NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/18


粟嶋神社 Awashima-jinjya 

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 大分県豊後高田市の旧真玉町と旧香々地町の境に位置し、海に突き出た岩窟に社がある珍しい神社。いつの頃からか縁結びや安産など女性の願いを叶えてくれる神様として信仰される様になり、多くの参拝者が訪れている。また、桜の時期には荒々しい海の景観と桜がダブルで楽しめ、人気がある。隣接している粟嶋公園に設けられた木造の展望台からの眺望も素晴らしい。
 旧暦3月3日は粟嶋さまのお祭りで、この日は潮が一番引く日。竜宮に続いている道が現れると云われ、その道は八代竜王を祭る猪群山(いのむれやま)へと続いていると云われている。
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2007/9/11


波伝谷獅子舞 Hadenya-shishi-mai 

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 波伝谷獅子舞(はでんやししまい)は、宮城県南三陸町の戸倉波伝谷地区に昔から伝わる伝統行事であり、春祈祷との別名も持つ。
 執り行っているのは、契約講と呼ばれる相互扶助による寄り合いの人々である。
 毎年の三月第二日曜の早朝から行われる、この地区独特の邪気祓いの儀式であり、かつては旧暦の二月一五日に行われていたものである。
 儀式当日の早朝から、獅子頭を朝日に直面させて遥拝した後、東の村境へ移動してお札を竹に挟んで立て、御幣を飾った榊を先頭に地区の家々を巡りはじめる。
 家主は必ず豆腐を一丁用意しておき、訪れた獅子はこれを噛んで吐き出し、酒で清める。
 そうして家々を回り、西の村境に到着すると、海岸に榊を立てて太鼓を打ち鳴らして石を投げつける。獅子はこの時、大きく口を開いて邪気を吐き出し、榊が倒れると同時に口を閉じる。閉じられた口は翌年まで、絶対に開かない。
 頑なに閉じられた口は、派伝谷に邪気を寄せ付けない、強い意志を物語っている。
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2007/8/31


興福寺 五重塔(国宝) Koufuku-ji Gojuu-no-tou 

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 興福寺(こうふくじ)は、法相宗の大本山として知られる。和銅三(710)年の春三月、平城京・左京三条七坊の地に造営された。
 興福寺には国宝に指定されている五重塔がある。天平二(730)年に、興福寺の創建者である藤原不比等(ふじわらのふひと)の娘、光明皇后の発願で創建された。
 創建当初は高さ四五メートルで、当時の日本では一番高い塔だった。現在は高さは約五〇メートルで、木造塔としては東寺五重塔に次ぎ、日本で二番目に高い塔である。
 火災などにより、この塔は応永三三(1426)年に再建されたもので、現在第六代目となる。
 五重塔各層には水晶の小塔などが安置されていたが、現在は薬師三尊像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、弥勒三尊像が安置されている。

 

 
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2007/8/23


金蓮寺 弥陀堂 Konren-ji Mida-dou The Mida Hall at Konrenji Temple

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 県内最古の木造建造物で知られているのが、吉良町にある金蓮寺弥陀堂(こんれんじみだどう)。文治二(1186)年、源頼朝が初代三河国守護、安達藤九郎盛長(あだちとうくろうもりなが)に命じて建立された三河七御堂の一つといわれる。建築の特徴から鎌倉時代後期のものとみられている。
 実際に各部分を見てみると、鎌倉時代の古い様式が随所に見られる。柱の面取りがそのひとつ。面取りとは、四角形の柱の四隅を45度に切り落とすことで、この45度に切り落とされた面が広いのは古い建築の証拠である。そして華美な雰囲気を排除した、素朴な美しさ表現するのもこの時代の特徴である。
 創建して以来修復を施し、原形を保ってきた。昭和三〇(1955)年三月に国宝の指定を受けた。
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向山神楽獅子の神事 Mukaiyama-kagura-jishi-no-shinji Mukaiyama Lion Kagura Ritual

