NIPPON Kichi - 日本吉

記事数345件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/11


桜皮細工 Kaba-zaiku 

Jp

 桜皮細工(かばざいく)は秋田県角館(かくのだて)に伝わる山桜の樹皮を材料とした伝統工芸品である。桜の木の皮を使った工芸品の歴史は古く、正倉院の御物の中にも見うけられる。
 角館で桜皮細工が始まったのは、天明年間(1781~1788)で、最初は下級武士の手内職として行われていたが、その後藩主が桜皮細工を地場産業として職人を育成し、それにつれて色々な技法も発展し編み出された。当初作られたていたのは胴乱と呼ばれる煙草入れや印籠だけに限られていたが、明治以降は問屋も出現し安定した産業へと発展していった。
 昭和に入ると、民衆工芸運動の先駆者であった柳宗悦(やなぎむねよし)らの指導の元に技術改良が進み、昭和五一(1976)年には秋田県で初めての経済産業大臣指定の伝統工芸品に認定された。現在では茶筒、茶道具、インテリアなど桜皮細工の世界は広がり、独特の色合いと手触りは多くの人を魅了し続けている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/29


昭和溶岩 Syouwa-yougan 

Jp

 鹿児島県のシンボルともいえる桜島は、錦江湾にある東西約12キロメートル、南北約10キロメートル、周囲約55キロメートル、面積約77平方キロメートルの、御岳(おんたけ)とよばれる活火山によって形成されている。幾年もの火山活動により噴出された溶岩が山腹から海底と流れ、層状に地形を作っている。
 文明八(1476)年の噴火では溶岩が海まで伸びて、燃崎(もえざき)と呼ばれる岬ができ、大正三(1914)年には40億トンの溶岩が大隈半島に達し、陸続きとなった。
 その中で、昭和二一(1946)年に2億トンが流出した溶岩流は昭和溶岩(しょうわようがん)と呼ばれている。南岳東斜面の標高400メートル付近で東南へ分流、山肌に沿って降り、その先は海面までのびている。
 シーカヤックなどを使い、海上からゴツゴツした黒黄色の、雄雄しい岸壁を見ることができる。
 昭和溶岩は今でも、その時の名残を生々しく残している地形である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/18


久麻久神社 Kumaku-jinja 

Jp

 男山と女山の大小二つの丘からなる八ツ面山の中腹にあるのが、久麻久神社(くまくじんじゃ)。徳川家康が戦勝祈願に訪れた県下最古の入母屋造り本殿がある。
 古くから「きらら」と別称のある白雲母(しろうんも)という鉱石の産地として知られ、昭和初期まで採掘されていた。
 昭和二五(1950)年に国の重要文化財に指定された現在の本殿は、大永七(1527)年に再建されたもの。吉良氏やその一族の八ツ面城主・荒川氏が建立したと推定される。
 県下最古の神像彫刻「牛頭天王神像(ごずてんのうしんぞう)」や「陶製こま犬」など、貴重な美術工芸品も残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/6


紙相撲 Kamizumou 

Jp

 それまでの戦乱が一時の終息を迎え、江戸時代は平穏な時が流れるとともに、庶民の文化も大きく発展していった。そんな中、相撲は当時の人々にとっても、非常に人気を博した娯楽であった。そのため、相撲に関連した遊びが多く生み出されたという。紙相撲(かみずもう)もその中の一つであった。
 紙で作った力士である人形を、土俵に見立てた板や厚紙をの上に置き、その隅をトントン叩く。すると紙の力士が互いに動き出し、どちらかが倒れるまで勝敗を争う遊びである。
 昭和二九(1954)年に徳川義幸氏という当時一七才の少年が、独自の紙相撲の方法を考案。これがマスコミに大きく取り上げられ、全国的ブームにまで発展し、遂には、日本紙相撲協会が設立されるまでに至った。
 現在では、紙の大きさや土俵の大きさ、土俵においた時の人形の角度など、本物の大相撲のようにきめ細かい約束事が決められており、全国に多くの愛好者がいる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/26


