NIPPON Kichi - 日本吉

記事数19件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/2


東霧島神社 Tsumakirishima-jinjya 

Jp

 東霧島(つまきりしま)神社は宮崎県都城市高崎町にある神社。霧島六社権現のひとつ。主祭神はイザナギノミコトである。考昭天皇が創建したといわれる。「東」と書いて「つま」と読む。霧島の東端という意味がある。
 朱色の鳥居から神殿に伸びる「鬼岩階段」と呼ばれる石積みの階段がある。鬼が一晩で積み上げたという言い伝えのとおり、かなり不規則に積まれているためはっきりした段数がわからないほどである。振り向かずに登りきると願い事が叶うとも言われる。
 境内にはイザナギノミコトが十握の剣で切断したという「神石」と呼ばれる真っ二つに切られたような大きな石がある。また、樹齢1000年を越すといわれる楠の巨木が目を引く。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/12


天理市 伊射奈岐神社 Tenri-si Izanagi-jinja 

Jp

 奈良県天理市の柳本町(やなぎもとちょう)には、全長二四〇メートルもある、大和朝廷の創始者といわれる第一〇代崇神天皇陵の壮大な前方後円墳がある。この古墳から国道を挟んだ向かい側にあるのが、「伊射奈岐神社(いざなぎじんじゃ)」である。
 この神社は天神山に鎮座し、ご祭神は、伊邪那岐神(いざなぎのみこと)と菅原道真(すがわらのみちざね)である。
 境内にある拝殿や本殿は小さいが、社域の木々が大きく、静かな古社のたたずまいをみせている。
 その他、境内には天満宮でおなじみの牛の像や、天満宮の文字が刻まれた石灯籠がある。もともと伊射奈岐神社は別の場所に鎮座していたのが、天満宮に合祀され、明治になり天満宮から社名を伊射奈岐神社と改めたようである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




生駒市 伊弉諾神社 Ikomashi Izanagi-jinja 

Jp

 奈良県生駒市の「伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)」は、長弓寺(ちょうきゅうじ)境内の東側に鎮座する。
 長弓寺は、天平一八(746)年、聖武天皇の時に創建され、天皇の勅願により、寺の守護神として伊弉諾神社が建立された。神社の神職は、長弓寺の僧の中の第一﨟の人が継承していた。
 ご祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)の三柱である。
 素盞鳴命を祀ることから「牛頭天王社(こずてんのうしゃ)」とも呼ばれている。牛頭天王は、もともとインドの神様で、祇園精舎の守護神であり、後に日本の神様である素盞鳴命と習合した。
 本殿の背後にはうっそうと茂る雑木林があり、静かな佇まいをみせている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/20


埼玉 三峯神社 Saitama Mitsumine-jinja 

Jp

 埼玉の三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある古社である。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)である。
 由緒は、景行天皇(71~130)の御世、息子の日本武尊が東征のために碓氷峠に向かう途中、三峰山に登り、その山川の美しさに心を打たれて創建したのが始まりである。その後、この地を訪れた景行天皇が社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山から「三峯宮」の社号を授けた。
 後に飛鳥時代には伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、平安時代には空海が観音像を安置したとも言われ、中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
 享保五(1720)年に入山した僧・日光法印が、日本武尊の道案内をした狼の大口真神(おおぐちまがみ)の護符を配布し「御眷属信仰(ごけんぞくしんこう)」が広まっていく。狼は火災や盗賊に対していち早く騒ぎ立てる事から、狼を神の眷属として信仰し、火難・盗賊除けを願うもので、数多くの講が組織された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/10


秩父 三峯神社 Chichibu Mitsumine-jinjya 

Jp

 三峯という名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法が岳の三つの峰が美しく連なることから呼ばれている。神社の由緒は古く、景行天皇が皇子の日本武尊を東国に遣わした時にさかのぼる。日本武尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向う途中で、雲取山、白岩山に登り、眼下に広がる山川が清く美しい様子を見て、その昔に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が国を生み出したことをしのび、お宮を造営して二神を祀ったのがはじまりとされる。
 現在三峯神社周辺には、日帰り温泉施設「三峯神の湯」、茶亭「小教院」があり、かつて修験の山として栄え、明治の神仏分離まで観音院と呼ばれていた時代の資料等を展示している「秩父宮記念三峰山博物館」などがある。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/9


八王子 白山神社 Hachiouji Hakusan-jinja Hakusan Shrine in Hachioji

Jp En

 八王子の白山神社(はちおうじのはくさんじんじゃ)は、東京都八王子市中山にある神社である。祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)。
 創建年代は明らかではないが、平安時代に比叡山、西塔の僧武蔵坊弁慶の血縁であった弁智が法華経を奉納した、関東七社の一社であると伝えられている。
 天正一八(1590)年、豊臣秀吉と北条氏政・氏直が戦った小田原合戦で焼失したが、慶弔一八(1613)年、再建された。
 境内には、仏教の経典を埋めた経塚があり、出土した仁平四(1154)年の如法経奥書には、かつて神社に隣接した神宮寺である長隆寺があったと記されている。
 また、樹齢1000年以上の高野まきの老木があり、都の記念物に指定されている。
 八王子の白山神社は、長い歴史を誇る古社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/14


行縢神社 Mukabaki-jinja Mukabaki Shrine

Jp En

 行縢神社(むかばきじんじゃ)は、行縢山の南東にあり、養老二(718)年に創建された。紀州の熊野大社の分霊が祀られ、祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)で行縢嶽三所大権現と名乗り、日向の代々藩主の崇拝が厚かった。
 行縢山は宮崎県の北部にあり、標高八三一メートルの山である。遠くから見ると屏風ような形をしている岩壁が見事な山である。
 日本武尊が熊襲征討の折、山の形が行縢(むかばき)に似ていると仰せられ、行縢山の名がついたと伝えられている。行縢とは、毛皮で作られた、腰から脚にかけて着用するものである。
 広い神域は樹木におおわれ、その間に本殿がひっそりと建っている。境内から行縢山の登山口が伸びている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/6


熊野神社(旧新宮社) Kumano-jinja(kyuu-shinguu-sha) Kumano Shrine (Old Shungusha Shrine)in Natori

Jp En

 熊野神社(くまのじんじゃ)は、宮城県名取市高舘熊野堂にある神社である。祭神は、速玉男大神、伊邪那伎大神、事解男大神。
 保安四(1123)年、熊野から勧請したと伝えられる新宮・本宮・那智社のうちの一つ・新宮社であり、この旧名から、旧新宮社(きゅうしんぐうしゃ)とも呼ばれている。
 一帯は、中世には東北地方の熊野信仰の中心的存在とされた地である。源頼朝が平泉を滅ばした時、敗れた奥州藤原氏側について捕われた、名取熊野三社の別当寺的存在にあたるとされる。
 本殿には、貞亨年間(1684~1687)に書かれたと見られる「古絵図」があり、県指定文化財になっている。
 春には無形民俗文化財の熊野堂神楽と熊野堂舞楽が、秋には神楽が行われる。
 熊野神社は、池に浮かぶ神楽殿での舞も麗しい古社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数19件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter