NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/23


結城神社 Yuuki-jinjya Yuki Shrine

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 結城神社は、三重県津市にある神社である。主祭神は結城宗広。
 結城宗広は後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕運動に参加し、建武の新政以後の南北朝時代にも南朝方として北畠親房・北畠顕家親子に従った。親房らが伊勢国から後醍醐天皇の皇子義良親王(後村上天皇)を奉じて海路を東国に赴く途中に伊勢国で病死したといわれている。
 後醍醐天皇の綸旨も所蔵されている。この場所は古くから結城の森と伝えられ、結城塚や結城明神と呼ばれ崇められていた。
 2月中旬〜3月上旬に、境内に300本のしだれ梅が咲き誇るのが有名である。あたり一面に清々しい香りを漂わせながら優雅に咲き誇るさまは、まるで早春の花絵巻を見ているよう。市の内外から多くの見物客が訪れる。
 1882年、別格官幣社に列格。建武中興十五社の一社である。
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2007/1/15


露 Tsuyu Tsuyu

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 露という言葉。大抵の人は、「朝露」「夜露」などの「露」を想像するのでないか。
 ところが、割と身近に思える、少し見方を変えた、露の言葉を使うことわざが多い。
 「つゆほども疑わない」は「わずか」という意味になり、「つゆの命」は「はかない、消えやすい」となる。
 総称すると「短」「少」「悲」的な場合につかわれるようである。
「うるおい」を感じる露ではあるものの、日が当たり風が吹けばその姿はすぐに消えてしまう。そんな様子が前文のような意味に例えられた理由であろうか。
 また、新古今和歌集では「なみだ」の表現に「つゆ」が使われている。悲しさを表現するための「しずく」である。
 昔の人々は露を感傷的な表現に使うことが多かったようである。現在の「俳句」では、露をはかなき身を現すような表現はあまり見られない。
 地球上が自然にあふれていた時代の人々の感性は、現代とは大きく違うようである。
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2007/1/10


むぎや祭り Mugiyamatsuri Mugiya Festival

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 毎年9月中旬の2日間に富山県南砺市で行われる民謡行事「むぎや祭り」。哀調沁みる麦屋節ときびきびした直線的な振りは格調高く、凛とした風格が窺える。
 約800年前、権勢と栄華を極めた平家一門は屋島・壇の浦の合戦に敗れてついに滅亡。平家一門は安住の地を求めて人里離れた越中五箇山に住み着いた。都をしのび農耕の合間に唄い踊ったのが「むぎや節」の起こりと伝えられる。発祥は能登半島の輪島で、素麺作りの際に唄われていた作業唄であったという。能登と越中を往来した麦商人や、輪島素麺の職人などにより、能登麦屋節や「まだら」という祝儀唄が、越中の礪波平野を越え、五箇山へ入り、越中麦屋節になったとみられる。
 現在では一般市民のパフォーマンスを競うイベントも開催、城端別院善徳寺境内に設置された特設ステージでむぎや踊り競演会が行われる。
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