NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


ラルフ・キゲル Ralph Kiggell Ralph Kiggell

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 ラルフ・キゲル、英国出身。1960年、ザンビア生まれ。その作品において、東アジアからの影響を強く受けている木版画作家である。
 子供の頃から日本の木版画に興味を持ち、ロンドンの大英博物館で定期的に開催される浮世絵の特別展で、葛飾北斎や喜多川歌麿などの作品に触れる。1990年、木版画の勉強のために来日。木版画家の吉田遠志が設立した東京の吉田版画アカデミーで、遠志の息子で吉田博の孫でもある吉田司のもとで学ぶ。後に京都精華大学、そして多摩美術大学で現代木版画の技術を学ぶ。
 日本の木版画は、手作りの天然の素材を用いてすべての制作過程を手作業で行う。その繊細さがキゲル氏にぴったりとくるようだ。「手から木へ」そして「木から紙へ」という一連の流れには有機的な関係がある。まさに今私たちが生きているデジタル時代において、木版画は現代の芸術表現の中で特別な力を持つ重要な媒体であるとキゲル氏は考えている。
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2008/1/22


鳴子漆器 Natuko-shikki Naruko Lacquer Ware

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 鳴子漆器(なるこしっき)は、宮城県大崎市鳴子温泉に伝わる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 寛永年間(1624~1643)、当時の岩出山藩三代城主・伊達弾正敏親が塗師・村田卯兵衛、蒔絵師・菊田三蔵を京都に派遣し修行させ、鳴子漆器の振興を図った事から発達し、その子孫が伝承して今日に至る。
 挽物木地の塗立て技術には、塗りは木目を生かした木地呂塗(きじろぬり)やふき漆仕上げ、また独特の墨流しの技法である竜文塗(りゅうもんぬり)があり、伝統的な塗立て技術による製品には、しっとりとした美しさがある。
 また、木地に厚みがあり、いく重もの重ね塗りにより、長期の使用に耐えられるのも特徴とされる。
 鳴子漆器は、日常生活に根ざした味わい深い伝統工芸品である。
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2008/1/17


青貝塗 Aogai-nuri 

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 青貝塗(あおがいぬり)は、国の伝統的工芸品に指定されている「高岡漆器」の代表的な技法の一つ。
 アワビなどの貝を刀、針といった道具を用いて三角形や菱形の細片を作り、これを組み合わせて山水花鳥を表現する技法で、江戸時代初期に当時の越中富山藩主が京都より漆器職人を招いたことに始まるという。
 約〇・三ミリ厚の貝を貼り付ける一般的な螺鈿(らでん)に対し、青貝塗は約〇・一ミリ厚の薄い貝を貼り付けるため、下地の黒い漆が透けて貝が青く見えることから、こう呼ばれるようになった。
 青貝塗の作業は分業化されており、木地師、青貝師、塗師(ぬし)がそれぞれ連携を取りながら製品に仕上げていく。木地師が木で箱や器などを作り、青貝師が貝を貼り付け、塗師が下塗りと上塗りを行う。製品はお盆や文箱、コンパクトな箱など実用品が多い。
 漆器は使えば使うほど味が出て、時と共に深い愛着がわいてくるもの。だからこそ、普段の暮らしの中で使って欲しいと、青貝塗の職人たちは願ってやまない。
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会津塗 Aizu-nuri 

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 会津塗(あいづぬり)は福島県会津若松市を中心に生産される漆器で、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などがある。昭和五〇(1975)年、通産大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 安土桃山時代に、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷(がもううじさと)が、産業として奨励したことに始まる。近江の漆器職人を呼び寄せ、その技法を会津に広めた結果、漆器は会津の一大産業となった。
 幕末の戊辰戦争で壊滅的な打撃を受けるも、明治時代中期には再び活気を取り戻し、会津は日本有数の漆器産地として、今もその名をとどろかせている。
 工程によって、それぞれの専門職人が分業で行うのが特徴。そのため、より高い品質と能率的な生産を実現している。椀などロクロを使用して丸物を作る木地師(きじし)、重箱などカンナを駆使して板物を作る惣輪師(そうわし)、それらに豪華な飾りを施す蒔絵師(まきえし)・漆絵師(うるしえし)・沈金師(ちんきんし)がいる。縁起の良い図柄で人気が高い。
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2007/11/22


