NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/12


雪村うちわ Sesson-uchiwa 

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 雪村(せっそん)うちわは、古来より茨城県常陸太田市で作られてきた、伝統的な工芸品である。室町時代の天正年間(1573~1592)、常陸太田の耕山寺の禅僧であった雪村がはじめたものと伝えられている。
 内輪の骨には地元産の真竹を使用し、幅2cmの竹を四十本に裂いて作る。表面の紙には西ノ内和紙が用いられている。
 また、雪村は画家としての才能もあった人物で、うちわの表面には馬や茄子、かかしや水戸八景などが水墨画で描かれていた。
 現在でもそうした図柄は雪村ゆかりのものとして表面に描かれており、出来上がるまでの三三の工程全てを手作りするなど、人の温かみ溢れるうちわによりいっそうの趣を加えている。
 水戸徳川家二代藩主である水戸黄門こと徳川光圀も愛用し、製作を奨励したといわれるそのうちわは、今も人々の傍らで涼を提供し続けている。
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2008/4/8


小判型うちわ Kobangata-uchiwa 

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 古来から日本の夏には欠かせないものとして、緩やかな涼を送り続けてくれている団扇。
 扇風機やエアコンなどの機械が発達した現代においても、夏の風物詩としての地位は揺るがないものである。
 「小判型うちわ」もそんな団扇の一品であり、使用されている素材の質感なども相まって、伝統的な団扇を楽しむことができるようになっている。
 形はその名の通り、小判のような楕円に近い形をしており、素材に用いられている竹のしなりも加わって、豊かな風量を優しく送ってくれる。
 団扇の表面には、金魚やうずまき、カエルなどが水墨作家岡本肇の筆によってコミカルに描かれており、絵に添えられている粋な一言共に見ているだけでも涼やかな印象を与えてくれる。
 その伝統的な形と表面に描かれた意匠は、浴衣や甚平等の粋な装いにもよく合うため、日本の蒸し暑い夏も楽しく乗り切らせてくれることだろう。
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2008/1/24


来民うちわ Kutami-uchiwa 

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 熊本県山鹿市の鹿本町来民(かもとまちくたみ)の伝統工芸品として知られている「来民うちわ(くたみうちわ)」は、昔から京都や丸亀と共にうちわの三大産地として有名である。
 慶長五(1600)年、四国の丸亀の旅僧が、一宿の謝礼として、うちわの製法を伝授したのが来民うちわの始まりといわれている。また和紙と竹の資材に恵まれていたため、一七世紀中頃、藩主であった細川忠利(ほそかわただとし)が奨励したともいわれている。最盛期には、年間六百万本ものうちわを生産していたが、近年、冷暖房の普及で衰退し、現在は数件の商店のみで生産が続けられている。
 山鹿市は、当時より和紙の原料となる楮(こうぞ)の木の産地として知られている。山鹿灯籠を製作する上で、しっかりとした和紙は不可欠で、加えて竹林が豊富な土地柄とあって、この地の産業として栄えていった。
 竹を小割した骨に和紙を貼って優雅な色を出し、柿渋を塗ると強度が増すといわれている。
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2007/11/8


房州うちわ Bousyuu-uchiwa 

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 千葉県南房総に受け継がれている伝統工芸に房州うちわ(ぼうしゅううちわ)がある。竹の丸みをそのまま活かした「丸柄」、そして多いもので六四等分に細かく割いた骨を糸で編んで作られる「窓」が特徴で、二〇ほどの工程を重ね、見事な美しいうちわを作り出している。京都府京都市などに伝わる、木の柄を差し込む「京うちわ」や、香川県丸亀市の平たく削った竹で作られる「丸亀うちわ」とともに日本三大うちわのひとつとして知られている。
 江戸時代、房州はうちわの材料となる竹の産地であった。山や野には女竹(めだけ)が自生し、節間が長い良質な竹が採れた。
 うちわ作りは明治一〇(1877)年頃からといわれており、明治一七年(1884)年に岩城惣五郎(いわきそうごろう)が東京から職人を雇い、安房郡の一大物産として有名になった。
 最近では浮世絵などの布を貼ったものなどが作られ、和風のインテリアとして注目され、平成一五(2003)年、千葉県初の国の伝統的工芸品に指定された。
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2007/10/17


