NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/20


久保田城 Kubota-jyou Kubota Castle

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 久保田城は、秋田県秋田市にあった城である。
 久保田城は慶長8(1602)年、秋田に入部した初代秋田藩主の佐竹義宣が、所領の中央部に位置し、雄物川の水運が利用でき、河口の湊に近いという好条件の神明山に新築した城である。
 矢留城、葛根城とも呼ばれ、天守閣と石垣のない城として知られる。明治13(1880)年、火災により本丸が全焼すると、同23(1890)年、公園として解放された。
 現在、久保田城のあった一帯は千秋公園となり、緑の多い県民会館や市立図書館、平野政吉美術館などが整備されている。
 近年になって、本丸新兵具隅櫓、本丸表門などが再建された。
 久保田城は、地元のシンボルとして長い間町の発展を見守ってきた、歴史ある城である。
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2007/2/19


棚倉城 Tanakura-jyo Tanakura Castle

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 棚倉城は、福島県東白川郡棚倉町にあった城である。
 元和元(1622)年、棚倉に移封された丹羽長重は、二代将軍徳川秀忠より築城の命を受けた。
 寛永元(1624)年、長重は近津明神(都々古別神社)を馬場に遷宮し、翌年、その跡地に築城を開始した。
 寛永4(1627)年、棚倉城は完成したが、長重は別の地へ転封された。
 以後も城主は次々入れ替わり、8家16代を経て明治を迎える。
 慶応4(1868)年、戊辰戦争において官軍の攻撃を受け、最後は城主自らが火をかけ、棚倉城は落城し、廃城となった。
 昭和23(1948)年、本丸が亀ヶ城公園となり現在に至る。
 棚倉城は江戸時代、大名の左遷の地とされていたが、今ではそれも悠久の歴史の一部といえよう。
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2007/2/9


仙台城 Sendai-jyou Sendai Castle

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 1601年築城。現在の宮城県仙台市の青葉山にある平山城である。別名、青葉城ともいう。
 慶長年間に伊達政宗が築造してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り、伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。
 山城という不便さがあって,後に若林館を作り,晩年はそちらで過ごしている。
 仙台城は、青葉山を削平した本の丸を中心に梯郭式に二の丸・東の丸・三の丸が配置され、広瀬川の流れが自然の外堀となり、城の南には龍ノ口渓谷の深い谷が立ちはだかっている。
 広瀬橋を渡り、なだらかな坂を登った所が、大手門跡だ。肥前名護屋城の大手門を移築したとも伝えられる二層の大手門は、惜しくも戦災で無くなり、復元された二層の大手門脇櫓と道を挟んだ城壁が、当時の大手門付近の面影を僅かに偲ばせる。
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2007/2/1


彦根城 Hikone-jyo Hikone Castle

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 彦根城は、滋賀県彦根市金亀町にある井伊家の城である。別名・金亀城。国宝であり、国の特別史跡に指定されている。
 関ヶ原の合戦後、彦根藩初代藩主井伊直政の嫡子・直継と、二代藩主・直孝によって約20年の歳月をかけ、元和八(1622)年に完成した。
 白亜三層の天守は、今もなお気高い雄姿を誇り、姫路城、松本城、犬山城とならび国宝四城のひとつに数えられている。
 城内には国宝の天守のほか、天秤櫓や太鼓門櫓など重要文化財が数多く現存し、桜、新緑、紅葉、雪景色など四季折々の情緒を感じさせてくれる。
 また、月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられている。
 彦根城は、気高い雄姿を誇る、天下の名城である。
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2007/1/26


松前城 Matsumae-jo Matsumae Castle

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 日本における最後の旧式城郭。別名は福山城(ふくやまじょう)安政元年(1854)年完成。
 軍学者・市川一学(いちかわ・いちがく)の設計で、本丸・二の丸・三の丸からなり、本丸東南隅には三層の天守が築かれた。
 三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、城外にも9砲台25門の大砲が配備されていることから、海からの攻撃への備えを重視していたことがわかる。
 築城後わずか13年で炎上し、それとともに松前藩も実質的に滅んだ。
 昭和三十五(1960)年に外観が復元され、現在天守の内部は、「松前城資料館」となっており、ここには松前藩の御用船だった長者丸の展示品や「桜下美人図」など蠣崎波響の絵画、鎧(よろい)や衣服など藩政時代のさまざまな資料が展示されている。
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2007/1/25


備中松山城 Bicchu-matsuyama-jo Bicchu-matsuyama Castle

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 「備中松山城」は、市街地の北端にある臥牛山(がぎゅうざん)にそびえる山城で、現存する山城としては日本一高い所にある城(天守・標高430メートル)として有名だ。
 創建は鎌倉時代。有漢郷(現高梁市有漢町)の地頭秋庭重信が大松山に城を築いたのを起源とし、天和三(1683)年に水谷勝宗によって3年がかりで修築され、今の天守の姿になった。
 城のある臥牛山は山陰と山陽を結ぶ要衝の地にあったため、戦国時代は激しい争奪戦が行われ、城主交代が目まぐるしく繰り返されたという。
 備中松山城は日本三大山城のひとつに数えられ、山頂の城址に建物が残っているのは、三大山城の中では備中松山城だけであり、現存天守閣も残っている。白い漆喰塗りの壁と黒い腰板のコントラストが美しく、青い空によく映える。
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2007/1/23


上野城 Ueno-jo Ueno Castle

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 上野城(白鳳城)は、三重県伊賀市上野にある城である。
 上野城は天正十三(1585)年、天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺の跡に、伊賀を拝領した筒井定次により築城された。
 慶長十三(1608)年、筒井定次が改易されたことに伴い、藤堂高虎の持ち城となり、大改修が行われた。改修は豊臣討伐に備えて濠を深く、石垣も高くしたもので、石垣の高さ約30mは長年日本一といわれてきた(実際には大阪城が最も高い)。
 明治維新後、他の城と同様に伊賀上野城も石垣上の構造物の多くが取り壊され、寂れていった。
 昭和十三(1935)年、川崎克により再建。現在の3層3階の天守はこの時の模擬創建で、正式には伊賀文化産業城という。
 昭和四十二(1967)年、旧城域一帯が国の史跡に指定された。
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