NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/21


狐色(キツネイロ) Kitsune-iro 

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 「こんがり狐色(きつねいろ)に焼けたパン」などといった、ほどよい焦げ目の形容詞としてよく使われている狐色は、文字通り狐の背色に似た黄褐色を言う。
 実際には狐の体色よりやや濃い茶色を表し、食べ物の美味しそうな焼き色の形容詞として使われることが多い狐色だが、日本では鎌倉時代以降から伝統色として親しまれてきており、現在でもやや黄色がかった薄茶色の狐色は、着物などの色名として使われているという。
 英国ではfox(フォックス)、中国では紅狐色(ホンフースー) という名前がつけられている。色の表現には共通するものがあるようである。
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2008/2/7


彦一こま Hikoichi-koma 

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 熊本県八代地方に伝わる「彦一こま(ひこいちこま)」は、縁起玩具として知られている。
 戦後の昭和二二(1947)年、初代・井芹真彦(いせりまさひこ)が、八代地方に伝わる「彦一とんち話」にでてくる狸からヒントを得て創作されたものである。狸の人形が、四つのこまに分解するという民芸品である。
 肥後の八代城下町に住んでいた頓知者の彦一は、とんちでお殿様をからかったり、狸狐をたぶらかしたりしていた。奇才ぶりを発揮していた彦一に、さすがの狸も彦一に会ってからは手も足も出ず、ついにとんちに負けた狸は彦一の家来となって従順したという話が伝えられている。
 もともとはスイカ、トマト、大根、柿などの小さな果物のこまを作っていたが、これらを組み合わせようという発想から出来上がったのがはじまりである。
 狸、おてもやん、亀などの人形があり、見た目は普通の人形に見えるが、いくつかのこまが合体して形がつくられ、すべての部品が手作りであるのが彦一こまの特徴である。
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2007/11/29


佐土原人形 Sadowara-ningyou 

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 佐土原人形(さどわら人形)は宮崎県の佐土原に古くから伝わる土人形である。
 人形作りのはじまりは慶長二(1597)年の、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した朝鮮の役の後、佐土原の高麗町に移り住んだ高麗人が作ったのがはじまりといわれている。時の藩主島津豊久がこの人形作りを奨励し、人形作りは産業として発展していった。
 佐土原人形は土の素朴さを生かした温かな彩りが特徴で人形の眼や表情には工夫を凝らし独特の表情を表現している。昔から節句人形として定評があり重宝がられてきた。種類も多く、端午の節句の鯉持、馬乗、桃の節句の内裏雛”等がある。また、江戸時代にこの地で栄えた佐土原歌舞伎を題材とした忠臣蔵、いがみの権太、静御前と狐忠信などの作品も多く作られてきた。
 明治から大正にかけて佐土原人形は全国に知れ渡るようになり、その人気は今でも高く、人形作りの技術は今日まで引き継がれている。
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2007/9/11


館腰神社 Tatekoshi-jinja Tatekoshi Shrine

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 弘仁二(811)年に僧・空海がこの地に弘誓寺(ぐぜいじ)を創建するため、京都の伏見稲荷を分霊して作られたのが館腰神社(たてこしじんじゃ)である。弘誓寺の隣にある小高い丘に鎮座しており、奥州街道沿い、岩沼阿武隈の「要所」という意味でこの辺りが「館の腰」と呼ばれいたことから、館腰神社の名がついたという。
 ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)大宮姫神(おおみやひめのかみ)猿田彦神(さるたひこかみ)で、昔からこの地方の鎮守として知られる古神である。明治二年、神仏習合禁止により弘誓寺と分離した。
 この神社の入り口には、大正一三年建立の灯籠がある。お狐さまの入った灯籠を、四人の力士が支える珍しいものである。境内の石段を上がると山門や拝殿、本殿があるが、社殿はどれも昭和になってから造営されたものである。
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2007/7/23