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 今から約四〇〇年前、名古屋城を築く際に、石垣に使われる築石(つきいし)と荷車を乙川から献上したとされる。その道中の無事と安全を願って露払いをしたのが、「向山の神楽獅子」であったと伝えられている。
 また、宝暦五(1755年)描かれた「乙川山車祭礼絵図」の先頭を行く獅子が向山獅子であると言われている。
 現在では半田市乙川地区の「春の山車祭り」に、向山町の「市杵嶋(いちきしま)神社」の祭礼神事の中で、本神楽とよばれる「鈴の舞」「剣の舞」「胴入の舞」の三種の舞が奉納されるようになった。これがいつの頃か「向山神楽獅子の神事」と呼ばれるようになり、昭和四四年三月一四日に半田市無形民族文化財に指定され、今に受け継がれている。
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2007/8/16


藤崎宮例大祭 Fujisaki-guu-reitaisai The Grand Festival of Fujisaki Hachimangu Shrine

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 承平五(935)年に勧請されたといわれる藤崎八幡宮。
 祀られているのが軍神であることから代々、武将の信仰が篤かったこの古社で、毎年の九月第三月曜日を最終日として五日間にわたって開催される例祭であり、熊本県内最大規模の祭りが藤崎宮例大祭(ふじさきぐうれいたいさい)である。
 仏教の戒律である殺生戒を元とする宗教儀式である放生会(ほうじょうえ)に由来するとされ、最終日に行われる随兵行列(ずいびょうぎょうれつ)でクライマックスを迎える、熊本の秋の風物詩だ。
 随兵行列は、加藤清正が神幸式を復活させた折、自ら頭となって兵を従えたのがその始まりと伝えられ、行列と共に神輿や飾り馬が練り歩く。
 神の乗った神輿と共に「ドーカイ、ドーカイ」という威勢のよい踊り子たちの掛け声と、六十以上もの団体が奉納するたくましい馬に囲まれた中、勇壮かつ荘厳に練り歩く行列には、神様もさぞやご満悦に違いない。
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2007/8/14


延岡大師祭 Nobeoka-daishi-matsuri Nobeoka Daishi Festival

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 延岡大師祭(のべおかだいしまつり)は、宮崎県延岡市の今山を中心に毎年四月に開催される、宮崎県北最大の春祭りである。九州三大春祭りのひとつとされる。
 今山の頂上にそびえる弘法大師銅像は、昭和三二(1957)年に完成した、高さ17m、重さ11トンの日本一の大師像である。
 弘法大師は古くから「おだいっさん」の愛称で親しまれてきており、大師祭は、弘法大師の命日にあたる承和二(835)年の旧暦三月二一日を供養と感謝の日として、毎年3日間にわたり開催され、今日まで続けられている。
 メインイベントとなる最終日の市中パレードには延岡市長も参加する大名行列をはじめ、市内の団体約1700人が参加して踊りやパフォーマンスを盛大に披露し、市中を練り歩く。
 延岡大師祭は、延岡を代表する賑やかな祭りである。
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2007/8/2


齋理の雛まつり Sairi-no-hina-matsuri The Japanese Doll Festival at Sairi Residence

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 齋理の雛まつり(さいりのひなまつり)は、宮城県丸森町の齋理屋敷で、毎年の二月上旬から三月下旬にかけて催される、雛人形の展示企画だ。
 丸森町のシンボルでもある齋理屋敷は、この地で七代続いた豪商、齋藤家の蔵屋敷であり、当主が代々齋藤理助を名乗っていたことから、齋理屋敷と呼ばれるようになった。
 今は郷土館となっているこの屋敷の居宅にある二十畳もの大広間で、齋藤家ゆかりの雛人形や、豪華な道具類が展示される。
 享保雛や古今雛、嫁いで来たお嫁さんが抱いていたという市松人形など、齋藤家七代の長い繁栄の歴史を豪華な雛人形を通して見ることが出来る。
 また、期間中は手作りの雛人形教室など各種イベントも開催され、見るだけではない楽しさも味わえる。
 今のものとは面立ちも雰囲気も異なるお雛様が長い眠りから目覚め、一堂に揃う様はまさに息を呑む荘厳さであり、豪商の館にふさわしい雛まつりとして、訪れるものを楽しませてくれる。
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