NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


比木神社 Hiki-jinja Hiki Shrine

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 西暦660年、唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた朝鮮の古代国家「百済」、その王族や武官の多くは日本に亡命したと言われている。
 その王族のひとりである福智王(ふくちおう)は、現在の高鍋町蚊口浦に流れ着き、木城町に住んだと伝わる。
 福知王が住んだ場所は火棄(ひき)と名づけられ、王の亡き後は火棄大明神として祀られた。仁寿二(852)年、火棄は「比木」と改められ、現在の比木神社へと至る。
 言葉こそ通じなかったが、福知王をはじめ、高い文化を持った百済の人々は、多くの住民達に崇められ、その地に神として祀られたとされる。
 福知王の比木神社と父・禎嘉王(ていかおう)が祀られている神門神社の間で、年に一度二人が対面する儀式が行われている。異国の地で王を守り続け、亡くなった百済の人々を慰める儀式でもある。
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宮崎 舞鶴公園桜まつり Miyazaki Maizuru-kouen-sakura-matsuri Maizuru Park Cherry Festival in Miyazaki

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 高鍋町の舞鶴公園は高鍋城跡に整備された公園で、平安期の面影が堀に残る歴史のある名所である。高鍋城はその地形が鶴が羽を羽ばたかせる姿に似ていることから舞鶴城とも呼ばれたという。
 「舞鶴城址桜まつり」とも呼ばれる「舞鶴公園桜まつり(まいづるこうえんさくらまつり)」は毎年三月下旬から四月上旬にかけて行われる。
 園内には昭和二五年に植栽された約一〇〇〇本のヤマザクラやソメイヨシノが毎年見事な花を咲かせている。またツツジも約二〇〇〇本植えられており、桜の美しさに彩を与えている。期間中、夜にはライトアップされ、夜桜が楽しめる。
 祭りの期間中、園内ではスポーツ大会、物産展、スケッチ大会、演芸大会、お茶会、「舞鶴灯籠」の点灯などたくさんのイベントが開催されるため、たくさんの人で賑わう。
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高鍋城灯籠まつり Takanabe-jo-tourou-matsuri Takanabe Castle Lantern Festival

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 高鍋城灯籠(たかなべじょうとうろう)まつりは宮崎県児湯郡高鍋町で行われる、町をあげてのまつりである。
 三代藩主・秋月種信(あきづきたねのぶ)が開いた藩校「明倫堂」の教えである「人の道を広く育む」をテーマとし、毎年一〇月一五日をメインに舞鶴公園とその周辺で開催される。
 町中では、会場を中心にいたるところで石灯籠や竹灯籠などが設けられ、一五〇〇基あまりの灯篭に明かりがいっせいに灯され、城下町を幻想的に彩る。中には小中学生が描いた絵を紙灯篭にするなど、ユニークなものも見られ、町と住民が一体になったまつりである。
 同時に高鍋城のお堀周辺では、毎年、ジャズなど多彩な企画による「堀床の宴」と称されるイベントが開かれる。
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2007/9/13


日向十五夜祭り Hyuuga-jyuugoya-matsuri Jugoya Festival (Moon Festival) in Hyuga

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 日向十五夜祭り(ひゅうがじゅうごやまつり)は宮崎県日向市で毎年中秋の名月の頃に催される祭りで、人々からは「十五夜さん」とよばれている。
 日向市あげての祭りであり、見立細工や花屋台が奉納され、舞踊隊が道一杯を練り歩くことで有名である。沿道では多数の人々が見物し、県外からも多くの観光客が訪れる。
 この祭りのルーツは、壇ノ浦の戦いで、椎葉に逃げ落ちた平家の武者を追ってきた、那須与市(なすのよいち)、工藤祐経(くどうすけつね)の二人の武将がいた。彼らが兵士の士気を高めるため、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請し建てた、富高八幡宮の祭礼が始まりといわれている。
 近年では日向市に八百年前から受け継がれている日向十五夜太鼓も組み込まれ、まつりの雰囲気を一層盛り上げている。
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2007/8/29


