NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/28


叡福寺 Eifukuji Eifukuji Temple

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 叡福寺は「聖徳太子」の墓所となる古墳があることで有名。聖徳太子の和の道を基本にした「新西国三十三ヶ所霊場」のひとつである。
 聖徳太子の没後、聖武天皇の勅願により、太子の霊を鎮める理由で神亀元年(724年)に建てられた。
 戦国時代、織田信長の焼き討ちにより全焼。その後豊臣秀頼が聖霊堂再建に着手した。
 石段を上ると、南大門が見える。門をくぐり、左手には宝搭、金堂、聖霊殿がある。さらに奥へと向かうと太子廟が見えてくる。
建物内にある「聖霊殿」は重要文化財に指定されており、中に祀られている本尊は聖徳太子が十六歳の時の等身像とされている。この像は宮中にあったものを文治3年(1187年)に後鳥羽天皇により下賜されたものであるという。
 周辺には「聖徳太子ゆかりの地」が点在しており、太子守護の歴史を深さを感じる場所である。
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2007/8/16


上野三碑 Kouzuke-sanpi Kozuke Sanpi

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 上野三碑(こうずけさんぴ)は、山ノ上碑、金井沢碑(群馬県高崎市山名町)と、多胡碑(群馬県多野郡吉井町)の3つの古い石碑の総称である。いずれも国の特別史跡に選定されている。
 山ノ上碑は、天智天皇一〇(681)年の建碑といわれ、隣接する山ノ上古墳の、墓誌であると考えられ、日本最古のものである。
 金井沢碑は、神亀三(726)年に建碑された。古い隷書体の特徴を持つ書体で書かれた内容は、上野国高田里の三家(ミヤケ)の子孫が祖先の菩提と父母の安穏を仏に祈願しているという物である。
 多胡碑は、和銅四(711)年に建碑された、日本三大古碑の一つとされる。多胡郡が設置された事を記念した内容とされるが、解釈については意見が分かれている。地元では、昔から「羊太夫」の墓とされ、「羊さま」と呼んで尊崇されてきた。
 上野三碑は、当時の政治状況を推測出来る歴史的な碑である。
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2007/8/2


柳津虚空蔵尊大祭 Yanaizu-kokuzou-son-taisai Yanaizu Kokuzoson Taisai (Grand Festival)

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 柳津虚空蔵尊大祭(やないづこくうそんたいさい)は、宮城県登米市津山町にあり、福島の会津柳津と山口の周防に並ぶ日本三大虚空尊の一つに数えられる柳津虚空蔵尊で、毎年四月と十月の十二~十三日にかけて行われる例祭である。
 その興りは奈良時代の神亀三(726)年、万葉集編纂で知られる僧・行基によって天下泰平、国家安泰を願って虚空蔵菩薩を刻み開基、創建されたとされ、奥州でも屈指の霊山・霊場の祈願寺として広く知られている。
 大祭では、正午から山海の珍味をお膳に盛り、行列して運ぶ「献膳行列」が行われ、その後に家内安全や交通安全、受験合格などを記した護摩祈祷が行われる。
 春と秋には県内外から大勢の参拝者が訪れ、今も篤い信仰を集めている。
 いつもの賑やかなお祭りとは違い、お膳を運ぶ荘厳な行列を見守り、炎と共に天に昇っていく祈祷に祈りを捧げる静かなお祭りも良いかもしれない。
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2007/7/23


寺下観音 Terashita-kannon Terashita Kannon Temple

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 寺下観音(てらしたかんのん)は、青森県三戸郡階上町赤保内にある寺である。本尊は、正観音。
 鎌倉時代(1185~1333)に奥州糠部三十三観音巡礼の1番札所として建立された。
 深い杉並木に囲まれた観音堂には、神亀元(724)年に高僧・行基が作ったと伝えられる、桂の木彫り・高さ65cmの観音像が安置されている。
 境内の三十三観音を参拝すると、近畿三十三観音を巡ったのと同じご利益があるとされている。
 神仏混交の地であり、観音堂のほかに潮山神社が存在する。
 観音堂の裏にある滝は不老長寿の冷水として、近郷近在の老若男女の参拝者があり、古くから修験者が修行したと伝えられている。 平成元(1989)年、名水として知事の認定を受けた。
 寺下観音は、多くの巡礼者が静かに祈りを捧げる古刹である。
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2007/5/7


