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灯明台(とうみょうだい)は、千葉県船橋市宮本にある意富比神社(おおひじんじゃ)境内に残る灯台である。
当時は、灯明台周辺が東京湾沿岸であったため、往来する船舶に位置を知らせるための常夜灯があったが、慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、戦災によって社殿とともに焼失。その後の明治一三(1880)年に、地元有志らの寄付によって同社境内にある標高27mほどの小高い丘に本格的な灯台として建てられた。
肝心の光源には、石油ランプに錫製の反射鏡を組合わせた構造が用いられ、その光は11km先まで届く程だったという。
木造瓦葺きの三階建てで、一階と二階が和風、三階は西洋式灯台の和洋折衷の造りとなっており、明治二八(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。
今はもう、灯台としての機能は果たしていないが、その歴史的価値から県の有形文化財にも指定され、建設から一二〇年以上を経た現在にあっても、文明開化の趣を垣間見せてくれている。
当時は、灯明台周辺が東京湾沿岸であったため、往来する船舶に位置を知らせるための常夜灯があったが、慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、戦災によって社殿とともに焼失。その後の明治一三(1880)年に、地元有志らの寄付によって同社境内にある標高27mほどの小高い丘に本格的な灯台として建てられた。
肝心の光源には、石油ランプに錫製の反射鏡を組合わせた構造が用いられ、その光は11km先まで届く程だったという。
木造瓦葺きの三階建てで、一階と二階が和風、三階は西洋式灯台の和洋折衷の造りとなっており、明治二八(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。
今はもう、灯台としての機能は果たしていないが、その歴史的価値から県の有形文化財にも指定され、建設から一二〇年以上を経た現在にあっても、文明開化の趣を垣間見せてくれている。
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