北雁木 Kita-gange
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雁木は、本来大阪では「がんぎ」と読むが、ここ静岡の地では訛って「がんげ」と読む。階段状の石畳を敷き詰めた船着き場のことである。建築は江戸時代の明暦三(1657)年から四年間かけて行われた。幅は10間(約18メートル)。
東海道の要衝であったこの地で、江戸時代は浜名湖の今切の渡し(静岡県浜名湖に通じる辺りの昔の呼称)の舞阪側には3つの雁木があった。身分によって場所が分かれており、北雁木は大名、幕府公用役人が使い、中雁木は武家用、南雁木は庶民や荷物の船着場として使われていた。3つの雁木は間隔を空けて、隣り合う形で並んでいたという。
現在は、北雁木のみが復元されている。
東海道の要衝であったこの地で、江戸時代は浜名湖の今切の渡し(静岡県浜名湖に通じる辺りの昔の呼称)の舞阪側には3つの雁木があった。身分によって場所が分かれており、北雁木は大名、幕府公用役人が使い、中雁木は武家用、南雁木は庶民や荷物の船着場として使われていた。3つの雁木は間隔を空けて、隣り合う形で並んでいたという。
現在は、北雁木のみが復元されている。
- 住所
- 432-0000 静岡県浜松市舞阪町
- 名前
- 北雁木