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2008/10/23


帆布竹刀袋 Hanpu-shinai-fukuro 

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 この帆布竹刀袋は、国産の8号帆布と天然皮革で創ったフリーサイズの2本入竹刀袋である。
 帆布は厚手の綿織物で、帆船の帆やテントなど、様々な用途で使用されている。張りがあり丈夫で、天然素材のため、風を良く通し中の物が蒸れない。
 使っているうちに柔らかくなり、馴染むと味が出てくるのが特徴で、時間が経つに連れて新品の時とは違った風合いになる。
 32や34など短い竹刀の場合、上部を折り曲げて固定する、小学生から大人まで使える竹刀袋で、素早く開閉できるマジックテープ式は便利であり、ファスナーをスッと開ければ誰でもスムーズに竹刀を取り出せる。
 鍔・鍔止めは上部ポケットに収納されており、背負い紐は長さを無段階調節できる。木刀の持ち運びにも便利な革ベルトと足元ポケット付。
 帆布竹刀袋は、丈夫で使うほどに味の出る、便利な竹刀袋である。
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2008/8/22


【祭】 Sai, Matsuri Festival

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 現在「まつり」という言葉は、「店のセール」のように宗教的な場面以外でも用いられることがあり、古代と比べると少しかるい意味になっているかもしれません。
 「祭」の字はもともと霊廟で祖先霊をまつるシーンを写しています。右上の「又」は手、左上の「月」の部分は供え物の肉、そして下の「示」は祭壇で、祭壇に供え物の肉を手でささげる儀礼の一環を表します。ウ冠を付けますと、「察」になり、神意をはかるという意味になります。「際」の阝偏は神の梯子で、この捧げ物を行う儀式の結果、神が降りてきます。
 甲骨文には、祭壇である「示」がなく、これが「祭」の字の出発点ですが、「示」が金文以降、加わることになりました。「禮」の原形にも「示」偏がないように、早い段階の文字では、甲骨という硬い媒体に刻まれたため画数が少ないことがよくあります。「師」の字にもみられるように、肉をささげて祖霊を祭る習慣が古くからありますが、「祭」の甲骨文字の「肉」の部分にある点の字形は血の滴です。
 
■右 祭・金文(きんぶん)
■左 祭・甲骨文(こうこつぶん)
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2008/7/23


大堀相馬焼 炭化たたらコーヒーカップ&ソーサー Ooborisoumayaki Tankatatara-kouhikappu&sousaa 

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 江戸時代初期に始められた大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)。相馬藩が保護・育成し、300年の伝統を誇る。
 ひび割れが模様のように器全体をおおっている事から「青ひび」と呼ばれており、このひび割れ模様が、作品を親しみやすいものにしている。
 また、ろくろによる成形の段階で、外側と内側を作る二重焼によって、中の飲み物が冷めにくくなっている。
 炭化たたらコーヒーカップ&ソーサーは、こげ茶色に白い釉薬を掛け、小さい花を付けた、落ち着きのある、可愛らしいイメージの品物である。
 ソーサーはまん丸でなくたまご形で、カップに合わせたほど良い大きさと質感を持っている。
 大堀相馬焼・炭化たたらコーヒーカップ&ソーサーは、素朴な味わいのある手の込んだ品である。
 
サイズは
カップ  径77×高80mm
ソーサー 140×115mm
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2008/5/30


光岳 Tekari-dake 

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 光岳(てかりだけ)は、静岡県静岡市葵区~長野県飯田市にまたがる、標高2591mの山である。日本百名山の一つとされる。
 南アルプス最南端の高山であり、山名の由来となったテカリと光る岩峰は、頂上から少し離れた南西のシラビソなどの原生林の中にあり、白っぽい石灰岩の二つの岩峰が突出していてよく目立つ。
 ハイマツは世界最南端といわれており、他にコケモモ、ガンコウラン、チングルマ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、キバナシャクナゲなどの高山植物も多い。
 頂上付近に広がる牧歌的なセンジヶ原は、二重山稜の間にある準平原の跡といわれ、亀甲土状が作られていく前の段階で、草に縁どられた島のような幾何学模様をしている。
 光岳は、豊富な自然とハイマツで知られる高山である。
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2008/2/29


