NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/5


立て干し網 Tate-boshi-ami 

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 立て干し網(たてほしあみ)は、愛媛県御荘町に明治中期頃から伝わる漁法のひとつである。晩春の干潮の汐差が最も大きい日に、湾に延長約700メートルの網を立て、潮が引いた際に取り残された魚を手づかみや手網で獲る。
 この昔ながらの「立て干し網」を由来とし、毎年五月の連休頃の大潮の日に、多くの参加者を募り「立て干し網大会」を開催している。年々、参加者の増加にともない、ハマチ・マダイ・アジなどが合計約2万尾、アサリが約2トンほども放流され、それらを網と軍手、アサリを掘る道具などで捕っていく。
 普段、魚や貝などに触れる機会が減った現代、自然と直に触れ合える数少ない貴重な体験ができるとして、多くの観光客や家族連れで賑わう。全国一のスケールをもった初夏の風物詩である。
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2007/5/31


野付半島と打瀬舟 Notsukehantou-to-dasebune Notsuke Peninsula and Utasebune Fishing Boat

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 北海道の知床半島と根室半島のちょうど中間辺りに、オホーツク海に突き出た、まるでエビのような形をした日本最大の砂嘴(さし・海中に細長く突き出した地形)がある。これが野付半島で、全長およそ26キロメートルにも及ぶ。トドワラ、ナラワラび特異な景観は多くの人を引きつけている。
 この野付半島では、春と秋に、打瀬舟(うたせぶね)と呼ばれる、この地域ならではの帆船でシマエビ漁が行われる。打瀬舟は、大きな三角の帆を立てて、風の力のみで網を引く伝統的な漁法で、袋状になった七つの網で海の底を曳きながら北海シマエビを捕るもの。これは餌となる海草の一種アマモを傷つけないようにするためだという。
 打瀬舟は野付湾の風物詩として知られ、霧にかすむ海原にゆらめく舟影は幻想的だ。舟には乗ることはできないが、打瀬舟での漁の様子は、野付観光汽船から見ることができる。
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2007/5/25


留萌のニシン街道 Rumoino-nishin-kaido 

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 「留萌(るもい)のニシン街道」は、かつて北海道の留萌市がニシン漁で活況を呈していた名残を残す番屋(漁家建築の呼称)街だ。
 ニシン漁は北海道独自の漁法をで、松前藩時代から盛んに行われていた漁である。豊漁の時には巨大な富をもたらしたかと思えば何年も凶漁が続く。それでも、夢をかけてニシン漁親方は漁に備えていた。
 留萌のニシン街道の番屋の代表的なものが「旧花田番屋」である。最盛期には18ヶ所の漁場を経営し、500人を超す漁夫を抱えていたと言う。内部は、中央に土間を挟み、贅を尽くした住居部分と板張りの間と寝台が設けられており、漁夫のための住居部分に分かれている。
 他に「旧佐賀番屋」「旧岡田番屋」と特徴のある番屋が続く。往時の施設、ニシン船、漁具とともに生活用品等がそのまま残されており、今すぐニシン漁ができるほどと言われている。
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2007/4/5


四万十川 Shimanto-gawa Shimanto-gawa River

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 四国で最も長い川。
 標高1336メートルの不入山(いらずやま)の東斜面に源を発し、主な支流だけで35、支流の総数318。四国西南地域を大きく蛇行しながら、落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぐ。
 源流域には、津野町の北部や、梼原町などが含まれ、四国カルストや天狗高原、四万十源流の森、四万十源流の家など、四季折々の大自然と景勝にめぐまれた観光ポイントがある。また下流域には、観光屋形船やトンボ自然公園、佐田の沈下橋などの見どころがある。
 その豊富な自然は、たくさんの水生生物を育み、、それに関わる珍しい漁法なども現存している。
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2007/1/25


大分 鵜飼い Ooita Ukai Oita Cormorant Fishing

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 大分県では、日田市を中心に鵜飼い漁が行われている。
 鵜飼いの歴史は古く、日本書紀や古事記にも記載されている。中国の史書「隋書」にも、日本を訪れた隋使が見た、変わった漁法として紹介されている。
 鵜飼漁で獲れる魚には傷がつかず、鮮度が非常に良い。このため、鵜飼鮎は献上品として殊のほか珍重された。
 しかし、明治後に大名等の後援を失った鵜飼は全国から次々と姿を消していき、現在の鵜飼は、観光事業として残っている。
 日田では、三隈川の鮎漁解禁に合わせ5月20日〜10月31日まで、鵜飼を見る事ができる。
 62艘の屋形船が明りを灯し三隈川に浮かぶ風景は、この町ならではの優雅な風物詩となっている。
 1966年、大分県の重要無形文化財の指定を受けた。
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2007/1/22


三重 海女さん Mie Amasan Mie Women Divers

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 三重県には、昔から素潜りで海産物を獲ってくる海女さんが多くおり、海の風物詩となっている。
 終戦直後、三重県の鳥羽・志摩地方には6000人以上の海女さんがいたという。
 その後は漁業資源の減少、価格の低迷、過酷な労働条件などで後継者が現れず、高齢化が進み、今では1300人程となってしまった。
 海女さんが狙う獲物は主に鮑、サザエ、ナマコだが、熟練の技を持つ、ほんの数人の海女さんは、伊勢えびを傷付けず捕獲する事が出来る。
 海女さんが行うこの漁法は、乱獲を防ぐ効果もあり、現代でこそむしろ重宝する方法である。
 三重の海女さんというのは、今を生きる伝統漁法の伝達者であるといえよう。
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2007/1/12


魚垣 Nagaki Nagaki Fishing Enclosures

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 魚垣(ながき)は、沿岸に石を積み上げ垣としたもので、潮の干満を利用した漁法である。
 石垣よりも海面が上にある時に魚がこの内側に入り、干潮と共に海面が石垣よりも低くなると、魚は逃げ場を失い面白いように捕獲出来るという仕掛けになっている。
 沖縄・九州のほか、ポリネシア、東南アジアなどでも見られる漁であるが、日本では現在、特に沖縄の伊良部島・佐和田の浜と、小浜島の南岸が代表的である。
 特に小浜島のものは、幅12m、長さ1200mにも及ぶ世界最大級の魚垣である。昔、琉球国王に仕えた島出身の女官のために築いたと言われている。
 長い年月が経って、多くは崩れてしまったが、今も利用されているものもある。魚垣は、遊び心をくすぐる伝統の漁法である。
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