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2008/3/18


日向はまぐり碁石 Hyuuga-hamaguri-goishi Hyuga Clam Go Stones

Jp En

 日向はまぐり碁石(ごいし)は日向地方で採取されるはまぐりの貝殻を原料に作られる碁石のことである。
 碁石は中国から伝わったものであり、明治以前、碁石製作には石や木、宝石類が使用されていた。
 明治に入り大阪で三河地方の桑名のはまぐりを材料に碁石製造が盛んとなった。しかし、桑名のはまぐりが品不足となり、日向地方の海岸によいはまぐりがあることが分かり、その後、大阪では日向地方のはまぐりを材料に碁石が作られるようになった。
 明治四一(1908)年頃、日向地方出身で、大阪で碁石作りの修行をしていた原田清吉氏が大阪から仕事仲間の小川栄次郎を呼び寄せ、日向地方で碁石作りをはじた。二人の努力の結果、碁石作りは日向地方の地場産業として大きく成長して行ったのである。
 現在では、日本で唯一のはまぐり碁石の産地であり、長年の間に築かわれた碁石作りの技術は世界からも高い評価を得ている。
 日向はまぐり碁石は、その手触り、色合い、光沢、形、どれをとっても最高級の碁石である。
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2007/12/26


柔道 Juudou 

Jp

 一二世紀以降の武家社会の中で、剣術や馬術、弓術、槍術など18の武術が成立し「武芸十八般」と言われた。その一つとして柔術があり、江戸時代の頃、急速に発展をとげた。
 柔術は幕末までに100を越える流派が生まれたとされ、明治一五(1882)年に嘉納治五郎(かのうじごろう)が創始した武道が「柔道(じゅうどう)」である。正式には「日本伝講道館柔道」という。
 体の弱かった治五郎は、学んできた流派の違う柔術を独自の理論で整理、体系化し、将棋や囲碁の段級位制を取り入れた「柔道」を全国に広めていった。
 「勝てばいい」という単なる勝利至上主義ではなく、精力善用・自他共栄を基本理念とした精神鍛錬が主な目的とされ、「柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ 」を真髄としている。
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