|
箟岳山(ののだけさん)は、古くから信仰の山として広く知られており、この山の山頂にあるのが別名・箟岳観音と呼ばれる箟峯寺(こんぽうじ)である。奥州三十三観音第九番札所に数えられ、松島の富山・石巻の牧山と並んで奥州三観音の一つでもある。
光仁天皇の勅願により宝亀元(770)年に草創され、延暦二〇(802)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の後に観音堂を建立した。
最初、この山は非常に霧が深いことから霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と呼ばれていた。その後嘉祥二(849)年、慈覚大師が布教のためこの地に来たとき、堂宇を増建し、無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)と改称した。
境内の石段を登ると八脚門の山門がある。山門の中にある朱塗りの仁王像が笑みを浮かべている。また、本尊は十一面観音で、観音堂は二度焼失したが、現在の建物は嘉永四(1851)年に再建されたものである。
光仁天皇の勅願により宝亀元(770)年に草創され、延暦二〇(802)年、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の後に観音堂を建立した。
最初、この山は非常に霧が深いことから霧岳山正福寺(むがくさんしょうふくじ)と呼ばれていた。その後嘉祥二(849)年、慈覚大師が布教のためこの地に来たとき、堂宇を増建し、無夷山箟峯寺(むいざんこんぽうじ)と改称した。
境内の石段を登ると八脚門の山門がある。山門の中にある朱塗りの仁王像が笑みを浮かべている。また、本尊は十一面観音で、観音堂は二度焼失したが、現在の建物は嘉永四(1851)年に再建されたものである。
[+ADDRESS] |