NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/9


江戸刺繍 Edoshisyuu 

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 日本で刺繍が行われるようになったのは飛鳥時代のこと。中国から仏教が伝来し、金銅仏と並び刺繍による仏像、いわゆる繍仏(しゅうぶつ)が多数作られたのが始まりである。
 平安時代、公家社会が発達するにつれ、男子の束帯や女性の十二単衣(ひとえ)などの衣類に刺繍が登場し、安土桃山時代になると染めに刺繍を入れた相互性刺繍が多くなり、更に、装飾性を増していくようになる。
 江戸時代中期、天下太平の下で経済力をつけた町民階級が台頭し、あらゆる染色技術に刺繍も加えて絢爛豪華な着物を次々と生みだした。
 江戸の繁栄とともに江戸刺繍は隆盛を続け、当時、刺繍職人は繍箔師(ぬいはくし).縫物師(ぬいものし)とよばれた。
 江戸刺繍は図柄を置くときに空間を楽しむような刺繍の入れ方をするのが特色である。
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2007/6/28


青森 清水寺 観音堂 Aomori Seisui-ji Kannon-dou 

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 青森の清水寺(せいすいじ)は、青森県八戸市是川中居にある浄土真宗の寺である。本尊は千手觀音。奥州南部糠部三十三観音霊場第2番札所とされる。
 清水寺は、平安時代に天台宗の高僧慈覚大師により建立されたと伝えられ、明治時代に改宗して、現在は浄土真宗となっている。また、本尊の千手觀音は盗難され、現在は金銅救世観音像を安置している。
 三間四方宝行造茅葺屋根の観音堂(かんのんどう)は、天正九(1581)年、建立されたとされる県内最古の木造建築であり、清水寺本堂裏手の杉木立の中で静かに鎮座している。
 鎌倉時代に中国から伝わった建築様式で、中世的仏堂として東北地方の貴重な遺構となっている。
 昭和五五(1980)年、国の重要文化財に指定される。
 青森の清水寺観音堂は、古い歴史を誇る貴重な建物である。
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2007/4/27


梵天ばやい Bonten-bayai 

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 梵天(ぼんてん)ばやいは、宮城県黒川郡大和町にて行われている神事である。県指定の民俗文化財とされる。
 開始時期は不詳であるが、船形山神社では毎年5月1日に御神体(菩薩形の金銅小仏)御開帳とよばれる例祭があり、梵天ばやいの神事はこの時に行われる。
 社前に奉納された紙シデのついた梵天が神官によって投げられると、詣人は激しく競い合ってそれを奪い合い、最初に竹軸を地面に立てた者に梵天が授けられる。
 梵天を勝ち取った者はそれを地区に持ち帰り、小さく割って各戸にわけ、これを苗代の水口に立てると水かかりがよく豊作に恵まれると言われている。
 神事のほとんどが旧態のまま良好に伝承されており、県下では他に例をみない貴重な習俗である。
 梵天ばやいは、郷土信仰・豊作祈願の勇壮な祭りである。
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2007/4/16


唐櫃古墳 Karabitsu-kofun Karabitsu Kofun

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 唐櫃(からびつ)古墳は、広島県庄原市川西町に所在する前方後円墳。横穴式石室を内蔵する点と、その規模から県内でも珍しい古墳として、平成五年に県史跡に指定されている。
 古墳の規模は庄原市で8番目。長さ41・4m、後円部28・8m、前方部幅14・4mを測る。広島県北では最大の規模を誇る横穴式石室は、長さ13・1m、高さ2・6m、幅2・4m。この石室からは、古墳時代後期の6世紀後半から7世紀までの須恵器や、耳環、鉄製馬具などが出土している。
 また、非常に精巧に作られた大型の金銅製の鈴や、全国で4例目の出土となる銀製山梔形空玉(近畿以外の古墳では初めての出土)など、貴重な出土品が数多く発見されている。
 
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2007/3/28


無量光院跡 Muryoukouin-ato 

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 無量光院跡は岩手県西磐井郡平泉町に位置する史跡である。
 藤原秀衡が奥州藤原氏の居館、柳之御所の西側に創建した持仏堂とされ、無量光院は宇治平等院の鳳凰堂を模して建てられたと伝わる。
 度重なる火災により焼失し、現在残るのは土塁、礎石、池跡のみであり、周囲は水田に囲まれている。
 発掘により、本堂を中心に伽藍が建ち並び、東門、中島、本堂が一直線上に建てられた、金鶏山を望む壮大な造りをした寺院であったことが判明している。
 本堂背面で、二片の金銅製透彫りの瓔珞(ようらく)が発掘、復元されており、その鮮やかな様子が往時の繁栄を思わせる。
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2007/3/6


天武・持統天皇陵 Tenmu・Jitou-tennou-ryou 

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 天武・持統天皇陵は奈良県高市郡明日香村にある陵墓、正式な陵墓名は桧隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)。天武天皇、持統天皇の合葬陵墓である。
 直径50メートル、高さ6・4メートル、高さ9メートルの八角墳で、周囲に石壇が築かれている。
 鎌倉時代に残された「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」により被葬者が判明している数少ない天皇陵。石室は大理石、朱漆の柩と金銅の容器が安置されていると記録されている。
 律令国家建設を推し進めた天武天皇と、それを引き継いだ持統天皇は、波乱に満ちた人生を終え、夫婦揃って静かに緑の陵で眠りについている。
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2007/2/27


正暦寺 Shouryaku-ji 

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 正暦寺は奈良市菩提山町に位置する、菩提山真言宗の本山。菩提山龍華寿院と号する。
 正暦三(992)年に一条天皇の勅願により、藤原兼家の子で僧の兼俊が開基。治承四(1180)年に戦火により焼失するが、後に興福寺別当の信円が学問所として再興。隆盛を誇ったが、明治期の廃仏毀釈により衰微した。
 建保六(1218)年に建立された本堂に安置された本尊、金銅薬師如来倚像は白鳳期の作で国の重要文化財。
 清酒発祥の地の伝承を持ち、現在も寺社で「菩提もと」と名づけられた酒母の製造免許を保持して、清酒を造っている。
 錦の里とも呼ばれ、秋口の紅葉に彩られた長く続く石垣と石仏は絶景である。
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2007/2/16


伊佐須美神社 Isasumi-jinjya Isasumi Shrine

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 四道将軍の父子がそれぞれ別の道を辿り、東北道各地を平定した後、この地で出会った事から「会津」という地名がついたとされる。
 この時、国家鎮護の為、国土開拓の神であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎した。これが伊佐須美神社の起源とされている。その後、博士山、明神ヶ岳を経て522年に高田南原の地に遷御された。560年には現在の宮地、東原に御神殿を造営した。
 御遷座されて以来1400有余年、名神大社・岩代の国一ノ宮会津総鎮守の格式をもち、国重要文化財「朱漆金銅装神輿」や県重要文化財「木造狛犬一対」が保管されている。いまも産業文化、延寿縁結び、交通安全などの守護として県内外の人々の深い崇敬を集めている。四道将軍神話は、この地に中央の農耕技術や先進文化が伝えられたことを物語るものであり、会津文化発祥の地であると言える。
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