金剛山大隆寺 Kongouzan-dairyuu-ji
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宇和津町の金剛山大隆寺(こんごうざんだいりゅうじ)は、野川の龍華山等覚寺、今は廃寺となった安国山大通寺とともに、宇和島藩伊達家の菩提寺であった。
慶長一三(1608)年、伊勢国の武将富田信高(とみたのぶたか)が、関ヶ原の戦いでの功績を徳川家康に認められ、伊予国宇和島藩一二万石に加増移封された。信高は父・一白の菩提を弔うために禅寺を建立。後に宇和島藩第五代藩主・伊達村候(だてむらとき)がこの寺を再興し、簾方大和尚を招いて金剛山大隆寺と改めた。
墓には五代村候、七代宗紀(むねただ)、九代宗徳(むねえ)の藩主のほか、藩主夫人や多くの重臣も葬られている。境内には市の名勝に指定された庭園があり、経蔵や茶室、書院と見事な調和が図られ、訪れる人々の目を楽しませている。
慶長一三(1608)年、伊勢国の武将富田信高(とみたのぶたか)が、関ヶ原の戦いでの功績を徳川家康に認められ、伊予国宇和島藩一二万石に加増移封された。信高は父・一白の菩提を弔うために禅寺を建立。後に宇和島藩第五代藩主・伊達村候(だてむらとき)がこの寺を再興し、簾方大和尚を招いて金剛山大隆寺と改めた。
墓には五代村候、七代宗紀(むねただ)、九代宗徳(むねえ)の藩主のほか、藩主夫人や多くの重臣も葬られている。境内には市の名勝に指定された庭園があり、経蔵や茶室、書院と見事な調和が図られ、訪れる人々の目を楽しませている。
- 住所
- 798-0043 愛媛県宇和島市宇和津町1丁目
- 名前
- 金剛山大隆寺
- 電話
- 0895-22-3832