五台山竹林寺 Godaisan-chikurinji Godaisan Chikurinji Temple

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 四国霊場
 第31番札所。
 聖武天皇は唐の五台山で文殊菩薩を拝まれている夢をみられ、わが国にもこれに似た霊地があるにちがいないと、行基菩薩に探し出すよう命じ、神亀元年(724年)行基菩薩は五台山に似た山容を見つけ、ここに寺を建立したのがはじまりで、後に弘法大師が巡錫して、札所に定められた。
 現存の本堂は文殊堂ともよばれ、文明年間の建立で、単層、入母屋造り、柿葦で堂内には秘仏の本尊文殊菩薩が安置されており、本堂の向いに大師堂、一段高いところに総高32mの朱塗もあざやかな五重塔がある。
 五台山は高知市の中心から約6km。海抜115mの山頂からは高知市街や、浦戸湾、浜まで一望でき、高知第一の景勝地でもある。
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2007/4/20


滋賀 宝厳寺 Siga Hougonji 

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 滋賀の宝厳寺(竹生島宝厳寺)は、真言宗豊山派の寺で、琵琶湖の湖北に浮かぶ竹生島にある。本尊は大弁財天で、西国三十三観音霊場第三十番札所。
 神亀元(724)年、聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神のお告げで、行基を勅使として堂塔を開基させたのが始まりで、本尊の大弁財天は、厳島神社・江島神社と並ぶ日本三大弁天の一つとして信仰を集めている。
 明治維新の神仏分離令により、弁財天と宗像三女神は分離させられ、当時の本殿は竹生島神社となり、その後、現在の本殿が再建された。
 竹生島神社に続いている船廊下(重文)は豊臣秀吉の御座船を利用して作られたものであり、また入口に建つ唐門(国宝)は太閤秀吉の遺命により京都東山の豊国廟から移築されたものである。
琵琶湖の絶景と、古の水への信仰が交差する豊臣家とのゆかりも深い寺である。
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2007/4/19


尊永寺仁王門 Soneijinioumon Nio-mon Gate at Soneiji temple

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 尊永寺は、静岡県袋井市豊沢にある高野山真言宗別格本山の寺院である。本尊は、正観世音菩薩、厄除観世音とされる。
 神亀2(725)年、聖武天皇の命により行基によって建立されたという。
 尊永寺の仁王門は、室町時代作と伝えられる。入母屋造、柿(こけら)葺きの楼門(2階建て門)であり、三間一戸の雄大さが感じられる。
 仁王門は、国の重要文化財に指定されている。力強さみなぎる金剛力士像が守護しており、扉を抜けると、左右に石碑がそびえ建っている。
 初詣には東海一円から大勢の参拝客が訪れ、仁王門前には食べ物や土産物屋が立ち並び大変な賑わいをみせる。
 尊永寺の仁王門は、安土桃山の遺風を残す勇壮な建築物である。
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2007/3/29


浄法寺塗 Joubouji-nuri 

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 浄法寺塗は岩手県二戸市浄法寺町に伝わる漆器である。
 神亀五(728)年、聖武天皇の勅命により行基が開山した天台寺で、僧たちの什器として作られたのが始まりとされる。
 江戸時代には藩の貴重な財政源の一つとして生産が行なわれ、藩主への献上品としても使われたが、多くは庶民のための実用品として作られて、全国に送られた。
 二戸市は良質な漆の産地であり、現在も全国の60%の生産量を占めており、漆器の生産地としても知られる。
 高い強度と上質の色合いが特徴で、実用性の高さから全国で人気が高い。色は使い込むほどに渋みを増す、漆器ならではの魅力がある。
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