NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/12/9


白川郷の田植え祭 shirakawagouno-tauematsuri 

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 白川郷の田植え祭(しらかわごうのたうえまつり)は、岐阜県大野郡白川村荻町にて、毎年五月下旬に行われている祭りである。
 ユネスコの世界文化遺産に登録されている白川郷では、特色ある合掌造り家屋郡と、その周囲に水田や畑が広がる独特で美しい景観が見られる。
 田植え祭は、白川郷観光協会が機械化で消えていく手植え風景を惜しみ、昔ながらの農村風景を残す事などを目的に、昭和六一(1986)年から始められた。
 祭りでは、紺のかすりの着物に赤いたすきをかけた早乙女姿の女性たちが、水を引き入れたばかりの田んぼで「チョボーン、チョボン」という田植え歌の調べにのせて、一列になって苗を植える。
 白川郷の田植え祭は、初夏の風物詩となっている祭りである。
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2008/7/11


送り盆祭り Okuri-bon-matsuri Okuri-bon Festival

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 秋田県横手市で八月一五日と一六日の二日間おこなわれる夏の風物詩が「送り盆祭り(おくりぼんまつり)」である。
 江戸時代中期の享保の大飢饉のとき、亡くなった人々の霊を慰めるために供養したのが始まりである。以前柳町だった、現中央町の町内で屋形舟を作り、柳を添えて枝に法名などを書いた短冊を吊るし、川原に繰り出すものであった。
 この祭りは、各町内から屋形舟が出発し、町を流れる蛇の崎川原まで目指して御霊を送り、その後各町内まで戻るしくみになっている。しかし御霊を送ったあと、町内に早く引き返さなければならないのに、蛇の崎橋の上で互いに道を譲らず、舟同士をぶつけ合うという、迫力あるクライマックスが待っている。
 屋形舟の寸法は約七メートル、幅が二メートル、高さ四メートル程で、重さが六〇〇~八〇〇キログラムある。担ぎ手は、一度に二〇~三〇人でおこなわれ、ひとつの町内で総勢四〇~五〇人の担ぎ手は必要である。
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2008/6/6


諏訪湖祭湖上花火大会 Suwako-sai-kojou-hanabi-taikai The Lake Suwa Festival Fireworks Display

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 信州の夏の風物詩、諏訪湖祭湖上花火大会(すわこさいこじょうはなびたいかい)は、毎年八月中旬に開かれる、全国でも有名な花火大会である。
 終戦直後である昭和二四(1949)年から続いている花火大会で、終戦記念日にあたる八月一五日の夜七時、戦争犠牲者へ捧げる黙祷から幕を開ける。
 諏訪湖に浮かぶ初島を中心に、湖上に設置された打上台から四万二千発余りの花火が彩りをみせる。湖面に映る花火も見事で、他の花火大会では味わえない光景を楽しむことができる。
 特に、大きな半円が次々と花開くように描かれる水上スターマインや、湖をまたぐ全長二キロメートルのナイアガラは、圧巻である。
 また、四方を山に囲まれた土地であるため、賑やかな花火の音が山に反響し、迫力満点である。
 長野県の花火生産額は全国一で、昔から花火師が多く存在していることから、諏訪湖の花火は技術的に優れているといわれている。
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2008/5/20


砺波夜高祭 Tonami-yotakamatsuri 

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 砺波夜高祭(となみよたかまつり)は、富山県砺波市本町にて毎年六月の第2金曜、土曜の2日間に渡って行われる田祭りである。
 砺波地方各地では古くから夜高祭りが開催されており、一番古いものでは、慶安年間(1648~1651)、神明社の創設にあたって、人々が手に手に行燈を持って伊勢神宮の分霊を出迎えたと伝わっている。
 砺波夜高祭は五穀豊穣・豊年満作を祈る田祭りで、田楽や夜高と称する大小の行燈が町内を練り歩き、拍子木、唄、太鼓に包まれて続く。出町の夜高が町内に集い、祭りが始まったとされるのは大正年代の事とされている。
 戦中、戦後は資材や労力不足から中断した事もあったが、現在では絢爛豪華に開催されている。
 砺波夜高祭は、初夏の風物詩ともいえる農民の祭りである。
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2008/5/15


薪能 Takigi-nou 

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 薪能(たきぎのう)は、室町文化の華といわれる「能」の一種で、主として夏場の夜間において能楽堂や野外に臨時に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚き、そこで特に選ばれた演目を演じるものである。
 その起源は平安時代中期にまで遡り、奈良の興福寺で催された薪を奉納する神事が最初とされ、室町時代に入って「薪能」と呼ばれるようになった。
 現在の薪能は、復活した興福寺薪能を元に、昭和二五(1950)年に平安神宮で開催された京都薪能がルーツとされ、以降、主に自治体主催の夏の風物詩として、全国各地に広まっていったとされている。
 薪能においては、舞台設定は特に重要視される。屋外で行われることが多いことや照明は篝火のみということもあり、火の強さや、焚かれて浮かび上がる背景も舞台の一つとして捉えられ、周囲建造物なども借景として利用される。
 暗い静寂の中、篝火の灯下で繰り広げられる自然と能楽の調和は、見るものを幽玄の世界へと誘い出してくれるだろう。
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2008/1/30


加世田 水車からくり Kaseda Suisha-karakuri 

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 毎年七月の鹿児島県の夏の風物詩「六月灯」に合わせて、加世田市・竹田神社、知覧町・豊玉姫神社、吹上町・温泉祭りの三ヶ所では「水からくり」が奉納される。
 浄瑠璃風の武者人形が舞台に立ち親しみのある演目を披露するのだが、これを人の手ではなく水車の動力を利用して行っている。
 加世田市・竹田神社のからくりは他二ヶ所と異なり、人形が実物大ほどに大きく、馬に乗った姿が多い。
 神社の川の上に舞台、下に水車と歯車を設置し、動力を舞台上の人形へ伝える。人形は、ゆったりとダイナミックに動く。
 演目は川中島の合戦、北条時宗と元寇など勇ましい内容だ。
 全国で唯一の水車によるからくり人形で、「薩摩の水からくり」として昭和五九年に国選択有形民俗文化財に指定されている。

 
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