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2008/1/17


天目釉 Tenmokuyuu 

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 天目釉(てんもくゆう)は、中国より伝わった、五%以上の鉄分を含んだ黒色の釉薬である。
 天目という名前の由来は中国浙江省の天目山から由来している。天目山の禅寺で修行した日本の僧が、茶碗を持ち込んだのが日本での始まりと伝えられている。
 国宝にも指定されている七色に輝く虹彩を放つ「曜変天目」をはじめ、水中に浮かんだ油のような斑点模様の「油滴天目」、稲の穂先のように流れる縞模様の「禾目天目」、本物の木の葉を貼り付けて焼く「木の葉天目」などその種類は多く、産地、時代、釉調、文様、釉色等で分類されてる。
 東洋最古の釉薬ともいわれ、主に茶碗に使われながら茶道の歴史と共に今に受け継がれ、愛されている。この釉薬が生み出す茶碗には、二つとして同じ色調のものがない。その偶然性と希少性ゆえに、今も昔も陶工たちの探究心を揺さぶる釉薬である。
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2007/12/21


大池古窯 Ooike-koyou Oike Old Kilns

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 大池古窯(おおいけこよう)は、半田市にある運動公園を整備中に発見されたものである。この窯は一二世紀中頃から一三世紀初頭に操業されたもので、山茶碗を中心に焼いた小ぶりの窯として使われてきたようだ。
 当時、知多半島の丘陵では何千もの窯が築かれていた。そこで大量に茶碗を焼いたため、焼き損じもたくさん捨てていたようだ。後の世の人が山を開墾したとき、茶碗がどっさり出てきたので「山から出てくる茶碗」を「山茶碗」と呼んだと伝えられる。しかし、この茶碗を焼いたり使用していた人々が山茶碗と呼んでいたという事はないようだ。
 大池古窯は様々なスポーツ施設がある大型運動公園の中で、いこいの場となっており、八基ある窯のうち三基をそのままの状態で保存している。
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2007/11/20


八幡焼 Hachiman-yaki 

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 八幡焼(はちまんやき)は、島根県安来市広瀬町に伝わる工芸品である。県の伝統工芸品に指定されている。
 出雲の国広瀬は、その昔山陰の鎌倉といわれ、山陰山陽十一国を統治した尼子氏の月山富田城のあった山あいの郷である。
 享保八(1723)年、富田八幡宮神官・竹矢豊前と広瀬藩士・熊谷由武によって始められた。
 繊細な色あいの中にキラリと輝く鋭さを持ち合わせた青釉薬(あおゆうやく)を特色としており、青釉をほどこした食器や花器、茶器などが人々に広く愛用されている。
 呉須釉で「広瀬三万桶茶と茶漬」と謡われるぼてぼて茶用の茶碗なども知られており、釉薬と焼成の研究により木の葉天目、窯変などの作品にも力を入れている。
 最近は、伝統の茶陶のほか日用雑器なども焼かれている。
 八幡焼は、未だ日夜研究を続けられている伝統工芸品である。
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2007/11/1


茶筅 Chasen Chasen

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 茶筅(ちゃせん)は、緑茶、特に抹茶を点てるのに使う茶道具のひとつ。湯を加えた抹茶を茶碗の中でかき回して均一に分散させ、泡を立てるための道具である。
 茶道の流派や宗匠たちの好みにより使う種類が異なり、形、穂立ち、素材、流派の好みにより約120種にも及ぶ。大きく分けると濃茶用、薄茶用の2種類になる。濃茶用には、穂が荒くて数が少ない「荒穂(あらほ)」を、薄茶用には竹を細かく割った穂が細く、数が多い「数穂(かずほ)」を用いる。
 茶筅の持ち方には作法がある。利き手ではない方の手は、抹茶碗が滑らないように支え、利き手で茶筅を持ち、人差し指と中指と親指の3本で茶筅の竹の部分を握るのが正式な作法だという。筆の正しい持ち方が決まっている「書道」にも似た様式美がここから感じられる。
 茶筅は、茶道の文化に欠かせない、大切な道具のひとつである。
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2007/8/17


