NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/21


狐色(キツネイロ) Kitsune-iro 

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 「こんがり狐色(きつねいろ)に焼けたパン」などといった、ほどよい焦げ目の形容詞としてよく使われている狐色は、文字通り狐の背色に似た黄褐色を言う。
 実際には狐の体色よりやや濃い茶色を表し、食べ物の美味しそうな焼き色の形容詞として使われることが多い狐色だが、日本では鎌倉時代以降から伝統色として親しまれてきており、現在でもやや黄色がかった薄茶色の狐色は、着物などの色名として使われているという。
 英国ではfox(フォックス)、中国では紅狐色(ホンフースー) という名前がつけられている。色の表現には共通するものがあるようである。
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2007/11/16


【秋・龝】 Shuu Autumn

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 この字は「あき」という季節の、古今変わらない特長である実りと収穫をあらわし、それが禾偏(のぎへん)に反映されています。偏以外の部分は害虫を焼くことを示しています。
 本来の字形では火が下にあります。火を幼虫、または虫卵に直接あてるということを意味するリアルな位置です。甲骨文にはじめて本来の字形が見られます。正字の「龝の龜の下に灬(烈火)がある字」は今「異体字」とよばれるようになりましたが、実は本来の意味をもっとはっきり表しているのです。常用漢字の「秋」では要素の相互関係がわからず、「害虫を焼く」という火の役割が一切見えない省略形になってしまいました。正字では、灬(烈火)は適当に虫の下の部分に置かれています。
 殷の時代に農業はすでにかなり発達し、すでに肥料として灰と糞が利用されていましたが、ズイ虫やイナゴ(稲子)の害も無視できない存在でした。十分に成長した虫は逃げますから、火を当てて焦がしたのはむしろその稲・穀物に付着している動けない虫卵でしょう。そして正字の字形にある虫(龜)にはある象徴的な意味が生じました。そこには、季節の儀礼との深い関係があったのでしょうか。
 
■ 秋・甲骨文(こうこつぶん)
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2007/8/20


北國花火金沢大会 Hokkoku-hanabi-kanazawa-taikai 

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 七月初旬から九月の終わり頃まで、石川県の各市や町、約二〇箇所で行われる「北國花火大会」の中で、「北國花火金沢大会(ほっこくはなびかなざわたいかい)」は一、二を争う規模である。
 七月の終わりに石川県金沢市で行われ、毎年スケールアップする打ち上げ花火の総数は一〇〇〇〇発以上にものぼる。金沢の夜空を焦し、市内を流れる犀川(さいがわ)の川面を眩く照らす。
 犀川緑地で行われる、スターマインの五箇所同時打ちや滝仕掛けは素晴しく、大きな歓声が上がる。そして、息もつかせない一〇〇〇連発の乱れ打ちが始まると、怒号にも似た歓声が鳴り響いて止まない。
 周辺は四方に遮るものも無く遠くからも見物は可能だが、それでも毎年二〇万人以上の観客が訪れる、活気のある花火大会である。
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おやまサマーフェスティバル Oyama-summer-festival 

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 栃木南部にある小山市最大のイベントである「おやまサマーフェスティバル」は、毎年七月の最終土曜日と日曜日の二日間に亘って開催される。
 土曜日のオープニングカーニバルは、小山駅前・祇園城通りのパレードから始まり、市役所周辺会場にて市民の参加による「よさこいおやま」、小山の伝統芸能など様々な催しが行われ、辺りは多くの人々で賑わう。
 そして二日目の夜の見ものは、なんといっても花火大会だが、これは戦後間もない昭和二四(1949)年に人々の心をなぐさめ、元気づけようと始められたものである。
 今ではスターマインを中心とする尺玉の打ち上げ、そして花火師達による絢爛豪華な花火の競演やナイアガラなど、関東でも有数の規模を誇る二万発を超える花火が夜空を焦し、大輪の美しい花を咲かせ、観客を魅了し続けている。
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2007/8/7


