NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


徳島 常楽寺 Tokushima Jouraku-ji 

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 四国霊場第一四番である常楽寺(じょうらくじ)は、弘仁六(815)年、この地で修行を積んでいた弘法大師が建立したとされる。
 修行中に、化身した弥勒菩薩が多くの菩薩を従えて現われ説法を行ったので、大師は霊木にその姿を刻んで堂宇を立て、本尊にしたといわれている。このように弥勒菩薩を本尊にしているのは八十八箇所霊場のなかでは唯一である。弥勒菩薩は未来仏ともいわれ、釈迦入滅後、五六億七千万年後にこの世に下世し、民衆を救済されると伝えられている。
 また庭石を波のように配した流水岩の庭、七福神の庭など端正な庭に囲まれた寺でもある。
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2007/10/4


良寛 Ryoukan Ryokan

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 良寛(りょうかん)は、江戸後期の曹洞宗の禅僧で、歌人、漢詩人、書家としても知られる。
 宝暦八(1758)年、越後国出雲崎(現・新潟県)に誕生。土地の名主で、俳人でもある父から、影響を受けて育った。
 大森子陽の塾で学び、名主見習役を経て、円通寺の国仙和尚のもとで出家。その頃、和歌に親しむようになり、歌人との交流や創作を重ねてゆく。
 三三歳の頃、国仙和尚より印可の偈を与えられる。以後、民衆の教化に努めたが、難解な説法を避け、分かり易い言葉を用いた。特定の寺を持たず、自らの質素な生活を開示することで、民衆の共感や信頼を得ていた。
 良寛の住む五合庵には、実に多くの芸術家や学者が訪れた。般若湯(酒)を好み、自らを慕う人々と頻繁に杯を交わしたと伝わる。
 天保二(1831)年、良寛死去。歌集『蓮の露』を弟子の貞心尼が編んだ。
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2007/9/14


岡崎市 妙源寺 Okazaki-shi Myougen-ji Myogenji Temple

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 岡崎市の住宅地の表通りからは見えにくい、奥まった場所に「妙源寺(みょうげんじ)」はある。
 薬医門(やくいもん)と呼ばれる構造の山門をくぐり、参道を直進すると四脚門がある。さらにその門の先には、室町時代中期に建てられた「太子堂」があり、聖徳太子一六歳像などが祀られている。かつて堂の前に柳の木があったことから、「柳堂」とも呼ばれる。
 文暦ニ(1235)年、碧海一郡の領主・安藤薩摩守信平(あんどうさつまのもりのぶひら)は、この柳堂に親鸞聖人を招き説法を受けたという。これに感化された信平は武門を捨て仏門に入り、正嘉ニ(1258)年、「明源寺」を建立したのが寺の始まりとされる。
 後に家康公を尊敬していたことから徳川氏の本姓である「源」の一字を賜り、「妙源寺」と改称したという。
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2007/6/18


能面 小喝食 Noumen Kokasshiki Noh Mask Ko-kasshiki

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 能で少年をあらわす面の一つ。
 年が若く、剃髪をしていない半僧半俗の十二から十七歳の僧。禅宗の寺で食事の時間や献立を知らせる役目の僧のことを喝食と呼び、特に前髪の大きさが小さく、年齢が若いものを小喝食と呼ぶ。
 全体にやさしい顔に描かれており、頬にはえくぼがあるかわいい子供の面相で、健全な若者のため表情に曇りがないのが特徴。
 遊狂物で使用されることが多く花月(かげつ)では父との再会を待つ半俗半僧の少年花月、自然居士(じねんこじ)では説法を行う半俗の少年僧、東岸居士(とうがんこじ)では念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回ったとされる僧として使われる。
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2007/6/6