内田敏郎 Tosirou Utida Toshiro Uchida

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 1925年、東京都台東区生まれ。東京銀器の伝統工芸士。
 古くから独特の光沢と趣で珍重されてきた銀製品。現在、それらの九割が東京でつくられている。
 東京銀器は、絵柄の部分を切り抜き、銅や赤銅などの別の金属をはめ込む切嵌(きりばめ)の他、鍛金、彫金など、江戸時代に培われた技術・技法で、渋い艶と輝きの品々を生み出している。
 1946年より父・宇三郎氏のもとで鍛金技法を、さらに小川友衛氏のところで切嵌技法を修行。現在、鍛金の切嵌作家として活躍。切嵌を得意とする現代の銀師(しろがねし)である。
 1984年、通商産業大臣指定伝統的工芸品「東京銀器」伝統工芸士認定(鍛金部門)。
 1988年、東京都伝統工芸士に認定(東京銀器)。同年、東京都優秀技能者として表彰される。
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2007/7/25


青磁 Seiji Celadon (Seiji)

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 青磁(せいじ)は、紀元1世紀から中国で焼かれてきた歴史ある陶器である。
 元々の起源は、およそ3500年前の殷代中期に生まれた「原始瓷器」と呼ばれる中国の本格的施釉陶器に始まる。ガラス質の釉薬(ゆうやく)の中の鉄分が、炎の還元作用により青とも緑とも呼べる奥深い色に発色する青磁は、技法が確立された後漢の紀元1世紀から営々として焼き続けられてきたのである。
 青磁は諸外国の憧れの的になり、9世紀頃から日本を始めとして朝鮮半島、東南アジアにも盛んに輸出されたという。特に日本では、中国への憧憬から積極的に収集、模倣され、技法も飛躍的に発達した。
 青磁の茶碗でお茶を飲むと、お茶の色が鮮やかになることから、日本では煎茶の茶道具として一般的である。昔から茶人や大名・寺院などで大切にされてきたという。
 澄み切った海のような青と、うっすらグリーンがかった上品な色合いの青磁は、国境を越えて人々の心を捉えて放さない。
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2007/5/10


高麗茶碗 Kourai-chawan 

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 高麗茶碗は、安土桃山時代の16世紀後半、日本の茶道で重んじられた陶磁器の「好み」のひとつ。朝鮮の高麗時代に造られたものではなく、李朝時代に造られた朝鮮の茶碗の総称である。
 高麗茶碗はもともと、朝鮮の人々が日用雑貨として使っていたもので、その中でも井戸茶碗は大雑把な造りの雑器と言われていた。しかし、その素朴な器形が、日本では侘び・寂びの象徴として高く評価されることになったのだから面白い。この茶碗を千利休の審美眼により見出され、茶道具として見立てて使われ始めたのである。粗なるゆえに、土俗的で個性的な風格を備えた「自然美」は、美醜を超えたところから生まれたものとして、日本の「禅」や「茶」の意に通ずると考えられたのだ。
 高麗茶碗は、同じ作家のものでもひとつひとつに個性があり、ふたつとして同じものがない。そんなところも人々を惹きつける魅力のひとつなのかもしれない。
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楽茶碗 Rakuchawan 

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 楽茶碗は、一般にろくろを用いず、手づくね或いは型造(かたづくり)によって成形し、内窯(うちがま)と呼ばれる小規模な窯により低火度で焼成された軟質陶器。桃山時代に千利休の趣向を反映して、京都の長次郎が始めたと言われている。
 茶道の世界ではよく「一井戸、二楽、三唐津」と言われる。「二楽」の「楽」は、楽焼のことである。赤・黒の二種類ある。中でも黒楽茶碗は、茶道では第一の格とされ、濃茶に合う茶碗として有名だ。
 楽焼は、茶道が確立した秀吉の時代を中心に茶人に人気が出、茶碗の代表のひとつとなった。厚口でダイナミックな形、でこぼこのある素朴な地肌が特徴だ。どっしりとした重厚感も魅力のひとつである。
 楽焼は、四百年以上も茶人に愛されてきた、手作りゆえの良さが活きる一級品である。
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