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臨春閣(りんしゅんかく)は、神奈川県横浜市にある庭園、「三溪園」(さんけいえん)内にある数寄屋風書院造りの別荘だ。
三溪園は明治の実業家、原三溪が五万三千坪もの広大な自宅敷地内に大小さまざまな建築物を移築して公開した庭園である。
臨春閣は、その広い園内の北側を占める内苑に位置している。
元は紀州徳川家初代藩主、徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市を流れる紀ノ川のほとりに建てた「厳出御殿」である。慶安二(1649)年に建てられ、日本に残る唯一の大名別荘建築として、国の重要文化財にも指定されている。この厳出御殿を大正四(1915)年に園内に再建、原三溪自身が臨春閣という名をつけた。
来客や家臣の控所である第一屋と紀州候が来客と面会した第二屋、奥方の居間である第三屋で構成されており、襖絵は狩野探幽や狩野安信らによって描かれている。
様々な木々と苑池が織り成す趣きある庭の中で、堂々たる佇まいを今に伝えている。
三溪園は明治の実業家、原三溪が五万三千坪もの広大な自宅敷地内に大小さまざまな建築物を移築して公開した庭園である。
臨春閣は、その広い園内の北側を占める内苑に位置している。
元は紀州徳川家初代藩主、徳川頼宣が夏の別荘として、現在の和歌山県岩出市を流れる紀ノ川のほとりに建てた「厳出御殿」である。慶安二(1649)年に建てられ、日本に残る唯一の大名別荘建築として、国の重要文化財にも指定されている。この厳出御殿を大正四(1915)年に園内に再建、原三溪自身が臨春閣という名をつけた。
来客や家臣の控所である第一屋と紀州候が来客と面会した第二屋、奥方の居間である第三屋で構成されており、襖絵は狩野探幽や狩野安信らによって描かれている。
様々な木々と苑池が織り成す趣きある庭の中で、堂々たる佇まいを今に伝えている。
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