NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/20


盛美館 Seibi-kan 

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 盛美館(せいびかん)は、青森県平川市猿賀の名庭園・盛美園内にある洋館である。
 明治四〇(1907)年、建築家西谷市助によって建てられた。
 庭園を眺めるために建てた和洋折衷様式の建物であり、和洋と洋風、判然と異なった様式が上下に重なる建物は珍しく、他に例がないといわれている。
 一階は純和風の数奇屋造りで、贅を凝らした書院からの眺める景観が素晴らしく、二階はルネッサンス調を漂わせ、漆喰の白壁に、展望室のドーム屋根、尖塔、棟飾りなどが見事である。
 鹿鳴館時代の特徴を表した珍しい建物で、庭園と融合した独特の美しさをもち、明治文化の面影を残している。
 盛美館は、緑色の屋根と白壁の色彩が庭園に溶け込む、盛美園のシンボルと言える建物である。
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2007/6/15


城下町 小幡 Jouka-machi Obata Castle Town of Obata

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 城下町・小幡(おばた)とは、群馬県甘楽郡甘楽町小幡にある、小幡氏等が統治した2万石の小さな城下町の事である。
 室町時代の小幡氏にはじまり、織田氏、松平氏の支配下に栄えてきた。
 元名元(1615)年、織田信長次男・信雄を藩祖に、8代152年に渡って統治された。
 街の中央には日本名水百選に選定される雄川堰が流れ、その堰には桜並木が広がる。道路左側には蔵屋敷が続き、幅14mの中小路には武家屋敷の白壁がまぶしい。
 毎年4月の第3日曜には、城下町小幡さくら祭りが開催される。
 鎧・兜に身を固めた馬上の大将に鉄砲隊、女武者などが町中を練り歩く武者行列は壮観で、お祭り広場では火縄銃実演や下仁田荒船太鼓の演奏なども行われる。
 小幡は、江戸時代の面影を強く残している城下町である。
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2007/6/1


口羽家住宅 Kuchiba-ke-juutaku The Residence of the Kuchiba Family

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 萩藩(長州藩)寄組士、口羽家(永代家老に次ぐ寄組という役職)の住宅。旧萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く、かつ全国的にも比較的数の少ない武家屋敷のひとつとして貴重なものである。
 毛利家江戸藩邸の門を移したと伝えられる、国の重要文化財の表門は、桁行22.2m、梁間4.9mの入母屋造り本瓦葺きである。表側は白壁、腰下はなまこ壁が美しい長屋門で、萩に現存する屋敷門の中で最大のもの。、主屋は、切妻造り桟瓦葺きで、入母屋造りの突出部を付けている。座敷と奥座敷の間に武者隠しと見られる2畳の「相の間」が設けられているのが特徴である。
 建築時期は18世紀末から19世紀ごろと思われ、現在も、往時と同じそのままの場所に残っている。
 口羽家住宅の主屋と表門は国の重要文化財に指定されている。
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2007/5/29


草津宿 Kusatsu-juku Kusatsu-juku

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 草津宿(くさつじゅく)は、滋賀県草津市にあった東海道52番目、中山道68番目の宿場である。本陣は、国指定の史跡となっている。
 東海道と中山道が合流・分岐する交通の要衝として栄えた宿場町であり、宿帳には赤穂浪士や新撰組の著名な名前も見られ、当時の賑わいがうかがえる。
 宿場の歴史は古く、鎌倉時代には交通の要として重要視され、信長・家康の政策により宿場機能が整備された。
 今でも草津宿本陣が公開されており、貴重な資料が残されている。名物として安藤広重の画中にも描かれた「姥が餅」が有名である。
 草津宿本陣は、寛永一二(1635)年、設置された旧街道沿いに立つ白壁の建物で、江戸時代に大名や公家などの宿泊所だった。
 草津宿は、古く平安時代から続く交通の要所であった、長い歴史を誇る宿場である。
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2007/5/9