滝山寺 鬼まつり Takisan-ji Oni-matsuri Oni Matsuri (Ogre Festival) at Takisanji Temple

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 滝山寺(たきさんじ)は、愛知県岡崎市滝町山篭にある天台宗の寺である。本尊は、聖観音。
 滝山寺の鬼まつり(おにまつり)は、毎年旧暦正月7日に近い土曜に行われる、天下泰平・五穀豊穣を祈り、三河路(みかわじ)に春を告げる祭りである。
 鎌倉時代に起源をもち、源頼朝の祈願から始まり、江戸時代、徳川三代将軍家光以後は、幕府の行事として行われていた。
 祭りのクライマックスの「火まつり」では、白装束の男たちが松明の火を手すりに叩きつけながら、寺のまわりを回り、竹でできた大きな松明が威勢よく鳴り、火の粉が粉雪のように舞う。
 本堂を焦がさんばかりに燃える松明と、鬼の乱舞が勇壮で、最後に厄払いとして燃え残った松明の枝を拾っていく。
 滝山寺の鬼まつりは、長い歴史を持つ壮大な祭りである。
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2007/7/19


飯坂けんか祭り Iizaka-kenka-matsuri Iizaka Kenka Festival

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 飯坂(いいざか)けんか祭りは、福島県福島市にある八幡神社の祭礼で、大阪・岸和田の「地車(だんじり)」、秋田・角館(かくのだて)の「飾山(おやま)ばやし」とともに「日本三大けんか祭り」のひとつに数えられている。
 毎年10月1日から3日まで開催されるこの祭りのハイライトは、2日の宮入り。午後7時半の花火を合図に、鮮やかな提灯に彩られた6台の太鼓屋台が、御旅所(おやすみどころ)を出発。勇ましい太鼓の音と掛け声とともに、町を練り歩く。神輿が境内に入り乱れると、神輿の宮入りを阻止しようと、屋台が激しくぶつかり合う様は迫力満点だ。絶え間なく乱打される太鼓の音と夜空を焦がす提灯の灯りが、祭りをさらに盛り上げる。
 飯坂けんか祭りは、300余年の歴史を持つ、勇壮・豪快な祭りである。
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2007/7/6


夷王山 Iou-zan 

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 夷王山(いおうざん)は、北海道上ノ国市街の裏手にある標高159mの丘陵地。
 この地には、室町時代に松前藩の祖・武田信広が花沢館から移り住み、勝山館と名づけられた城郭が築かれたという歴史がある。松前藩は後に本拠を松前に移すが、16世紀末まで日本海側の拠点として繁栄したという。
 夷王山の山頂からは、日本海に浮かぶ奥尻や大島、日本海の美しい海岸線、上ノ国、江差町一帯が眺望できるビュースポットである。
 初夏には付近一帯に約5000種の山野草が咲き揃う。とりわけエゾヤマツツジは美しく、夷王山を真っ赤に焦がすように咲き乱れる。
 毎年6月には「夷王山まつり」を開催。たいまつ行列や神楽、獅子舞の奉納などが盛大に執り行われ、近隣の人々で大変賑うという。
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2007/4/24


五山送り火左大文字 Gozanokuribi-hidaridaimonji 

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 五山送り火左大文字は京都府京都市で毎年行なわれる精霊を送るための行事である。
 その起源は平安時代とも室町時代ともいわれ、長きに渡り京の人々の親しまれている。8月16日の夏の夜、京都市内では「五山の送り火」が行なわれ、各山々で松明が焚かれ、文字や絵柄が炎で浮かび上がる。
 「大」という字が最も有名で、東山の如意ヶ嶽、金閣寺大北山で作られる。その他松ヶ崎西山では「妙法」の字、西賀茂船山で船の形をした「船形」嵯峨曼茶羅山の「鳥居」の形がある。
 金閣寺大北山の「大」は「左大文字」と呼ばれる。当日の午後7時頃「法音寺」の親火台で護摩木が焚かれる。その火を持って点火役が「大」の字になるように各点火台に向かい山を走っていき、一斉に点火される。家内安全、無病息災、交通安全を祈願して、護摩木が激しく燃え上がり夜空を焦がすように「大」の字が静かに浮かびあがる。京都の夏の終わりを告げるにふさわしい行事である。
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