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2008/1/23


土佐凧 Tosa-dako 

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 土佐凧(とさだこ)は手漉き土佐和紙を使用、正方形を45度回し角を立てた特徴的な形をしている。
 力強い墨の線に、魔除けの赤色を基調とした華麗な彩色は雅で、大変に美しい。
 凧は用途別に3種類に分けられ、絵凧と呼ばれる凧には武者や姫だるま、鶴を、定紋凧には家紋を、祝凧には「祝」などの慶祝文字をあしらう。
 凧は古代中国で兵器や宗教的な占いの為に作り出され、平安時代に日本に渡来したと言われており、土佐では、長曽我部氏が戦国時代の四国平定に、空とぶ兵器としてこれを用いた。 それが江戸時代になってからは男児出生を祝う行事となり、また、還暦の祝いに凧揚げをする風習も出来たと言われている。
 現在では香南市香我美町の1軒のみで作られ続けている。
 子どもの遊び道具としてももちろん、装飾用の美術工芸品としても大変に貴重で価値がある工芸品である。
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2007/12/14


袱紗 Fukusa Fukusa

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 袱紗(ふくさ)とは、儀礼的な贈答のときに、贈り物の上にかける、絹布で作られた正方形の布のこと。
 もともとは貴重品の納められた箱物の上に塵よけとしてかけられていたものだが、現在では冠婚葬祭などの儀礼的な贈答に欠かすことができないものとなっている。
 江戸時代に贈り物の習慣が盛んになると、飾り裂として美的要素が加わり、贈り主の贈る心を込めた絵柄が次々と作られた。冠婚葬祭別の贈る目的に相応しい意匠模様を工夫し、松竹梅や鶴、おしどり、高砂や鳳凰、宝船、日の出などをモチーフにしたという。
 家紋を表とし、絵柄を裏とするのが正式な形だが、現在では絵柄を省略した紋のみの袱紗が一般的によく使われている。
 袱紗は、礼を重んじる日本ならではの美しい風習であり、いつまでも伝えていきたい日本の美の集大成である。
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2007/9/28


大内塗 Oouchi-nuri Ouchi Lacquer Ware

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 大内塗(おおうちぬり)は、山口県山口市に伝わる工芸品で、国の伝統工芸品に指定されている。
 室町時代に、現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われている。
 渋い大内朱の地塗りの上に、黄緑色の彩漆で秋の草を描き、雲の形を描き入れ、家紋の大内菱を金箔で貼り付けた独特の文様が特徴とされる。
 主に、椀や盆、花器、大内人形などが作られており、中でも大内人形は、24代大内弘世が京を偲んで寂しがる夫人を慰めるために、京から呼び寄せた人形師に作らせたといわれ、その愛らしい表情の人形は夫婦円満を願う人々に喜ばれている。
 大内塗は、匠の技術を現在に受け継ぐ、高級感溢れる伝統工芸品である。
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2007/9/19


殿様湯跡 Tonosama-yu-ato 

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 殿様湯跡(とのさまゆあと)は、鹿児島県指宿(いぶすき)市西方にある、かつて領主・島津氏が使っていたという湯殿である。市の文化財に指定されている。
 江戸時代、薩摩藩を治めていた島津家の温泉別荘跡で、現存の浴槽は天保二(1831)年、第二七代薩摩藩主・島津斉興(しまづなりおき)によって摺ヶ浜より移設されたもの。
 浴槽は、山川石と呼ばれる加工しやすい凝灰岩を組み合わせて造られており、お湯が4つの湯壺を次々にまわり、適温になるように工夫されている。浴室には洋風のタイルが使われており、大変豪華なものだった事が伺える。
 奥には「湯権現」が祀られており、現在の浴舎の前には「二月田(にがつでん)温泉殿様湯」の石碑が据えられ、代々藩主の名を記した看板や丸に十の字紋を染めた暖簾がかけられている。
 殿様湯跡は、風格ある歴史を偲ばせる史跡である。
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2007/6/29


京都 掛札  Kyoto Kakefuda Kyoto Kakefuda

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 1925(大正14)年創業。京都・四条堀川に店を構える老舗の染物店。代々受け継がれてきた家紋入りの正絹風呂敷や帛久紗(ふくさ)、のれんや旗、幕などのオーダー専門店として営業を続けてきた。しかし、大学卒業後に家業を継いだ三代目の掛札英敬さんが2004年、中村勘九郎(現勘三郎)さんの「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿風呂敷のデザインと制作を担い、翌年に日本の伝統文様をモチーフにした既成の綿の風呂敷を発表したのを機に、社名・店名を「京都 掛札」に変更。さらに家紋をアレンジした木綿風呂敷専用のロゴマークを起用した。
 分業が一般化した今日では、デザインから型彫り、染め、縫製、仕上げ、販売まですべて一軒でまかなう専門店は貴重な存在。それでいて変わることを拒まない柔軟さは老舗の新たなあり方を示唆している。
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掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/6/14


筒描藍染 Tsutsugaki-aizome Tsutsugaki Aizome (Tsutsugaki Indigo Blue Dyeing)

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 島根県の出雲・松江・米子を中心とする、ふるさと伝統工芸品に指定されている風呂敷。
 明治以前より藍染をする紺屋は各地にみられたが、明治40年頃から次第に化学染料(建染染料)が普及。昭和25年には、筒描藍染を行うオモテ紺屋(糸を染めるカセ紺屋に対する呼称)は出雲地方において、紺屋59軒の内、オモテ紺屋のみ4軒となった。
 現在は、筒描藍染技術保持者として島根県指定無形文化財に認定されている、長田紺屋1軒を残すのみとなった。
 オモテ紺屋が染めた筒描藍染は大正時代までは嫁入支度として、定紋を入れ藍染で染めあげた。風呂敷もそのひとつであった。
 何度も染を繰り返し完成する。図柄は、のりを塗って染まらないようにして、高瀬川でゆっくりと洗われる。
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2007/5/10


引手 Hikite Hikite

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 引手(ひきて)は、襖の手掛け用に取り付けられた金具のこと。2枚の襖が互いにすれ違うとき、向かいの襖に当たらないように工夫された機能を持つとともに、室内装飾として大切な役割を果たしている。
 襖自体は、8世紀から9世紀の頃、日本独自のものとして生まれてきた。しかし、当初引手は存在せず、襖は縁に手を掛けて開閉されていた。引手が登場したのは13世紀、鎌倉時代に入ってから。やがて安土桃山時代に茶道が確立されると、茶室の襖も茶人の好みに工夫され、引手に名品が残るまでになった。
 現代では「和」の再確認により和室が見直されてきている。それに伴い、引手のデザインも多種多様なものが登場。伝統的な家紋入りや舟型、丸型をはじめとして動植物の形をモチーフにしたもの、モダンな白い四角型のもの、七宝をあしらったものなど、新しい発想の引手が多く生まれている。
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