NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/30


玉那覇有公(人間国宝) Tamanaha Yuukou Yuko Tamanaha (Living National Treasure)

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 昭和十一(1936)年、沖縄県石垣市に生まれる。平成八(1996)年、重要無形文化財「紅型(びんがた)」保持者認定(人間国宝)を受ける。
 「紅型」は、琉球王国の王朝文化を象徴する華麗な染色である。その色は沖縄の自然の色を映しているとも言われ、その圧倒的な色彩美は伝承の技を継承する匠たちが日々技を追求する琉球唯一の染物だ。
 王那覇有公氏は、紅型三宗家の一家、城間家十四代、城間栄喜氏に師事、修行を積んだ。その後三四歳で公募展に初出展、数々の輝かしい受賞を遂げる。
 経歴は華やかだが、氏の仕事はじつに地道な作業の繰り返しだ。細やかさと忍耐が要求される手仕事を積み重ねてはじめて美しい染めに仕上がるのだという。
 現在は読谷村にある工房「玉那覇紅型研究所」で一家をあげて、紅型の製作に日々取り組んでいる。
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2007/1/29


天羽やよい Amo Yayoi Yayoi Amo

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 1948(昭和二十三)年、東京生まれ、青森県在住。南部菱刺の伝統工芸士。
 77年に独学で南部菱刺を学び始める、88年菱刺教室「梅の花工房」を開く。99年パリにてフランス人陶芸家と二人展を開催する。
 菱刺しは江戸時代に起源を持つ。その特徴は、麻布に綿糸で偶数目を拾って織り成される四百種に及ぶ幾何学的紋様。青森県南部地方の三戸、五戸、八戸、上北町に分布する。当時、麻の着物しか着る事を許されなかった農民が、薄藍の麻布に紺と白の糸で木綿糸を刺し作り上げた、補強と保温性を高めた美と実用を兼ね備えた技術でもある。
 天羽さんは自ら織った麻布と、染めた木綿糸を使って菱刺しの作品を制作。全て一点ものの作品は異なる模様を持つ。「自分の刺したものを着る人が、あたたかい気持ちになってもらえたら嬉しい」と語る。
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2007/1/28


近江上布 Oumi-joufu Omi-jofu Fabric

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 近江上布は、滋賀県愛知郡愛知川町で織られる麻織物である。
 愛知川の豊かな水と高い湿度といった環境や、近江商人の活躍等により、この地方では鎌倉時代から麻織物が発展した。
 江戸時代には、彦根藩の振興によりさらに発展し、安定した地場産業となった。その頃から染めの技術も大きく進歩し、近江上布独特の上品な絣模様が生まれた。
 上布とは、江戸時代・藩侯や幕府への上納品として用いられたことから名付けられたという。
 極細に紡いだ麻糸に絣染めを施し、織り上がった反物に「しぼつけ」という独特のちぢみ加工をして仕上げるのが特徴である。
 麻は、水気を良く吸うので、身に付けると涼しく爽やかな着心地がする。
 近江上布は、伝統を守りながらも新しい技法を模索し続ける、職人の魂を紡ぐ織物である。
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2007/1/6


広瀬絣 Hirose-gasuri The Hirose-gasuri

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 島根県安来市の城下町広瀬に伝承される染めと手織り。
 広瀬絣の始まりは、文政7年に町医長岡謙祥の妻女であった長岡貞子が米子町から絣の染織を伝授され帰郷し、町内の女性たちに伝えたのが、始まりとされている。
 その後、たちまち絣のよさは広まり、幕末から明治にかけ、久留米絣と名声を競うほどになった。
 絣ができる以前、衣服は一般には麻が一般的で、絣り文様と肌ざわりは広瀬の人たちに、絣の技術を受け入れる充分な魅力を持っていた。
 特徴は、和紙に柿渋を塗り、文様を縦長に拡大して切り抜く独特の紙型を使う。大柄の絵文様を得意とし、図柄がくっきりと浮かび上がる様に織る。ふるさと伝統工芸品に指定されている。
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