高鍋城址 Takanabe-jou-shi 

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 高鍋城址(たかなべじょうし)一帯は舞鶴公園として整備され、二の丸表門が公園の正門にあたる。
 元々は財部城(たからべじょう)と呼ばれ、奈良時代に柏木左衛門尉が創築したと伝えられるが定かではなく、斉衡年間(854~56)に宇佐八幡宮の神官であった土持氏が入り、以後室町末期まで六百年にわたり土持氏の居城であった。
 後に高鍋城と改称されるのは、江戸時代の三代藩主秋月種信の頃で、この時大々的に城の拡張と城下町の整備が完成した。
 高鍋城は標高74mの丘陵に築かれ、丘の中腹に本丸、一段下った平地に二の丸、更に下ったところに三の丸を配した縄張りで、丘陵上には三層の櫓が築かれていた。その姿が羽ばたく鶴に似ていることから別名「舞鶴城」とも呼ばれる。
 二の丸跡の石段を上ると、本丸の正門であった長峰門跡を経て本丸跡にでる。政庁と奥御殿があった箇所に本丸政庁跡の標柱が立ち、本丸跡から更に上ると、見事な石垣が部分的に残っている。
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持田古墳群 Mochida-kofun-gun 

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 高鍋町は、九州の東側、宮崎県中央部海岸沿いに位置しており、宮崎平野の北部にあたる。ここには古くから多数の古墳があちらこちらに存在し、そのひとつが持田古墳群である。この辺りに昔から有力な勢力が高鍋周辺に栄えていたことをうかがわせる。
 持田古墳群は国の指定史跡で、五~六世紀ごろに作られた大小八五基の古墳群である。この第二五号噴から青銅鏡が出土されている。人類は太古の昔、水面に自分の姿を映していたが、鉱物を研磨することで鏡を作り出すことを覚え、銅鏡を製造したといわれる。
 毎年一〇月下旬には持田古墳群二六号墳(山の神塚)前に祭典場を設け、先祖の霊を慰め敬う。
 また、古墳の一角には持田古墳群の霊を慰めるため、岩岡保吉が半生をかけて作り上げた七百体あまりの石仏群が高鍋大師に鎮座する。
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2007/8/3


高鍋神楽 Takanabe-kagura The Takanabe Kagura Dance

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 高鍋神楽(たかなべかぐら)は、宮崎県児湯郡の高鍋町、木城町に伝わる神楽である。県指定無形民俗文化財とされる。
 起源は明らかでないが、国碑や神社の遺物から推定すると遠く平安時代から舞われていたと思われる岩戸系神楽である。
 旧藩秋月氏領内の高鍋を中心として川南、新富、木城の各神社に奉納され、現在33番が伝わり、夜を明かして、静かで華麗な神楽が舞われる。
 明治以前は藩主の保護・奨励もあって、数百年の伝統と由緒深い比木神社(ひきじんじゃ)が代表的位置を占め、神楽行事を催して発達してきた。
 元来は、各鎮守に奉納する集落の行事であり、高鍋神楽の奉納を「大神事」ともいい、今は旧郷六社を年巡する。
 高鍋神楽は、清楚優美、昔の民俗を偲ぶ伝統芸能である。
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元禄坊主おどり Genroku-bouzu-odori Genroku Bouzu Dance

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 元禄坊主おどり(げんろくぼうずおどり)は、宮崎県児湯郡新富町三納代宮之首の厳島神社にて、毎年旧暦の8月15日に奉納されている踊りである。町指定無形民俗文化財とされる。
 元禄坊主おどりは、宮之首、平伊倉、矢床、奥の4地区で室町時代から伝承されてきており、旧高鍋秋月藩の頃は、藩士ゆかりの神社である、日置水沼神社を中心とした水神祭で踊られた。
 踊りは坊主、奴、嫁女の3人を一組とし、踊手5組以上、唄手、太鼓、拍子木で構成される。
 踊りの主題は五穀豊穣で、奴と嫁女が仲良く踊る所に坊主が割り込んで邪魔をする物語を入れている点や、唄の中に江戸中期以降に流行する人情劇の主題を入れている点などが興味深い。
 元禄坊主おどりは、長い間人々に受け継がれてきた、歴史ある民俗芸能である。
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