NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/5/17


中山道太田宿 Nakasendou Ootajuku Otajuku Post Town on the Nakasendo Highway

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 起点の板橋から数えて中山道六十九次の51番目にあたる「太田宿」は、中山道の三大難所の一つで知られる「太田の渡し」があり、飛騨街道と郡上街道の分岐点でもあったところから、大いに栄えた。東西680mに亘って続く町並みは、昔の景観を保っているので、宿場情緒を楽しみながら散策出来る。
 桝形を抜けて旧中山道の町並みに入ると、今は無くなってしまった本陣の門だけが左に残り、右には見学可能な脇本陣が残されている。通りに、ほど近い祐泉寺には滝場観音の伝説が残るほか、播隆上人の墓、坪内逍遥、北原白秋、松尾芭蕉の歌碑・句碑等が建っている。この太田宿を発つと、「太田の渡し」で木曾川を渡り、伏見、御嵩へと向ったのである。
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2007/1/18


草津宿本陣 Kusatujuku-honzin Kusatsu-juku Honjin

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 東海道五十三次の、江戸から52番目の宿場。寛永十二年設置から明治三年の廃止まで二百三十五年間、大名や役人等の休泊を担った。
 東海道と中山道の分岐・合流点でもあり、かつては100軒をこえる旅籠が軒を連ねた要衝の地。現存する本陣の中で最大級の規模で、宿帳には浅野内匠頭や吉良上野介などの名も見られる。
 草津宿本陣には「大福帳」の表題をもつ長帳が、元禄五(1692)年から明治七(1874)年に至る百八十二年間にわたって、各年一冊、計百八十二冊が残されている。
 江戸時代、本陣を頂点にさまざまな宿泊施設が集まっていた宿場。草津宿も同様で、本陣二軒、脇本陣二軒、旅篭屋は七十軒余を有し賑わいをみせ、なかでも、「田中七左衛門本陣」は建物をはじめ、敷地全体で当時の面影を今に伝える。昭和二十四年、「草津宿本陣」として国の史跡に指定され、多くの人を江戸の世界に誘う。
 「平成の大修理」を終え、平成八年四月より一般公開を開始した。
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