩屋の中で行方不明になり、主人を待つ馬がいつまでも立っていた事から、以後、馬立の岩屋と言われたという。
 犬城海岸と馬立の岩屋は、不思議な伝説に彩られた場所である。
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2007/8/24


神居古潭おう穴群 Kamui-kotan-ouketsu-gun 

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 旭川から滝川方面に向け、石狩川沿いに走る国道12号線を進むと、右手に旭川八景のひとつ、神居古潭がある。おう穴群の特殊な景観は、石狩川の急流に沿う約10kmの奇岩に続き、吊り橋の近く1・2kmに渡って見ることができる。
 神居古潭おう穴群(かむいこたんおうけつぐん)は、日本地質百選に選ばれた神居古潭変成岩層が石狩川に浸食されて出来たもの。深さ、直径ともに、0・5から5mの円形の穴は、景観だけでなく、地質学上も貴重な存在だ。昭和41(1966)年、市の天然記念物に指定されている。
 おう穴とは、硬い川底や川岸のくぼみに礫が入り込み、急流によって礫が回転し、長い年月をかけ、硬い岩に円形の窪みを作り出したもの。
 石狩川の流れ、自然のままの落葉広葉樹林に覆われた渓谷、奇岩、おう穴群などの揃う神居古潭は、アイヌ語で神の居る里の名にふさわしい雰囲気を今も持ち続けている。
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2007/7/20


島歌海岸 窓岩 Shimauta-kaigan Mado-iwa 

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 島歌海岸(しまうたかいがん)は、北海道道南にある日本海に面した海岸。久遠郡せたな町に位置する。
 この島歌海岸の総延長2kmの海岸線は大変美しく、ドライビングスポットとしても人気である。
 また、島歌海岸線沖には日本海の激しい急流により侵食されてできた多くの奇岩が点在している。そのひとつが窓岩(まどいわ)である。巨大な岩の真ん中にぽっかりと穴が開いていることからこの名が付いた。窓岩の近くには「亀岩」もあり、こちらは冬にはトド達の憩いの場となるため、運が良ければトドの群れが見られるということだ。
 夕暮れ時に夕陽に照らされて浮かび上がる窓岩のシルエットはひときわ美しく、格好の撮影ポイントとなっている。
 窓岩は、自然の造り上げた造形の不思議に驚かされる「芸術品」である。
 
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2007/4/24


二級峡 Nikyuukyou 

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 二級峡(にきゅうきょう)は、広島県呉市の郷原町と広町の境に広がる渓谷である。県の名勝天然記念物に指定されている。
 黒瀬川の侵食により形成された峡谷で、S字状の曲流で何段にも滝を形成しながら後退しており、峡谷の長さは300m程になる。
 峡中には幅3mの別名「大滝」とも呼ばれる二級滝をはじめ、支流の「小滝」こと白糸の滝や、霧滝、うず滝など数多くの滝があり、鬱蒼とした植物相がこれに調和して峡谷美をなしている。
 また、河床の岩石には甌穴と呼ばれる円筒状の穴が無数にあいており、地質学的にも貴重である。
 周辺は新緑や紅葉なども美しく、フランスで活躍した藤田嗣治画伯が描いた二級峡は、今でも広支所に大切に保管されている。
 二級峡は、地元の人たちに昔から愛されている景勝地である。
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2007/4/17


石鎚山古墳群 Ishizuchiyama-kohungun Ishizuchiyama Kofun Group

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 加茂川を見下ろし、遥かに加茂平野を望むことができる丘陵の先端部に築かれた「石鎚山古墳群」。芦田川下流域で最古の古墳である。
 石鎚山古墳群は、2基の古墳からなる。1号古墳は、直径20mの円墳で、2基の竪穴式石室を内部に擁する。2号古墳も円墳で、直径16m。2基の土壙墓(どこうぼ・土中に穴を掘っただけの墓)を持つ。
 1号古墳からは壮年の男性人骨や中国製の鏡、勾玉や鉄製工具類などが出土された。この「斜縁二神二獣鏡」は中国の三国時代・3世紀のものであり、このことから被葬者は中国製品を入手できた有力な権力者であることが窺える。2号古墳からは、「内行花文鏡」と呼ばれる、中国の漢の時代の鏡が出土された。2号古墳は1号古墳より後の時代の造立と考えられている。
 出土品の一部は、広島県立歴史博物館、広島県立歴史民族館で公開されている。
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2007/4/16


唐櫃古墳 Karabitsu-kofun Karabitsu Kofun

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 唐櫃(からびつ)古墳は、広島県庄原市川西町に所在する前方後円墳。横穴式石室を内蔵する点と、その規模から県内でも珍しい古墳として、平成五年に県史跡に指定されている。
 古墳の規模は庄原市で8番目。長さ41・4m、後円部28・8m、前方部幅14・4mを測る。広島県北では最大の規模を誇る横穴式石室は、長さ13・1m、高さ2・6m、幅2・4m。この石室からは、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀までの須恵器や、耳環、鉄製馬具などが出土している。
 また、非常に精巧に作られた大型の金銅製の鈴や、全国で4例目の出土となる銀製山梔形空玉(近畿以外の古墳では初めての出土)など、貴重な出土品が数多く発見されている。
 
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2007/4/2


蛸ノ浜 Tako-no-hama 

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 蛸ノ浜は、岩手県宮古市蛸の浜町にある海岸である。
 浄土ヶ浜の白い岩々とは対照的な、暗褐色の礫岩からなる浜である。夏には蛸ノ浜海水浴場となり、海水浴客がやってくる。
 浄土ヶ浜の裏側にあり、あまり目立たないため、穴場的なポイントになっている。
 名前については、幾つかの伝承が残っている。
 浜の主のオオダコが棲むタコ穴があるとか、「デエゴ泥棒」と言われる、畑の大根を盗みに来るタコの話などが伝わっているという。
 海岸の岩には海水に侵食されてできた穴が多数見られ、また海岸線そのものも美しく、夏は地元の子供達の海水浴場になり賑わいを見せる。
 蛸ノ浜は、自然と海を楽しめる、素朴な浜である。
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