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木戸瓦窯跡(きどかわらがまあと)は、宮城県大崎市田尻沼部的場・北沢にある窯跡である。国の史跡に指定されている。
昭和三三(1958)年と四九(1974)年に発掘調査が行われ、8世紀前半に多賀城創建時の屋根瓦を焼成した窯跡であることが判明した。
構造は、いずれも地下式の窖窯(あながま)であり、重弁蓮花文(じゅうべんれんかもん)の軒丸瓦(のきまるがわら)、手描重弧文(てがきじゅうこもん)の軒平瓦(のきひらがわら)、平瓦・丸瓦・鬼板などが出土している。
また、多賀城創建の頃、多賀城から40kmほど離れたこの大崎平野に、律令政府による郷里制および軍団制がすでに施行されていたことを示す極めて興味深い資料である、表面採集ながら「郡仲村郷他辺里長 二百長丈部呰人」と箆(へら)書きされた多賀城創建時の平瓦が見つかっている。
木戸瓦窯跡は、古代の技術と文化が伺える遺跡である。
昭和三三(1958)年と四九(1974)年に発掘調査が行われ、8世紀前半に多賀城創建時の屋根瓦を焼成した窯跡であることが判明した。
構造は、いずれも地下式の窖窯(あながま)であり、重弁蓮花文(じゅうべんれんかもん)の軒丸瓦(のきまるがわら)、手描重弧文(てがきじゅうこもん)の軒平瓦(のきひらがわら)、平瓦・丸瓦・鬼板などが出土している。
また、多賀城創建の頃、多賀城から40kmほど離れたこの大崎平野に、律令政府による郷里制および軍団制がすでに施行されていたことを示す極めて興味深い資料である、表面採集ながら「郡仲村郷他辺里長 二百長丈部呰人」と箆(へら)書きされた多賀城創建時の平瓦が見つかっている。
木戸瓦窯跡は、古代の技術と文化が伺える遺跡である。
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