漆芸 Shitsu-gei 

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 漆芸(しつげい)とは、うるしを使用して作られた漆器や、それに装飾を加えたりした工芸品、及びその技術の事である。
 現在の漆の技法は中国から伝えられたとされるが、それ以前の、6000年も前の縄文遺跡から、漆を使った工芸品が出土している。
 漆技法は、主に4種類存在する。
 蒔絵(まきえ)は、蒔絵筆によって漆で模様を描き、その漆が乾かないうちに金粉や銀粉をまき、研ぎ出しや磨きを行う。
 沈金(ちんきん)は、沈金刀で漆の表面を線刻し、彫り跡に金箔や銀箔をすり込んで文様を作る。
 螺鈿(らでん)は、アワビや夜光貝の貝殻を薄く研磨した物を漆の表面にはめ込む。
 拭き漆(ふきうるし)は、顔料を加えていない漆を木地に塗ってはふき取る作業を何度も繰り返し、木目を鮮やかに見せる。
 漆芸は、日本独自の進化を遂げた伝統的工芸技術である。
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2007/10/12


駿河雛具 Suruga-hinagu Suruga Hina Doll Fittings

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 駿河雛具は、静岡県にて造られるひなまつりの飾り物である。
 針箱、茶道具、箪笥、長持、挟箱など、江戸時代の武家の豪華な嫁入り道具を模したものが雛具である。小さいながら実物と同じ様に作られているのが特徴である。
 16世紀、今川氏が静岡を支配していた頃には、駿河雛具は生産されていた。
 江戸時代になると、久能山東照宮や浅間神社の造営等をきっかけに、全国から集まった職人達が静岡に定着し、高度な技術を応用して雛具作りが発達していった。
 また、木地、漆、蒔絵、金具等の工程を分業化することで、手工芸でありながら大量の製品を作ることができたのも、駿河雛具の大きな特色である。
 駿河雛具は、湿気が多く温暖な気候と、江戸や京都等の大消費地の中間にあるという立地が幸いして発展した、伝統工芸品である。
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2007/10/9


郷原漆器 Gouhara-shikki Gohara Lacquer Ware

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 郷原漆器(ごうはらしっき)は、岡山県真庭市蒜山(ひるぜん)に伝わる伝統工芸品である。県の重要無形民俗文化財に指定されている。
 明徳年間(1390~1400)に始まった言われ、最も大量に作られ技術が発達したのは江戸時代で、当時、山陰地方を中心に数多く出荷されていた。
 蒜山地方のクリ材を使い、木目を大切にしながら備中漆等の天然の漆が使用され、しっかりとした塗りと実用性、そして独特の優れた沈金技術で仕上げられている。
 特徴は、伝統に従い地元に育ったクリの木を輪切りにして、生木のままロクロで挽いて形を作り乾燥させる所で、この方法ならではの美しい木目を生かした普段使いの漆器として、現在でも広く愛用されている。
 郷原漆器は、天然の木地と漆を使った、木目の麗しい伝統工芸品である。
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2007/9/28


日野椀 Hino-wan Hino Lacquered Bowls

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 日野椀(ひのわん)は、滋賀県蒲生郡日野町に伝わる伝統工芸品である。
 天文二(1533)年、城主・蒲生定秀(がもうさだひで)が日野城下町を作った時、綿向山下に散在していた木地師や塗師を集めて塗師町・堅地町を設け、日野椀の生産を始めたとされている。
 貞秀の孫である氏郷が、天正一二(1584)年に転封したため、一時日野椀作りは衰微したが、日野商人たちが日野椀を行商の主力商品としたことから再び日野椀の生産が盛んになり、江戸初期には日本有数の椀の産地となり、広くその名が知られるようになった。
 初期に生産され今も残存する器は、祭器が多く見られ、厚手・高い高台を特徴とする。
 日野椀は、庶民使いの漆器として、日野商人による行商で全国へ広まった伝統工芸品である。
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