箕浦家武家門 Minourakebukemon The Buke-mon Gate of the Minoura Family

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 鳥取県は県道323号線を挟んで県庁と向かい合わせに、白壁造りの堂々とした武家門が建つ。「箕浦家武家門」である。
 もともとは江戸時代の旧藩士・箕浦家二千石の武家屋敷の表門で、鳥取城のお堀端の南隅にあったもの。昭和十1(1936)年に鳥取師範学校の増改築の際に、校門として現在の位置に移築された。
 その後、鳥取大学付属中学校の通用門として使われ、県立図書館の新築に伴い解体修理され、現在に至る。市内に現存する唯一の武家門として鳥取市の保護文化財に指定、保存の対象となっている。
 白いナマコ壁に黒い瓦葺のコントラストが美しい。威風堂々としたその姿は、江戸の侍の威厳をそのまま映したかのようである。
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若桜 蔵通り Wakasa kuradoori The Storehouse Street in Wakasa

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鳥取県の若桜町はかつて、因幡と播州を結ぶ城下町・宿場町であった。正治二(1200)年に矢部氏が鶴尾山に鬼ヶ城を築いて以来、城下町として繁栄したが、一国一城制で廃城となってからは、若桜街道の宿場町として栄えた。
 その名残をとどめるのが「蔵通り」。旧家の白壁土蔵群の通りが残っており、往時の若桜宿の繁栄ぶりが偲ばれる。
 若桜宿はたびたび大火に見舞われたため、明治十八年には、この通りでは土蔵以外の建物を建てることが禁止された。そのため、このような土蔵群が形成されたのである。
 「水にせかれて、ちょいと川に棲む」と野口雨情が若桜小唄に歌ったようにあちこちで清流の音が聞こえるのも風情がある。徒歩15分程度で一周でき、情緒ある格好の散歩道となっている。
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2007/5/8


倉吉 白壁土蔵群 Kurayoshi Shirakabedozougun A Group of Storage Houses in Kurayoshi

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 鳥取県倉吉市の白壁土蔵群は、東仲町から新町に残る、日本情緒を残す街並みである。
 市内を流れる玉川沿いには、昔ながらの土蔵や商家の町並みが保存され、往時の倉吉の面影を残している。
 これらの土蔵は江戸時代から明治にかけて建てられた酒蔵や醤油蔵で、漆喰の白い土壁、焼杉の黒い腰板、赤い瓦などが懐かしい風情を醸し出している。 ここ倉吉は江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を再興した牧田仁右衛門ゆかりの町で、近くの大連寺には、淀屋牧田家の代々の墓がある。
 玉川に架けられた石橋や、赤瓦の落ちついた町並みをそぞろに歩いていると、時間がゆったりと流れていくのが感じられる。
 今はほとんどが、地元の伝統産業体験施設と特産品のお土産売り場として利用されている。
 白壁土蔵群は、倉吉を象徴する昔懐かしい街並みである。
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加茂川と土蔵 Kamogawa-to-Dozou The Kamo River and the Storehouses

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 鳥取県米子市天神町付近にある加茂川と土蔵は、日本情緒溢れる町並である。
 商都として栄えた米子には、江戸時代から明治にかけての佇まいが随所に残され、旧加茂川岸に建ち並ぶ白壁の土蔵と数多く架けられた橋が、江戸時代に商港として栄えた往時の面影を偲ばせている。
 旧市役所の横から米子港へ下る加茂川に沿って古い商家の家並みが続き、なまこ塀の土蔵や連子窓の家が川面に影を映す。
 江戸時代に海運業を営んだ後藤家もあり、この古い家構は国の重要文化財に指定されている。
 町並みを水面からゆったりと眺められる遊覧船もあり、昔懐かしい風景に浸ることが出来る。
 加茂川と土蔵は、米子市を象徴する江戸情緒一杯の場所である。
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