小倉山城 Ogurayama-jou
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小倉山城(おぐらやまじょう)は、岐阜県美濃市泉町にあった城である。
慶長一〇(1605)年、飛騨国高山藩主であった金森長近(かなもりながちか)は、養子の可重に高山城を譲り隠居し、隠居城として小倉山城を築城した。
二年後、長近が没すると、可重は長近の実子長光に2万石を分地したが、慶長一六(1611)年、金森氏は跡継ぎが無く没したため取りつぶしとなり、小倉山城は廃城となった。
元和元(1615)年、尾張徳川家の所領となり、廃城となっていた小倉山城に代官所が置かれ、以後明治維新まで続いた。
現在、小倉山は小倉公園として整備されている。遺構としては石垣と土塁が現存しており、本丸に模擬櫓、山頂に三階建ての展望台と忠魂碑が建造されている。
小倉山城は、城として使用されたのは短期間であったが、その後代官所として利用され、人々に親しまれた城である。
慶長一〇(1605)年、飛騨国高山藩主であった金森長近(かなもりながちか)は、養子の可重に高山城を譲り隠居し、隠居城として小倉山城を築城した。
二年後、長近が没すると、可重は長近の実子長光に2万石を分地したが、慶長一六(1611)年、金森氏は跡継ぎが無く没したため取りつぶしとなり、小倉山城は廃城となった。
元和元(1615)年、尾張徳川家の所領となり、廃城となっていた小倉山城に代官所が置かれ、以後明治維新まで続いた。
現在、小倉山は小倉公園として整備されている。遺構としては石垣と土塁が現存しており、本丸に模擬櫓、山頂に三階建ての展望台と忠魂碑が建造されている。
小倉山城は、城として使用されたのは短期間であったが、その後代官所として利用され、人々に親しまれた城である。
- 住所
- 501-3729 岐阜県美濃市泉町1571-1
- 名前
- 小倉山城