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2008/10/17


船橋 灯明台 Funabashi Toumyoudai 

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 灯明台(とうみょうだい)は、千葉県船橋市宮本にある意富比神社(おおひじんじゃ)境内に残る灯台である。
 当時は、灯明台周辺が東京湾沿岸であったため、往来する船舶に位置を知らせるための常夜灯があったが、慶応四(1868)年の戊辰戦争の際、戦災によって社殿とともに焼失。その後の明治一三(1880)年に、地元有志らの寄付によって同社境内にある標高27mほどの小高い丘に本格的な灯台として建てられた。
 肝心の光源には、石油ランプに錫製の反射鏡を組合わせた構造が用いられ、その光は11km先まで届く程だったという。
 木造瓦葺きの三階建てで、一階と二階が和風、三階は西洋式灯台の和洋折衷の造りとなっており、明治二八(1895)年に廃止されるまで、政府公認の私設灯台として活躍した。
 今はもう、灯台としての機能は果たしていないが、その歴史的価値から県の有形文化財にも指定され、建設から一二〇年以上を経た現在にあっても、文明開化の趣を垣間見せてくれている。
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2008/10/1


坊津 Bouno-tsu 

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 坊津(ぼうのつ)は、鹿児島県薩摩半島の西南に位置する。かつて、中国や南方諸島との貿易の窓口として発展し、筑前の博多津(現福岡市)と伊勢安濃津(現三重県津市)と並ぶ「日本三津(さんしん)」のひとつと謳われていた。
 坊津の海岸線は海に迫る山岳が多く、総長52kmにも及ぶリアス式海岸となっている。沿岸は景勝が多く、風変わりな岩礁が点在。雄大で荒々しい風光は全国でも珍しく、訪れる人々は皆感嘆の声を上げる。
 坊津は風光明媚な景観もさることながら、大小の瀬が点在し、釣り場の多さでは九州屈指。特にイシダイ釣りのメッカとして釣り愛好者たちの人気を集めている。
 また、海は九州随一の透明度を誇り、色とりどりの熱帯魚が見られ、一年を通して県内外から多くのダイバーたちが訪れる。
 
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2008/7/25


三陸リアス式海岸 Sanriku-riasushiki-kaigan  Saw-tooth Sanriku Coastline

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 三陸リアス式海岸(さんりくりあすしきかいがん)とは、青森県南東部~岩手県沿岸部~宮城県の牡鹿半島までの、総延長600kmのリアス式海岸の事である。
 三陸とは青森県の陸奥、岩手県の陸中、宮城県の陸前の総称で、リアス式海岸とは海岸線に対して垂直方向に伸び、河川により浸食されてできた開析谷が、谷が沈降してできた入り江になり、それが連続して鋸の歯のようにギザギザに連なっているような地形をいう。
 三陸海岸の沖合いは、寒流の親潮と暖流の黒潮が三陸沖でぶつかり、世界四大漁場と呼ばれるほど豊かな漁場が広がっている。
 また、海岸の断崖絶壁は、ミサゴ、ウミウ、ウミネコ等の野鳥の格好の繁殖地ともなっている。
 三陸リアス式海岸は、太平洋の荒波と風雨によって造り出された景勝地が、点在する海岸である。
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2008/6/26


津和野城址 Tsuwano-joushi 

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 島根県の「津和野城址(つわのじょうし)」は、津和野盆地の南西部に位置する標高367mの山上の山城址である。
 津和野城としての築城は古く、元寇襲来の後、沿岸防備の為に弘安五(1282)年、吉見頼行が地頭として赴任し、永仁三(1295)年から築き始めた。当初は三本松城と呼ばれており、正中元(1324)年に完成した。その後、一四代に亘って吉見家が居城していた。
 戦国時代から江戸時代にかけて幾度か城主が変わるが、元和三(1617)年に亀井政矩が入城すると亀井家が明治まで一一代続く。
 津和野城は、長州に対する目付役として監視をしていたので、戦国時代の城郭形式が江戸時代もそのまま使われ、石垣もそのまま残っている。
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2008/5/22


岸和田城(千亀利城) Kishiwada-jou(Chikiri-jou) 

