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阿波和紙は、阿波(徳島県)の麻植郡山川町を中核として漉かれた紙で、地元特産の藍を使った染紙が多く作られた。
阿波和紙の始まりは、1300年ほど前、朝廷に仕えていた忌部族がこの地に入り、麻や楮を植えて紙や布の製造をした記録が古語拾遺(807年)に見られる。
江戸時代に入り、寛永十三(1636)年、藩の政策として製紙業に力を入れはじめ、農家の副業に紙づくりを奨励した。阿波藩の藩札や奉書、仙画紙などの御用紙の他、特産の藍を使った藍染和紙により全国にその名が知られた。
その後は明治二十三年のパリ万国博へ出品されるなど繁栄し、紙すきの戸数も明治の最盛期には合計700戸を数えた。
現在は日常生活での必需品は洋紙へと移行し、和紙が創り上げてきた伝統的生活文化は、日々の暮らしから離れつつあると言える。
阿波和紙の始まりは、1300年ほど前、朝廷に仕えていた忌部族がこの地に入り、麻や楮を植えて紙や布の製造をした記録が古語拾遺(807年)に見られる。
江戸時代に入り、寛永十三(1636)年、藩の政策として製紙業に力を入れはじめ、農家の副業に紙づくりを奨励した。阿波藩の藩札や奉書、仙画紙などの御用紙の他、特産の藍を使った藍染和紙により全国にその名が知られた。
その後は明治二十三年のパリ万国博へ出品されるなど繁栄し、紙すきの戸数も明治の最盛期には合計700戸を数えた。
現在は日常生活での必需品は洋紙へと移行し、和紙が創り上げてきた伝統的生活文化は、日々の暮らしから離れつつあると言える。
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