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2007/10/11


親鸞 Shinran Shinran

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 親鸞(しんらん)は、鎌倉時代初期の僧。浄土真宗の開祖。
 承安三(1173)年、京都・日野に誕生。九歳から二九歳まで、比叡山にて堂僧として修行を積む。その後、浄土宗開祖・法然の門弟となり、「他力念仏」の道を極めた。
 専修念仏の弾圧により、法然・親鸞ら八名が流罪となる。法然と生き別れした親鸞は、越後で俗名を名乗って暮らした。
 赦免の後、関東の常陸(現・茨城県)に移り、法然の教えを土台に、約二〇年間に及ぶ伝道布教を行った。親鸞は権力を持たずに、非僧非俗の立場を貫いた。
 帰郷し、主著『教行信証』(顕浄土真実教行証文類)を初め、多くの書物を仕上げた。浄土真宗の核が完成し、様々な継承・発展を遂げた。口承の書として、『歎異抄』が有名である。
 弘長ニ(1262)年、九〇歳で往生。没後に皇室から見真大師の諡号を贈られる。
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2007/3/27


俎岩 Manaita-iwa 

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 俎岩(まないたいわ)は静岡県伊東市、城ヶ崎海岸に位置する岩場の事である。
 弘長元(1261)年、鎌倉幕府を批判した罪により、配流となった日蓮上人が置き去りにされた場所とされる。海中に浮かぶ凝石灰岩の岩礁であり、満潮時は海に没する。
 日蓮はこの時、船で通りかかった船守弥三郎に助けられて難を逃れた。間近に建つ蓮着寺には、感謝を込めて七字の妙号を記載したといわれる題目岩が残る。
 蓮着寺は後に建立された祖師堂が元となり創建された寺で、日蓮が法衣をかけた袈裟かけの松や、放免された日蓮を見送った祖師送りの浜など、日蓮ゆかりの土地として知られる。
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2007/3/15


静岡 仏現寺 Shizuoka Butsugen-ji Shizuoka Butsugenji Temple

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 静岡の仏現寺(ぶつげんじ)は、静岡県伊東市物見が丘にある日蓮宗霊跡本山の寺である。本尊は、久遠の本師釈迦牟尼仏。
 正式名を海光山仏現寺と称し、山号・寺号は、地頭の伊東八郎左衛門より贈られた立像の釈迦仏が海中より出現したものであることにちなんでいる。
 弘長元(1261)年、伊豆の国へ流された日蓮上人が3年間を過ごした仏現寺は、日蓮上人が名付けた寺であり、日蓮宗霊跡本山の一つとされている。
 伊東七福神の一つで、開運・厄除け・財宝をもたらす毘沙門天が奉られている。
 また、仏現寺はかつて天狗を祈祷で追い払った事により、「天狗の詫び状文」と言われる未だ解読不能な、謎の巻物を所蔵している。
 仏現寺は、数々の伝承を残す、古い歴史を持つ寺院である。
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2007/2/1


西円堂・追儺会 Saiendou・Tsuinae Saiendo Tsuinae Festival

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 法隆寺の西円堂本尊薬師如来坐像の前で毎年2月1日から3日間行う法要が「西円堂修二会」と呼ばれるもので、これの後2月3日に行われるのが「追儺式」である。別名「鬼追い」とも言われる。
 追儺(ついなえ)式は、西円堂の基壇の上で、鬼役と毘沙門役が登場し、松明を振りかざして歩く鬼の後を毘沙門天が矛(ほこ・両刃の剣に柄をつけた、刺突のための武器)を使って追い払う行事。法隆寺の「寺要日記」では、弘長元(1261)年に始められたとあり、鬼追いでは、県内で最も古いとされる。
 松明の火の粉がかかれば、その年は無病息災との信仰が残る。毎年近隣の人々が何百人も訪れる恒例行事である。
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