十五夜火とぼし Juugoya-hi-toboshi 

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 十五夜は毎年旧暦の八月一五日、現代でいうと毎年九月から一〇月の初旬頃にあたる。すすきやお団子をお供えして縁側で中秋の名月を眺める静かな印象だが、地域によっては大変賑やかな風習が残る。
 鹿児島県南さつま市には綱引きや相撲を月に奉納する十五夜行事が伝承されている。準備段階にあたる十五夜を知らせる踊り、口説き唄やお囃子、茅引き、綱ねりなどもすべて行事のひとつであり、集落ごとに少しずつ異なっている。
 坊津町の上ノ坊には十五夜火とぼし(じゅうごやひとぼし)と呼ばれる風習がある。
 綱の材料の100キロほどの茅(かや)を山から持って降りる際に、たいまつをたいて村人に知らせるものだ。
 山の中盤付近で、青年たちが番茅と呼ばれる太く束ねた茅の松明を、火の粉を散らしながらぐるぐる回す。番茅はおよそ一七本ほど。その後口説き歌を歌いながら手分けしてふもとまで運びきる。
 この十五夜火とぼしは「南薩摩の十五夜行事」のひとつとして国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2008/1/29


【史】 Shi History

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 歴史の「史」という学問関係の漢字ですが、史の意味の背景は案外に知られていません。中国では、歴史執筆は非常に早い文明の段階からありました。このことはこの字と深くかかわっています。初字体が甲骨字に遡るのもそのためです。
 信・吉・哲などと同じように、ここにも上の口の部分は祝詞の器です。この祝詞の器に木をつけて手で持つ姿を象っています。これは王の祖先の霊を祭る儀式の姿です。「史」には、祭ると同じく、史る(まつる)という読みもあります。「史」は祭り自体の意味から、祭りを行う仕事をする人という意味に転じました。昔の中国の社会は今のような民主主義的な祭政分離の原理に基づいている世界ではありません。祝詞を運んだり持ったりという役割は、聖職者に似合う宗教的な仕事であると同時に、宮内省の公務員的なお勤めのようでもありました。
 使・事は同じ系統の字です。王の祖先礼拝は社会全体の祖先礼拝の手本となり、その記録(史(ふみ))は歴史そのものといえましょう。

■ 史・金文(きんぶん)
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2007/5/22


織物 Orimono 

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 染織ともいい、糸を縦横に一定の規則によって交差させ、隣の糸と空間がないように織る布のことを指す。
 縦糸と横糸を交互に組み合わせた平織り、斜めの線を出すことができ、地厚の織物が作れる綾織り、糸の交差の間隔を隣り合わないように織られ、手触りがよく光沢がある朱子織りの3つを織物の三原組織といい、織物の基礎とされている。
 複数の種類の繊維を使い織ることを混用といい、糸の製造段階で、組み合わせることを混紡、縦横の糸を異なる糸で織ることを交織という。
 重量の単位を目付と呼称し、1目付は、4.3055g/㎡であるが、和装品用の織物では、1反の重量をグラムで表す。
 日本の織物の歴史は古く縄文時代に始まったとされ、魏志倭人伝に、3世紀ごろには蚕から糸を紡いだ絹織物が生産されていた記録が残っている。古事記や日本書紀にも、技術者が渡来して中国大陸の技法を伝えたことが記録されている。
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2007/3/6


出雲織 Izumo-ori 

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 出雲織は島根県安来市で行なわれている手織物の技法である。
 島根県ふるさと伝統工芸品の一つであり、絣織(かすりおり)から発展した織物。技法自体は江戸時代に作られたものに新たな図柄などを加え、現在に復活させたもの。
 各段階ごとの分業制ではなく、一人が全ての工程を行なう昔ながらの手法を取る。
 特徴はデザインと色合いにあり、独創性に富んだデザインと技法に裏打ちされた、細やかな濃淡の染物により、他とは異なるものを常に模索し、作り出している。
 現在は安来市の「出雲織 のき白鳥の里」内の、出雲織茅葺き交流棟で製作過程を見学することができ、伝統の技法を広めている。
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