姉様人形 Anesama-ningyou 

Jp

 姉様人形(あねさまにんぎょう)は江戸時代から流行した女の子向けの紙人形である。和紙と千代紙からできており、すらりとした若い女性のシルエットをしている。女の子から見る姉様、いわゆる若く美しい大人の女性への憧れが人形に映し出されていると言われている。
 昭和初期までは、おままごとなど日常の遊び用玩具として使われていたが、今日では民芸品として残されている。
 衣装、飾り付け、着物の柄など色彩豊かで、髪型もお下げ、桃割れ、島田などその人形の年齢に合わせ、様々に結い上げられている。
 顔は簡略化され描かれてない事が多いが、島根県松江市に伝わる「松江姉様」は、花をあしらった大きな髪飾の下に色白の肌、伏目勝ちの切れ長の瞳におちょぼ口という和風美人が描かれてある。かの小泉八雲もこれをこよなく愛し、机に飾って愛でていたという。
 他にも長野県松本市の日本髪の美しさを強調した「松本姉様人形」など、全国で五〇種類以上もの姉様人形が確認されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/14


おとそ Otoso Otoso

Jp En

 「お屠蘇」は、一年間の邪気を祓い、長寿を願って正月に飲まれる薬草酒。「一人これを飲めば一家病無く、一家これを飲めば一里病無し」と云われにもある様に、本来は風邪予防の為に調合され、飲まれていたが、いつしか正月の祝いの膳には欠かせないものになった。
 山椒、桔梗、桂皮など数種の薬草を組み合わせた屠蘇散を、日本酒や本味醂に浸しておいて作り、大・中・小の三種の盃を用いて飲まれる。飲む順番には、地域によって違いがあるが、年齢の若い者から順に飲んでいくのが正式である。これは中国の習慣からきたもので、若い者が毒味をしてからという意味がある。しかし日本では、明治から昭和初期の頃に家長から飲む事も行われる様になった。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/29


石川 檜細工 Ishikawa Hinokizaiku Ishikawa Cypress Weaving

Jp En

 石川県白山(はくさん)市に四〇〇年受け継がれている伝統工芸である。昭和六三年に県の伝統工芸品に指定されている。
 檜細工は、約四〇〇年前、白山麓の旧尾口村深瀬を訪れた旅の僧が檜傘の作り方を伝授したのがはじまりとされる。以降、江戸時代中期には村の重要産物になった。
 檜細工は、「ヒンナ(またはヘギ)」と呼ばれる檜を薄く切った板を編み上げて作る。代表的な産物に昭和初期に考案された「白山傘」がある。軽くて丈夫、その上雨や日差しを良く防ぐと、屋外での農作業用に重宝されている。
 春の農繁期前には白山傘作りがピークを迎える。年間約700個の注文に対し、伝統を受け継ぐ6人の職人が製作を一手に担う。
 檜細工には、白山傘のほかに、おぼけ、籠、花器などの民芸品がある。そのどれもが「用」の美と端正な意匠を併せ持つ、魅力的な伝統工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/9


茂原公園 Mobara-kouen 

Jp

 茂原公園(もばらこうえん)は、千葉県茂原市高師に広がる、面積16万平方mの公園である。
 昭和初期、藻原寺(そうげんじ)背後の丘陵地に開設された自然公園で、茂原市のほぼ中央に位置している。
 山や湖水などの自然の地形を利用し、展望台や散策道、広場やアスレチックなどを取り込んで作られている。
 日本さくらの名所百選にも選ばれており、園内にはソメイヨシノなど2850本のさくらが植えられ、春の夜には華麗にライトアップされる。
 桜の花が終わるとつつじやアジサイが咲き、秋にはもみじやイチョウが色づき、四季折々の自然を楽しむことができる。
 弁天池の中央には茂原弁財天のある島があり、見事な赤いアーチ橋が架かっている。
 茂原公園は、花咲き乱れる美しい公園である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数345件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter