鶴ヶ城 Tsuruga-jyou
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会津若松市のシンボル「鶴ヶ城 」は、戦国時代に葦名、伊達、蒲生、上杉、保科、松平と数多くの大名が治めた歴史があり、幕末の戊辰戦争では旧幕府派として最後まで抵抗した為、会津が激しい戦場となり、白虎隊の悲しい出来事も起こった。現在は、本丸を鶴ヶ城博物館として貴重な資料を展示公開しており、石垣や桜が美しい公園が城の周りに広がる。
鶴ヶ城は1384年葦名直盛が造った東黒川館が始まりで、その後、会津領主だった葦名盛氏が改築し、現在の城郭の原型を築いた。(当時は黒川城)1593年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築き、名前も「鶴ヶ城」と改められた。
会津地方を大地震が襲った1611年に、石垣や天守閣は大きく傾いた事があったが、その天守閣を改修し、西出丸・北出丸といった出丸を築き、ほぼ現在の姿の鶴ヶ城が出来た。この時に積まれた石垣は四百年経た今でも朽ちる事なく往時の姿を忍ばせている。
鶴ヶ城は1384年葦名直盛が造った東黒川館が始まりで、その後、会津領主だった葦名盛氏が改築し、現在の城郭の原型を築いた。(当時は黒川城)1593年には蒲生氏郷が本格的な天守閣を築き、名前も「鶴ヶ城」と改められた。
会津地方を大地震が襲った1611年に、石垣や天守閣は大きく傾いた事があったが、その天守閣を改修し、西出丸・北出丸といった出丸を築き、ほぼ現在の姿の鶴ヶ城が出来た。この時に積まれた石垣は四百年経た今でも朽ちる事なく往時の姿を忍ばせている。
- 住所
- 965-0873 福島県会津若松市追手町1-1
- 名前
- 鶴ヶ城