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2008/9/26


塩沢紬 Shiozawatsumugi 

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 塩沢紬(しおざわつむぎ)は、新潟県南魚沼市塩沢に伝わる民芸品であり、国の伝統的工芸品に指定されている。
 この地方の麻布が正倉院に保存されており、奈良時代には既に着物の産地であったことが伺える。この麻織物の技術技法を絹織物にとり入れた織物が塩沢紬で、江戸時代に織り始められた。
 本塩沢と並んで塩沢織物を代表する品であり、国の重要無形文化財に指定されている麻織物「越後上布」の技術を絹織物に応用して誕生した織物とされる。
 材料は、生糸、玉糸、真綿のつむぎ糸で、蚊絣と呼ばれる十字絣や亀甲絣により独特の上品さと落ち着きを備える。結城紬に似た風合いを持ち、暖かである。生産反数が非常に少ないため幻の紬とも言われる。
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2008/9/22


お手玉遊び Otedama-asobi 

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 お手玉遊びは、中に小豆やお米が入ったお手玉を、両手で交互に投げ上げる遊びである。
 古代ギリシャやトルコのネオヒッタイト時代などに羊の距骨を使用したジャグリングが存在し、欧州の遊牧民が袋に粒状の物を入れて遊んだのが起源とされている。
 日本では、奈良時代に中国から伝わり、当時は水晶を利用した事から石名取玉と呼ばれていた。平安時代には石を使った「石なご」という名でお手玉遊びが広まり、布のお手玉は、江戸時代に登場した。
 基本的には、小豆などを入れた幾つかの小きな袋であるお手玉を、歌を歌いながら投げ上げ、受け取ったり拾ったりする遊びで、地域によって少しずつ形式が異なる。
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和紙 Washi 

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 和紙(わし)とは日本独特の工法で作られる紙をいう。その歴史は奈良時代までさかのぼる。最大の特徴はトロロアオイやノリウツギなどの植物から採取される透明の粘液であるトロロを混入する流し漉き(ながしずき)という技法で作られることにある。
 流し漉きは長い年月の間試行錯誤を繰り返し完成されたものであり、材料となる植物のアサやコウゾにこれらを混ぜることで独特の粘りが生まれ、伸縮性と通気性に優れた手触りのよい品質の高い紙を作り出せる。この通気性に優れた紙は太陽の光などを柔らかくするので障子などにも使われてきた。
 また、長年の間に日本で原生するスイセン,ビナンカズラ,ヒガンバナなどを加えることで水や火に強く破れにくい紙へと発展していった。
 特に和紙は植物のみで作られ薬品などを一切使用しないうえ、原料は栽培できるのでリサイクルにも優れ森林破壊防止ともなる紙である。
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2008/8/29


当麻寺 東塔 Taima-dera Tou-tou 

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 当麻寺(たいまでら)は奈良時代創建の寺院で、大和の代表的な古寺。近鉄当麻寺駅からまっすぐ伸びる参道を進み、山門をくぐった左手に建つのが国宝の東塔である。重厚感にあふれ、見上げるほどに歴史を感じさせるその三重塔は、法隆寺に次いで日本で二番目に古い。
 奈良時代の天平年間に創建され、高さは22・21m、本瓦葺き。屋根上の飾りの相輪(そうりん)は上部の水煙(すいえん)に特徴があり、水煙の下にある宝輪(ほうりん)も、通常は九輪であるところ八輪でできている。
 少し離れたところに西塔(国宝)が建つが、東西二基がそろって創建当時から現存するのは、日本ではここしかない。
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2008/8/15


闘鶏 Toukei 

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 闘鶏(とうけい)とは、鶏と鶏が戦う競技である。
 唐の玄宗が乙酉(きのととり)生まれだったため、祖先供養の行事である清明の節に、好んで催した故事が由来とされる。
 奈良時代に唐から伝わり、日本では古来は占いに使われた。平安時代の頃より鶏合(とりあわせ)と呼ばれ宮中や貴族において、三月三日の節句行事として行われるようになった。
 平家物語によれば、源平合戦の時、熊野水軍の統率者であった熊野別当の湛増(たんぞう)は社地の鶏を紅白に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったので源氏に味方する事を決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。
 平安後期には庶民の間にも広く親しまるようになり、江戸時代のはじめには軍鶏が輸入され、更に盛んになっていったが、庶民の間で賭の対象とされる事が多くなり、幕府は何度も禁止令を発した。
 闘鶏は、明治時代になって法的に禁止された後も生き残った、伝統の競技・行事である。
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2008/8/14


舞木廃寺塔址 Maigi-haijitou-shi 

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 廃寺の名前は伝わっておらず、所在する地域名が舞木町であることから、舞木廃寺塔址(まいぎはいじとうし)で呼ばれている。
 出土遺物から奈良時代に建立されたと推測されているが、境内の建物の配置などを含め、実際にどのような寺であったのかはまだ不明だ。ただ残っている塔の礎石(そせき)を見る限り、当時この地方では最大の寺院だったと考えられている。
 塔の心礎は直径1.6mのほぼ円形の花崗岩(かこうがん)。中央には舎利容器を安置する直径15cm、深さ4cmの舎利孔が彫られている。その周囲には幅35cmの柱座が環状に彫られており、複雑で精美な加工となっている。
 採集されている資料は、瓦製の蓮弁・瓦塔片・軒丸瓦・丸瓦・平瓦などの出土遺物だけである
 遺跡として、昭和四(1929)年に国重要文化財に指定された。
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2008/8/7


夾纈 Kyoukechi 

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 夾纈(きょうけち)は、日本に伝わる、衣類の染色法のひとつである。
 布を半分に折り、この折り目から布端までの図模様を板二枚に彫り、生地裂を半分に折り、その二枚の板に挟んで締め付けて、板の背後からあけた幾つかの穴から染料を流し込んで染める。
 この染色技法のために板を外して拡げると、左右対称の図柄であり、染料の浸み込んだ場所も左右同じ場所となっている。
 布を広げてみないと、どんな風に染め上がったか、染めた本人にもわからないと言われている。
 その起源は、中国ともインドとも言われ、シルクロード、敦煌などの遺跡や日本の正倉院にも夾纈の貴重な裂が多く遺されている。
 柔らかで幻想的な美しさを持ち、日本では奈良時代を中心に行われた染色法だが、多彩な染色は難しく、廃れていった。
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2008/8/4


蘇芳色(スオウイロ) Suouiro 

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 蘇芳色(スオウイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 蘇芳とはインドのマレー原産、マメ科の植物で、木の部分を煎じて染料として用い灰汁媒染で染め出した色である。
 日本には奈良時代に伝わり、広く普及した染料で、紅花や紫に代わって赤系や紫系の染色にも用いられた。
 かつては紫に次いで高貴な色とされていた色で、濃く渋い紫がかった赤色をしている。
 また、今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われている。
 蘇芳花あるいは蘇芳泡と呼ばれる日本画の絵の具としても使われており、樹心周囲の色の濃い部分である心材を煎じ詰めたものを、陶器などに塗って乾燥させたものを顔料として用いる。
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