能面 釈迦 Noumen Shaka Noh Mask Shaka

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 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 釈迦(しゃか)は、釈迦牟尼仏の事で、愛宕山の天狗が、比叡山の僧正に命を救われたお礼に、釈迦が霊鷲山での説法のようすを真似る時に使う面である。
 「大会」のみに用いられる面で、天狗の面の上からつけるので大きな面になっている。
 「大会」とは、庵室で修行する比叡山の僧のもとに、かつてこの僧に命を助けられた天狗が山伏姿で現れ、どんな望みでも叶えると言い立てる。釈迦の大法会を見たいと望むと、本当に釈迦の説法を見せて貰えた僧が思わず拝んでしまい、神聖な仏法を天狗ごときが玩んだと怒った帝釈天が駆けつけ、幻の大会を滅茶苦茶にし、天狗を痛めつけるという話である。
 釈迦は、早変わりが大きな見せ場の特殊な能面である。
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2007/5/14


柳津虚空蔵尊 Yanaizu-koukuzo-son Yanaizu Kokuzoson

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 宮城県登米市津山町柳津(やないつ)の老杉並木の参道を通り、山門をくぐると、うっそうとした杉木立の中に、柳津虚空蔵尊の堂宇が建っている。本尊は幸福と知恵を授けてくれるという「虚空蔵菩薩」。
 福島県柳津(やないつ)町・圓蔵寺の福満虚空蔵尊と山口県柳井(やない)市・湘江庵の虚空蔵尊と共に、「柳井津(やないつ)」にある日本三虚空蔵尊に数えられる名刹である。
 奈良時代、諸国を行脚して説法し、民間の諸施設等も造った僧行基が、726年にこの地に訪れたおり、国家安泰、天下泰平を願い「虚空蔵菩薩」を刻んだ事に縁起すると云われている。本尊の脇に従う大黒天と毘沙門天は、後の弘法大師の作と伝えられている。
 うっそうと茂る杉木立に囲まれた境内は、涙の様に樹液をこぼしている為に、晴天の日でも濡れて見える「雫の桜」のほか、「玉こぶの欅」など、七不思議のいわれのある場所もある。
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2007/4/26


縁起物 招き猫 Engimono Manrkineko 

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 「招き猫(まねきねこ)」は、お寺の和尚が愛育している猫に向かい「汝我が愛育の恩を知らざれば何か果報を招来せよ」と言い聞かせ幾月日が過ぎたある日、その猫が、寺の前を行進する武士の一行を手招きして誘ったことが起源とされる。和尚が茶などを差し向け説法している内に、天は曇り、夕立ちは激しく降り、雷鳴が轟いた。この一行の家老は、猫に招き入れられたことから、雨をしのぎ、更に和尚のありがたい法談にあずかることができたと大いに喜んだという。以来、この寺は繁盛し、吉運が開いた。
 玄関や商店の店頭に飾ると、開運招福、商売繁盛をもたらす招き猫。白猫は「福を招く」「吉兆招福」。左手は、「金運招福」、右手は「千客万来」を招き、黄色の招き猫は「開運招福」といわれ、黒の招き猫は「無病息災」の縁起物とされている。
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2007/3/5


ねはん像 Nehan-zou Statue of the Reclining Buddha

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 ねはん像のある江東寺は、永禄元 (1558) 年に有馬氏の菩提寺として創建されましたが、島原城の完成に伴って島原に移され、松倉家の菩提寺となりました。現在の寺域は寛政2年に再興されたもので、再建を祝って奉納された刺繍絵の「釈迦ねはん図」(島原市指定文化財)に因み、昭和32年にねはん像が建立された。
 大きさにして全身8.6メートル、高さ2.12メートル。ねはんとは、煩悩の火を焼きつくして智恵が完成した悟りの境地を指す言葉であるが、釈迦の入滅を表現する言葉としても用いられている。
 このねはん像は、釈迦が故郷に近いクシナーラの沙羅双樹の下、臨終の間際まで弟子たちに懇切な説法を続けている姿を模したもの。足の裏には、大法輪の相(仏足石)が刻まれ、頭部には、信者による写経一万巻が納められている。
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