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 大阪府岸和田市の「岸和田城(きしわだじょう)」は、建武元(1334)年に当時「岸」と呼ばれていたこの地に楠木正成の一族である和田氏が城を築いたのが始まりである。「岸和田」という地名の由来でもある。
 近世城郭として整備されたのは、天正一五(1587)年に現在の地に小出秀政が入封し行ったもので、慶長二(1597)年には五層の天守閣が完成した。 元和五(1619)年に松平康重が入封し、城下町の整備を行った。寛永一七(1640)年に岡部宣勝が入封すると城郭の大改築が行われ、伏見城の櫓や城門が移築された。また石垣を積み、津田川沿岸の堤防を改築、総曲輪をもつ連郭式平城が完成した。
 文政一〇(1827)年、落雷で天守閣が焼失したが、昭和二九(1954)年に再建され、現在、天守閣や隅櫓は資料館として岡部氏の遺品や郷土史料を展示している。また本丸内の八陣の庭は、「諸葛孔明の八陣」に擬したもので近代感覚を取り入れた石庭として知られている。
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2008/5/9


鳥海マリモ Choukai-marimo 

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 鳥海マリモ(ちょうかいまりも)は、秋田県にかほ市の獅子ケ鼻湿原(ししがはなしつげん)にて、四月~一一月に見られる植物である。
 獅子ケ鼻湿原は、標高500~550mの鳥海山北側斜面に広がる26ヘクタールの湿原で、出壺と呼ばれる4ケ所の豊富な湧き水に恵まれ、その湧き水の周辺や川底の至る所に多種多量のコケ類が密生している。
 湿原植物が自生する群落は、県の天然記念物に指定されている。
 鳥海マリモは、阿寒湖の球形のマリモとは異なり、クッション状に密生していて、ハンデルソロイゴケ・ヒラウロコゴケ等の混成体が水中で球状に発達したものを言い、その中には1mを越すものも確認されている。
 鳥海マリモは、日本ではここと八ヶ岳の2ヵ所、世界的にみても地中海沿岸にのみ確認されている、貴重な植物である。
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2008/2/1


風蓮湖湿原 Fuuren-ko-shitsugen Furen-ko Wetland

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 風蓮湖(ふうれんこ)は、別海町と根室市にまたがる周囲96kmの、海水と淡水が入り交じる大きな汽水湖である。この風蓮湖に注ぐ風蓮川下流に広がっているのが、風蓮湖湿原である。
 風蓮湖は、根室湾の沿岸流によって運ばれて作られた砂州によって風蓮川の水が堰きとめられてできた湖で、直接に根室湾に接しているため、風蓮湖河口近くには、大規模な塩湿地が発達している。
 ここは、オオハクチョウやヒシクイ、シギなど、多くの渡り鳥の飛来地や中継地となっており、また、オジロワシやオオワシ、シマフクロウ、タンチョウなど希少鳥類をはじめとする三〇〇種類近くの鳥類が観察できるという。
 2005年には、鳥獣保護区特別保護地区としてラムサール条約に登録され、大切に保護されている。
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2008/1/30


薩摩川内市 トンボロ Satsuma-sendai-shi Tonboro 

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 海岸と島が近い場合、波の流れに相殺が起こり、間に波の静かな部分ができ漂砂が堆積することがある。それはやがて海岸と島を結ぶ砂州にまで成長し、そのまま陸続きとなる細長い低い地形をつくる。
 この現象を陸繋砂州(りくけいさす)、またはイタリア語で「沿岸流によって出来た陸地」という意味でトンボロと呼ばれる。
 鹿児島県薩摩川内(せんだい)市里村には北海道函館市、和歌山県串本町と共に日本三大トンボロと呼ばれる地形がある。南北に約1500メートルの長さで、最大幅1000メートル、最小幅250メートル、高さ2・3メートル。
 薩摩川内市のトンボロは、波の相互作用に加えて夏季の東南からの台風と冬季の北西からの季節風が訪れることにより砂の堆積がなされたものといわれている。
 このトンボロの上に里町の中心街が出来ており、静かな漁業地区となっている。
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