NIPPON Kichi - 日本吉

記事数2件: 1~2 件表示          

2008/5/15


空手 Karate 

Jp

 空手(からて)は、琉球王国時代の沖縄をその発祥とする、拳と足による打撃技を主体とした武道である。
 その起源に関しては諸説あり、どれも定かではないが、大正時代に本土に伝えられ、「空手」の名称で呼ばれるようになったのは昭和四(1929)年からである。
 各種の技を決まった順序で一人で演武する「型」と、二人で相対しておこなう練習形式である「組手」を基本構成とし、古くからこの二つを繰り返し練習することが基本となっている。
 この繰り返しが、空手における基本的な技や姿勢、実践的な身体動作を自然と身につけていくことにつながるのである。
 勝敗を目的とした組手を「組手試合」といい、現在では寸止めルールを採用する伝統派空手と、直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手に大別される。
 国内はもとより海外にも広く普及し、流派も多数が存在しており、柔道と並び世界各国で親しまれている日本発の武道である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/5/2


浦添城跡 Urasoe-jouato 

Jp

 浦添城跡(うらそえじょうあと)は、沖縄県浦添市仲間にある城跡である。国の史跡に指定されている。
 13世紀頃に築城されたと伝わる琉球国中山の王宮で、王宮が首里城に移されるまでは、舜天(しゅんてん)、英祖(えいそ)、察度(さっと)の居城として200年余りに渡り栄えた。
 慶長一四(1609)年に薩摩軍の琉球侵攻によって、焼き討ちされ廃城となる。
 太平洋戦争で沖縄戦の激戦地となり、現在は石垣のみ残っている。城跡内の高台からは周辺一帯を見渡せ、地理的に優れた城であった事が伺える。
 北側には琉球王国初期の王陵で、12世紀に英祖王(えいそおう)が築いたと伝えられる「浦添ようどれ」があり、一帯は、緑豊かな浦添大公園として整備されている。
 浦添城跡は、琉球王国のかつての繁栄が偲ばれる城跡である。現在、浦添市の働きにより、史跡浦添城跡復元事業を進めているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数2件: 1~2 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter