NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/9


三瓶秋祭り Mikame-aki-matsuri 

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 三瓶(みかめ)秋祭りのお練りは、愛媛県西予市三瓶町で毎年一〇月一四日から一六日頃に開催されている。
 安政六(1859)年に吉田から練りの道具を購入したのがはじまりで、現在のような行列の練りとなったのは、明治四(1871)年からとされている。
 一五日、朝立地区から練りが開始される。牛鬼を先頭に、200メートルにも及び、金幣、奴、相撲甚句、唐獅子、五ツ鹿、神興、四つ太鼓などの大行列となる。白昼夢のような、不思議な光景だ。
 牛鬼の胴部分は毎年作り替えられている。竹を張り、胴を形作る作業は、牛鬼の頭を購入した頃から150年近く住民によって継承されてきた。1カ月半かけて乾燥させた胴は、当日に頭と尾が取り付けられ、赤布で覆われる。道々の家を回り、夕方には地区の中心部広場で、大勢の観衆を前に「四つ太鼓」とのかち合わせを繰り広げ、迫力あるエキサイティングな様相となる。
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2008/9/8


灘のけんか祭り Nada-no-kenka-matsuri 

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 「灘のけんか祭り」とは、兵庫県姫路市白浜町の松原八幡神社で行われる秋季例祭の俗称。11世紀には、この例祭の原点となる祭礼が始まっていたとされる。
 神輿をぶつけ合い、絢爛豪華な屋台を練り合わせ、華やかさと勇壮さで他に類を見ない「灘のけんか祭り」。全国の「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りである。
 祭礼は宵宮(夜宮)と本宮(昼宮)に分かれ、まず前夜祭に当たる10月14日の宵宮で幕を開ける。各村の氏子たちがそれぞれの村の屋台を担ぎ上げて松原八幡神社に赴き練り合わせをし、お祭り気分を盛り上げる。祭り本番の翌15日には、屋台と共に3基の神輿を担いでお旅山の麓の練り場に向かい、ここでけんか祭りの名にふさわしい壮絶なぶつけ合いを行う。その後、練り場に次々と6台の屋台が進み、色とりどりのシデ棒が波打つ中、勇壮豪奢な練りを見せ、祭りはクライマックスを迎える。
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2008/9/5


竹駒神社 秋季大祭 Takekoma-jinja Syuuki-taisai 

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 承和九(842)年に創建され、日本三大稲荷の一つに数えられる古社、竹駒神社では、毎年九月の第四土日の二日間にわたって秋季大祭が開催されている。
 豊穣の秋を迎えての御神恩に感謝を捧げる、竹駒神社が鎮座する宮城県稲荷町を挙げての盛大な祭りだ。
 まず、初日となる土曜日には宵宮祭(よいみやまつり)が行われ、市内商店や氏子崇敬者の方々による献灯祭、ビックリ市、芸能まつりなどが神社外苑で開催、華やかな宴の始まりを告げる。
 そして翌日の日曜日が本祭となる秋季大祭で、朝から竹駒音頭や竹駒林の山車が繰り出され、祭のクライマックス到来を告げる。午後からは本宮・青龍・白弧・朱雀・玄武の小神輿5基と市内の各町内子ども会によるたる神輿三十基が繰り出し、祭りは最高潮を迎える。
 日本人が思い描く純然たる日本の秋祭りが、二日間にわたって繰り広げられる。
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2008/8/19


大原はだか祭り Oohara-hadaka-matsuri 

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 千葉県いすみ市大原地区では秋になると、全国屈指の勇壮な祭り「大原はだか祭り」が行われる。大原はだか祭りの起源は定かではないが、娯楽の少なかった江戸時代に、住民の意思疎通を図るために始まったとも伝えられている。
 大原・東海・浪花三つの地区の一八の神社の神輿が大原漁港に集結し、五穀豊穣漁が祈願される。その後勇ましい掛け声とともに神輿を肩にかついだ人々が水中を駆け巡りもみ合う、「汐ふみ」が勇壮に執り行われる。
 その後、全ての神輿は大原小学校へ約一km道のりを賑やかに移動する。こちらもまた見物の「商店街渡御」である。
 校庭に着いた神輿はまた、全力で駆け回る。やがて日が落ち、提灯に灯りが灯される頃になると、校庭は神輿と人で埋め尽くされ、神輿を投げては受け止めを繰り返し、最後に「大別れ式」という見所を迎える。「大別れ式」では哀愁を帯びた別れを惜しむ唄が唄われる。
 荒々しさと優しさの二面性を持った祭りは二日間に亘って行われ、多くの人で賑わう。
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2008/8/8


水戸黄門まつり Mitokoumon-matsuri 

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 江戸時代の初め、水戸藩主であった徳川光圀は、水戸黄門という異称でも広く知られている。
 「水戸黄門まつり」は、昭和初期から行われていた商店会主催の夏と秋の祭りがもとになり、昭和三六(1961)年に水戸市の夏の祭りとして行われるようになった。
 同年の映画『水戸黄門、助さん、格さん 大暴れ』の撮影が水戸市であった時に、主演の月形龍之介が黄門の旅姿で市役所を訪れたことが祭りのきっかけになったという。
 水戸黄門まつりは毎年八月の第一土曜・日曜に開催され、初日には前夜祭として千波町千波湖畔で花火大会が開催される。創作花火などが夜空と湖面に映え見応えがある。そのほか、市民参加のパレードやコンテストが行われ、神輿や山車も繰り出し、町は大いに盛りがる。
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2008/6/13


葡萄色(ぶどういろ) Budouiro(budouiro) 

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 葡萄色(ぶどういろ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 紫紺の根で染めた、山葡萄の実が熟れた皮のような、鈍い赤紫色を、葡萄色(えびいろ)という。
 古くは葡萄は「えび」と読んだ事に由来し、各地に自生する山葡萄の一種である、エビカヅラともよばれるエビヅルの熟した実のような暗い赤を指す。
 葡萄色(ぶどういろ)は、同じ漢字ではあるが、この葡萄色(えびいろ)から、わずかに青みよりの紫の事を言う。
 秋の味覚として食べられているぶどうの果皮のような色が、葡萄色(ぶどういろ)である。
 また、鉄道車両でも「ぶどういろ」が用いられたが、これは焦げ茶に近い色で、葡萄色(ぶどういろ)とは異なる。
 葡萄色(ぶどういろ)は、青紫の葡萄に似た、伝統色である。
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2008/5/14


菊 Kiku 

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 菊(きく)は、キク科キク属の植物で、主に秋に咲く花である。
 一般的に見られ、栽培されているものはイエギクと呼ばれ、野生種であるいわゆる野菊は、日本においても三百五十種ほどが確認されている。
 葬儀の際の献花に菊が用いられることが多いが、これは西洋での慣習が、日本にも影響を与えたといわれている。
 観賞の習慣としては平安時代ごろ、中国から秋の重陽の節句と共に持たらされたという。
 鎌倉時代には後鳥羽上皇が菊紋を天皇家家紋としたことにより、春の桜と共に日本の秋を象徴する花となった。
 江戸時代になってイエギクの栽培が盛になり、大菊や中菊など多数の品種が生み出され、同じころに菊花壇、菊人形などがもてはやされるようになり、日本独自の発展をした古典園芸植物の一つとして今も親しまれている。
 一八世紀ごろにはヨーロッパにも輸出され、園芸の分野でも大きな影響をもたらしたとされている。
 菊は桜と共に、まさに日本を代表する花である。
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2008/2/21


秋桜(コスモス) Kosumosu 

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 秋のはじめに可憐な姿をみせ、優しい色合いの花で知られる「秋桜(コスモス)」は、キク科コスモス属の植物で、和名は「アキザクラ」という。ギリシャ語では「飾り」という意味がある。
 原産国はメキシコで、日本には明治時代のはじめに入ってきたといわれている。
 草丈は50センチメートルから高いもので2メートルくらいのものまであり、色はピンクを主流に白・黄・赤などがある。
 コスモス前線は、桜前線とは逆に北から南へ、涼しいところから暖かいところへ南下する。全国には、コスモスが植えられている名所がいくつもあり、初秋の訪れを上品に感じることができる。花ことばが「繊細な心」というのも納得がいく。
 近年では、耐寒性があり、チョコレートの香りがするという茶色の「チョコレートコスモス」や、一般的なコスモスに比べて暑さに強いという、黄色い花を咲かせる「キバナコスモス」などの種類もあり、花弁が筒状になっている「貝咲きコスモス」という、珍しい品種もつくられている。
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