京唐紙 Kyou-karakami Kyokarakami

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 京唐紙(きょうからかみ)は襖に施される一種の版画で、桂離宮や寺院、茶室などで現在も使われている。用途によって多くの文様があり、それぞれに洗練された美しさを持つ。
 顔料に用いられるのは雲母(うんも)の粉末や絵の具で、最初に刷毛で「ふるい」という団扇(うちわ)の形をした道具に付ける。次に「ふるい」から版木に顔料をふるい落とすようにして付け、その上に和紙を置いて刷る。この作業を何回か繰り返して一枚が完成する。
 中国から伝えられた唐紙は、平安時代に詩歌を書き記す詠草料紙(えいそうりょうし)として日本でも作り始められた。後に襖に張られるようになり、大きく発展したのは江戸時代中期といわれている。浮世絵師・菱川師宣(ひしかわもろのぶ)の作品には、京唐紙を刷る職人の姿が描かれている。
 顔料に雲母が用いられているため、うっすらと上品に光るのが特徴で、蝋燭の暗い明かりに照らされた京唐紙の一部が、炎のゆらめきに合わせてきらめく様は趣がある。
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2007/2/8


大海の放下 Oomi-no-houka 

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 愛知県新城市大海に伝わる郷土芸能踊り。県の指定無形民俗文化財。
 祭りの歴史は、室町時代末期といわれる。源平の争乱で中央政治が
 乱れ、各寺院の僧侶たちは、寺院から追い出しを受け地方に放浪した。その僧侶たちは放下僧と呼ばれ、すべての執着を捨てるため放下と呼ばれる行をおこなったものが現在まで伝承されている。
 現在では盆の行事として行なわれるこの踊りは、僧侶に扮した人が、高さ3メートルの大うちわを背負って、胸につけた縦横50センチもある太鼓を打ち鳴らし、古くからある歌謡に合わせて舞い踊る。
 初盆の家々を訪ね、新仏の供養をして回る。
 毎年8月14,15日に行なわれる。
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2007/1/26


中津城 Nakatsu-jo Nakatsu Castle

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 中津城は、大分県中津市にある水城である。
 豊臣秀吉より豊前6郡を拝領した築城の名手、黒田孝高(如水)が山国川河口の地に心血を注いで築城したのが始まりである。城郭の形が扇の形をしていたことから「扇城」とも呼ばれる。
 周防灘(豊前海)に臨む山国川河口に築城され、堀には海水が引き込まれている。いわゆる水城であり、日本三大水城の一つに数えられる。
 城内には衣装、刀剣、陣道具、古絵図、古文書など興味深い資料が展示され、公開されている。
 中津城は、現在中津公園となっている。中津神社の境内でもある。1964年、ここに模擬五層天守と隅櫓が建てられ、天守内は資料館となっている。
 中津城は、戦国の昔に作られた古城であり、中津のシンボルと言える存在である。
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2007/1/5


京うちわ Kyo-uchiwa Kyoto-style Fans

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 京うちわは地紙の中に多くの竹骨をもつ朝鮮うちわの流れを汲み、うちわ面と把手が別に作られ、「差し柄」の構造になっていることが大きな特徴である。京都の伝統工芸品として繊細優美を極め、高度な技術が伝承されてきた。
 京うちわは「都うちわ」とも呼ばれ、宮廷にも用いられ極めて優美な絵画が描かれてきた。うちわは涼をとるばかりでなく風や光塵を防いだり、顔を隠したり装飾用として、中国から朝鮮を経て伝わり、奈良時代に貴族の間で用いられたのが始まりである。戦国時代には武将の軍配としても用いられた。
 柄は孟宗竹・杉・漆塗などを用い、紙は主として美濃・土佐・越前の和紙を使う。デザインは、人物・風景・俳句・和歌をモチーフとして、描絵・版画・手染・手彫の技法を使い、伝統に裏打ちされた美を表現している。現代でも「和」の再確認により、部屋の装飾用としての商品も人気がある。
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