竹ン芸 Taken-gei Takengei Bamboo Performance

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 竹ン芸(たけんげい)は、長崎県長崎市伊良林にある若宮稲荷神社(わかみやいなりじんじゃ)の秋祭りで奉納される行事。男狐、女狐に扮した若者が、高さ10m余りの2本の青竹の上で離れ業を見せる。
 竹ン芸は、約250年前から伝わる郷土芸能。お稲荷様の使いである狐が、祭囃子に浮かれ、遊び戯れる様子を再現したものだ。
 竹ン芸では、唐笛と締め太鼓、三味線の音が鳴り響く中、男狐、女狐役に扮した若者が白装束に身を包み、足を竹にからませて逆さまになったり、竹の真上をお腹に当てて大の字になったり、見事な技を次々と決める。狐たちは縁起物として紅白餅や生きたニワトリを竹の上から撒き、これを拾う見物客で賑う。クライマックスでは、男狐が逆さになったまま竹を滑り落ち、命綱のないまま行われるこの演技に観客は息を飲むほどのスリルを味わうという。
 竹ン芸は、2日間で昼夜合計5回演じられるが、特に夜の部は幽玄な雰囲気を味わうことができ、観光客にも人気を博している。
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2007/7/11


朱鞠内湖 Syumari-nai-ko 

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 北海道幌加内町。ここに、日本でも最大の広さを誇る人造湖がある。
 雨竜川の上流に、昭和十八(1943)年に建設された雨竜第一ダムによって、堰き止められる形ででき、アイヌ語で狐川を表すシュマリ・ナイ、もしくは石の多い川を表すシュ・マリ・ナイと名付けられた湖。それが朱鞠内湖(しゅまりないこ)だ。
 湖を見下ろせる高台からは、周囲に広がる複雑に入り組んだ湖岸線や湖面に浮かぶ大小十三の島、湖を覆いつくさんばかりの原生林など、これが人造湖なのかとややかんぐってしまうほどの大パノラマを望むことが出来るだろう。
 湖畔にはキャンプ場もあり、広大な大自然を求めてやってくるカヌーイストやフィッシャーマンを楽しませてくれる。
 また湖周辺は極寒冷地としても知られており、冬季にはダイアモンドダストを見ることが出来るといわれる。
 ダイアモンドダストの舞う広大な湖面。そこにあるのは、もはや人の手を離れた大自然の静かな息遣いのみだ。
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2007/7/9


日向ひょっとこ夏祭り Hyuuga-hyottoko-natsu-matsuri 

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 日向ひょっとこ夏祭りは、宮崎県日向市に伝わる郷土芸能「日向ひょっとこ踊り」を中心とした祭りである。
 毎年八月第一週の土曜日に開催されており、昭和五九(1984)年に第一回が開催されて以来、日向市を代表する一大イベントとして、周辺地域の夏の風物詩になっている。
 踊りそのものは、江戸末期から明治初期にかけて、日向の開業医であった人物によって伝えられたといわれている。
 赤い着物を羽織り、白い帯とふんどしを締め、頭にはマメシボリの手ぬぐいを結わえて狐やひょっとこ、おかめの面をつけてユーモラスに踊り歩く。
 笛や鐘、太鼓の軽快なリズムに乗って体全体をコミカルに動かすその踊りは見ているだけでも楽しいものである。夕方には県内外からの参加者1000名にものぼるひょっとこ達により、市街を練り歩くパレードも行われている。
 ユニークな面をつけ、軽快に踊る楽しいその祭りには、豊作や商売繁盛などの庶民の切なる思いが託されている。
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2007/6/26


コックリ湖 Kokkuri-ko Lake Kokkuri

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 何とも奇妙な名前のこの湖は、北海道は積丹半島の南、蘭越(らんこし)町ニセコエリアにある湖沼群中最西端に位置する最大の湖。
 気になる名前の由来だが、蘭越町史によると、明治二七年に発見者の吉崎由太郎氏が付けたとされている。当時、秘境とも言えたこの地は狐・狸など野生動物のすみかで、狐狗狸(こくり)を占いの「こっくりさん」の語呂とあわせて「こっくり」と読ませ、狐狗狸湖とし、それがいつの間にかカタカナ化した、とされている。
 樹齢200年を越えるダケカンバなどの原生林に周囲を囲まれたコックリ湖は、まさに秘境のたたずまいを見せる。標高は550メートル程で、湖にはフナやコイなどの他に、エゾサンショウオが多数生息している。
 風のない波静かな日には、対岸の景色が逆さに映り込んで美しい、神秘的な湖である。
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