NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


寒川神社 Samukawa-jinja 

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 神奈川県高座郡寒川町宮山にある寒川神社(さむかわじんじゃ)は、相模国では最も社格の高い神社・一宮として長い歴史を持つ。
 創建時期については神亀四(727)年に社殿を建立したという記録もあり、定かでない。
 祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)。祭神については様々な諸説はあったが、明治九(1876)年に現在の祭神とした。
 歴史上では源頼朝、北条義時、武田信玄といった武将や、徳川家代々より崇敬を受けたと伝えられる。また、国内唯一の方位除・八方除の守護神として信仰を受けている。
 八方除の祈願は地相・家相・方位・日柄・厄年などに由来する全ての災難を取り除き、生活が好転・向上するようにと願うことである。その年が「八方ふさがり」に当たる人が八方除けの祈願のために特に多く訪れる。
 一年を通して祭りと行事が行われ、参拝者も後を絶たない神社である。
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2008/9/25


お鷹の道 Otakano-michi 

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 お鷹の道(おたかのみち)は、東京都国分寺市にある全長350mの遊歩道である。
 江戸時代、市内の村々は尾張徳川家の御鷹場に指定されていた。それにちなみ、武蔵野台地を多摩川が浸蝕して出来上がった国分寺崖線(がいせん)の下の、湧水が集まり野川にそそぐ清流沿いの小径を「お鷹の道」と名づけた。
 道の途中には真姿の池が存在し、池を含めた湧水群は全国名水100選、及び東京の名湧水57選のひとつに選ばれている。また、六月下旬~八月はホタルが見られる事もある。池には、承和一五(848)年、絶世の美女・玉造小町が病気に苦しみ、武蔵国分寺で病の平癒を願ったところ、霊示を受けて快癒したとの言い伝えが残る。
 四季折々の散策路として人気がある、人々憩いの場所である。
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2008/9/12


臨春閣 Rinsyunkaku 

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 臨春閣(りんしゅんかく)は、神奈川県横浜市にある庭園、「三溪園」(さんけいえん)内にある数寄屋風書院造りの別荘だ。
 三溪園は明治の実業家、原三溪が五万三千坪もの広大な自宅敷地内に大小さまざまな建築物を移築して公開した庭園である。
 臨春閣は、その広い園内の北側を占める内苑に位置している。
 元は紀州徳川家初代藩主、徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市を流れる紀ノ川のほとりに建てた「厳出御殿」である。慶安二(1649)年に建てられ、日本に残る唯一の大名別荘建築として、国の重要文化財にも指定されている。この厳出御殿を大正四(1915)年に園内に再建、原三溪自身が臨春閣という名をつけた。
 来客や家臣の控所である第一屋と紀州候が来客と面会した第二屋、奥方の居間である第三屋で構成されており、襖絵は狩野探幽や狩野安信らによって描かれている。
 様々な木々と苑池が織り成す趣きある庭の中で、堂々たる佇まいを今に伝えている。
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2007/2/14


清洲城 Kiyosu-jyou Kiyosu Castle

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 愛知県清須市にあるお城。
 歴史は、1405年、尾張・遠江・越前守護の斯波(しば)義重によって築城された。また代々尾張守護、織田家の本城として、天下布武への足がかりの拠点である。1478年には尾張国の中心的地となる。
 その後、織田信長が本能寺の変で没すると信雄が相続した。しかし後の天下人豊臣秀吉に逆らい、追い出され福島正則が城主となる。
 関が原の戦いで、徳川家が入城するようになる。
 名古屋城ができた頃の1609年城下町が入れ替わり、また、清洲城の資材を利用して名古屋城を完成させたため、廃城となった。
 現在の「清洲城」は1989年に復元されたものである。場所も実際にあった場所ではないものの、五条川にかかる赤い橋(大手橋)とともに、清須市のシンボルとなっている。
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2007/2/7


護国寺 Gokoku-ji 

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 護国寺は、東京都文京区大塚にある真言宗・豊山派の大本山である。本尊は如意輪観音。
 護国寺は、天和元(1681)年、五代将軍綱吉の生母桂昌院の発願で、雑司ヶ谷御薬園に建立された。
 開山は亮賢。江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所とされる。
 元禄七(1694)年、綱吉は桂昌院とともに護国寺に参詣し、以来桂昌院は30数度、綱吉は16度に及び護国寺を訪れている。
 護国寺は徳川家に所縁の深い寺であったが、明治になって三条実美がここに墓を建てると、以後顕官、軍人、実業家が競ってここに墓所を定めた。
 また、茶道の総本山としても有名である。
 護国寺は、近代日本との縁も深い、厳かな寺院である。
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