旧益田家物見矢倉 Kyuu-masuda-ke-monomiy-agura Monomi Yagura of the Old Masuda Family’s Residence
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矢倉とは武器を収納する倉のこと。見張り台も兼ねたものは物見矢倉と呼ばれ、天井が高い造りとなっている。
益田家は萩藩(長州藩)の重臣で、永大家老を務めた。
旧益田家の物見矢倉は、かつての萩城三の丸(堀内)にあり、入母屋作り、平屋建ての建物。高さ1・8mの石組みの上に建てられ、総門から入る人々を見張っていた。棟瓦、懸魚(屋根につける妻飾り)、格子窓など、凝った意匠が施され、別名「矢倉長屋」とも呼ばれている。
萩城の各総門にあった物見矢倉も現在では、この一箇所のみが残るだけであるが、ここの周囲は、物見矢倉をはじめ、長屋門が続くなど、城下町の雰囲気を色濃く残している。
益田家は萩藩(長州藩)の重臣で、永大家老を務めた。
旧益田家の物見矢倉は、かつての萩城三の丸(堀内)にあり、入母屋作り、平屋建ての建物。高さ1・8mの石組みの上に建てられ、総門から入る人々を見張っていた。棟瓦、懸魚(屋根につける妻飾り)、格子窓など、凝った意匠が施され、別名「矢倉長屋」とも呼ばれている。
萩城の各総門にあった物見矢倉も現在では、この一箇所のみが残るだけであるが、ここの周囲は、物見矢倉をはじめ、長屋門が続くなど、城下町の雰囲気を色濃く残している。
- 住所
- 758-0057 山口県萩市堀内391-1
- 名前
- 旧益田家物見矢倉